第3話 リハビリ、始めます
その日から、私はアレンの城に滞在することになった。
エリーゼが用意してくれた部屋は、アレンの部屋から少し離れた場所にあった。窓からは美しい森が見え、朝は鳥のさえずりで目が覚める。異世界とは思えないほど、平和で静かな場所だった。
でも、私には平和を楽しむ余裕はなかった。一ヶ月という期限。その中で、アレンに変化を見せなければならない。
まず必要なのは、情報収集だった。
翌朝、私はガルドに会いに行った。彼は城の訓練場で、一人で剣の素振りをしていた。
「おはようございます」
「おお、水野殿」
ガルドは剣を置いて、笑顔で迎えてくれた。
「朝早いですな」
「ガルドさんも」
「習慣でね。毎朝、鍛錬をしているんだ」
ガルドは、汗を拭った。
「それで、何か御用ですかな」
「はい。アレンさんのことを、もっと詳しく教えていただきたくて」
「アレンのことを」
「ええ。戦う時は、どんな感じだったのか。どんな動きをしていたのか」
ガルドは、少し考えて、頷いた。
「わかりました。話しましょう」
私たちは、訓練場の隅に座った。
「アレンは、剣士の中でも特別でした」
ガルドは、遠くを見る目をして話し始めた。
「速さ、力、技術。すべてが一流だった」
「...」
「特に、彼の剣は美しかった。無駄のない動き、的確な判断」
ガルドは、自分の剣を見た。
「俺は力任せに戦うタイプだが、アレンは違った」
「...」
「計算されていた。すべてが」
私は、メモを取りながら聞いた。
「戦闘スタイルは」
「オフェンシブ・カウンター、と言えばいいか」
「攻撃的な反撃、ですか」
「ああ。敵の攻撃を見切って、その隙に致命的な一撃を与える」
ガルドは、立ち上がって、動きを見せてくれた。
「こう、敵の剣を受け流して」
ガルドは、想像上の敵の攻撃を避ける動作をした。
「そして、一瞬の隙に、踏み込んで」
素早い突き。
「こうだ」
私は、その動きを観察した。確かに、高度なバランス感覚と、瞬発力が必要だ。そして、右手の握力と、右足の踏み込み。
アレンは、その両方を失った。
「魔王との戦いは、どうだったんですか」
「...凄まじかった」
ガルドの顔が曇った。
「魔王は、想像を絶する強さだった」
「...」
「俺たちは、何度も倒された。仲間も、何人も失った」
ガルドは、拳を握った。
「最後は、アレン一人だった」
「一人で」
「ああ。俺たちは、みんな倒されていた」
ガルドの声が震えた。
「アレンは、満身創痍で、それでも戦い続けた」
「...」
「そして、最後の一撃で、魔王を倒した」
ガルドは、目を閉じた。
「でも、その時、魔王の最後の呪いが、アレンを襲った」
「呪い」
「ああ。闇の力が、アレンの右腕と右脚を貫いた」
ガルドは、悔しそうに言った。
「俺が、もっと強ければ」
「...」
「アレンを、守れたのに」
私は、ガルドの肩に手を置いた。
「ガルドさんのせいじゃありません」
「...」
「アレンさんは、自分の意志で戦ったんです」
ガルドは、涙を拭った。
「すまん。取り乱した」
「いえ」
私は、メモを見た。
「ガルドさん、アレンさんは、今でも戦いたいと思っていますか」
「...ああ」
「なぜ、わかるんですか」
「あいつの目を見ればわかる」
ガルドは、城の方を見た。
「あいつは、戦士だ。剣を握ることが、生きることだった」
「...」
「それを失って、あいつは生きる意味を失った」
ガルドは、私を見た。
「水野殿、本当にあいつを助けられるのか」
「...わかりません」
「...」
「でも、諦めません」
私は、はっきりと言った。
「一ヶ月で、必ず変化を見せます」
ガルドは、微笑んだ。
「頼もしいな」
「ありがとうございます」
次に、私はリーナに会いに行った。リーナは、城の礼拝堂にいた。
「失礼します」
「あら」
振り向いたのは、優しそうな女性だった。長い銀髪、穏やかな目。白いローブを着ている。
「もしかして、噂の水野様ですか」
「はい。水野あかりです」
「私は、リーナ・セラフィア」
リーナは、柔らかく微笑んだ。
「アレン様の、かつての仲間です」
「お会いできて光栄です」
私たちは、礼拝堂のベンチに座った。
「リーナさんは、僧侶なんですか」
「ええ。癒しの魔法を使います」
「癒しの魔法」
「はい。傷を治したり、病気を癒したり」
リーナは、悲しそうに言った。
「でも、アレン様の傷は、治せませんでした」
「...」
「何度も試しました。最高位の癒しの魔法も使いました」
リーナは、自分の手を見た。
「でも、何も変わりませんでした」
「リーナさんのせいじゃありません」
「...」
「呪いによる神経の損傷は、魔法では治せないんです」
私は、説明した。
「魔法は、細胞を再生させることはできても、神経の伝達を回復させることは難しいんだと思います」
「神経の、伝達」
「ええ。脳からの信号が、筋肉に届かないんです」
リーナは、真剣に聞いていた。
「それを、リハビリで治せるんですか」
「治すというより、回復させる、ですね」
「...」
「神経は、時間をかければ、少しずつ再生します」
「本当ですか」
「はい。そして、適切な刺激を与えれば、その再生を促進できます」
リーナの目が輝いた。
「それが、リハビリテーション」
「はい」
リーナは、私の手を握った。
「水野様、お願いです」
「...」
「アレン様を、助けてあげてください」
「はい」
私は、頷いた。
「必ず」
リーナは、涙を流した。
「ありがとうございます」
午後、私はアレンの部屋を訪ねた。
ノックをすると、不機嫌そうな声が聞こえた。
「何だ」
「水野です。入っていいですか」
「...勝手にしろ」
部屋に入ると、アレンは窓辺の椅子に座っていた。外を見ているようだったが、その目には焦点がなかった。
「アレンさん、今日からリハビリを始めたいんですが」
「...」
「いいですか」
「好きにしろ」
アレンは、相変わらず冷たかった。
でも、私は気にしなかった。患者さんが最初から協力的なことは、珍しい。特に、プライドの高い人ほど、受け入れるまでに時間がかかる。
「では、まず現状を確認させてください」
「昨日、見ただろう」
「もっと詳しく見たいんです」
私は、持ってきた道具を広げた。といっても、この世界にはリハビリの道具なんてない。自分で作るしかなかった。
エリーゼに頼んで、布、木の棒、紐などを用意してもらった。これで、簡易的な測定ができる。
「アレンさん、右腕を見せてください」
「...」
アレンは、渋々右腕を差し出した。
私は、関節可動域を測定した。肩は、ほぼ正常に動く。肘も、伸ばすことはできる。でも、前腕から先が、ほとんど動かない。
「手首を、動かしてみてください」
「...無理だ」
「試してください」
アレンは、顔をしかめて、手首を動かそうとした。わずかに、震えた。でも、動かない。
「わかりました」
私は、メモを取った。
「指は」
「これも無理だ」
「一本ずつ、試してみましょう」
私は、アレンの指を一本ずつ確認した。親指は、わずかに動く。人差し指は、ほとんど動かない。中指以降は、完全に動かない。
「痛みは、どこにありますか」
「前腕と、手首」
「どんな痛みですか」
「鈍い痛み。時々、鋭い痛みが走る」
私は、頷いた。神経痛だ。
「痺れは」
「指先が、常に痺れている」
「わかりました」
次に、右脚を確認した。股関節と膝は動く。でも、足首が動かない。
「足の指は」
「動かない」
「感覚は」
「鈍い」
私は、足の裏を軽く触った。
「これ、わかりますか」
「...少し」
「これは」
「わからない」
感覚も、かなり低下している。
「アレンさん、立ってみてください」
「...」
アレンは、杖をついて立ち上がった。右足に体重をかけると、不安定になる。左足に頼っている。
「歩いてみてください」
アレンは、ゆっくりと歩いた。右足を引きずるように。バランスが悪く、何度もふらついた。
「ありがとうございます。座ってください」
アレンは、疲れた様子で座った。
私は、メモをまとめた。
右上肢——肩・肘は可動、前腕以遠は麻痺、握力ゼロ、痛み・痺れあり
右下肢——股関節・膝は可動、足関節以遠は麻痺、感覚低下、歩行は要杖
予想通り、末梢神経の損傷だ。でも、完全に切れているわけではない。まだ、希望はある。
「アレンさん」
「...何だ」
「リハビリの計画を立てました」
「...」
「まず、関節可動域の維持。筋力の低下を防ぐ」
「...」
「次に、神経の再生を促す刺激を与える」
「...」
「そして、左手での剣の訓練」
アレンは、顔を上げた。
「左手で」
「はい。右手が使えないなら、左手を鍛えます」
「...」
「そうすれば、また剣を握れます」
アレンは、何も言わなかった。でも、その目には、わずかに興味の光があった。
「今日から、始めましょう」
「...今からか」
「はい」
私は、立ち上がった。
「まず、簡単なことから」
私は、小さなボールを取り出した。布を丸めて作った、即席のボールだ。
「これを、握ってみてください」
「...右手で?」
「はい」
アレンは、疑わしそうな顔をした。
「無理だと言っただろう」
「試してください」
アレンは、ため息をついて、右手でボールを掴もうとした。
指が、わずかに動いた。でも、ボールを掴めない。
「ほら、無理だ」
「いいえ」
私は、微笑んだ。
「指が動きました」
「...」
「わずかですが、動きました」
アレンは、自分の指を見た。
「これを、毎日続けます」
「...」
「毎日、少しずつ。焦らずに」
私は、アレンの手を握った。
「必ず、良くなります」
アレンは、何も言わなかった。ただ、自分の手を見ていた。
その目には、わずかに、希望の光が灯っていた。
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