第2話 勇者との出会い
翌朝、私はエリーゼに案内されて、アレンの城へと向かった。
エリーゼの説明によると、アレンは王都から少し離れた自分の領地に城を持っているという。魔王を倒した功績で、王から領地を与えられたそうだ。でも、アレンはそこに引きこもり、誰とも会おうとしないらしい。
「最後にアレンに会ったのは、三ヶ月前です」
エリーゼは、寂しそうに言った。
「それも、私が無理やり会いに行ったのですが、すぐに追い返されてしまいました」
馬車に揺られながら、私はエリーゼの横顔を見た。彼女の目には、深い悲しみがあった。
「エリーゼ様は、アレンさんと、どういう関係なんですか」
エリーゼは、少し頬を赤らめた。
「幼馴染です」
「幼馴染」
「ええ。アレンの父は、王国の騎士団長でした」
「...」
「幼い頃から、よく一緒に遊んでいました」
エリーゼは、遠くを見る目をした。
「アレンは、優しくて、強くて、誰よりも正義感の強い人でした」
「...」
「魔王が現れた時も、真っ先に立ち上がったのは、アレンでした」
エリーゼの声が震えた。
「私は、止めました。危険すぎると」
「...」
「でも、アレンは言いました。『誰かがやらなければならない。それなら、俺がやる』と」
エリーゼは、涙を拭った。
「そして、アレンは魔王を倒しましたが、その代償は、あまりにも大きかった」
私は、何も言えなかった。ただ、エリーゼの悲しみが、痛いほど伝わってきた。
二時間ほどで、アレンの城に着いた。
小さいけれど、立派な城だった。石造りの建物、周りには緑豊かな森が広がっている。静かで、平和な場所だ。
でも、どこか寂しげな雰囲気があった。
城門で、エリーゼは兵士に話しかけた。
「アレン様に、お会いしたいのですが」
「エリーゼ様」
兵士は、困った顔をした。
「アレン様は、誰とも会わないと」
「わかっています。でも、今日は特別です」
エリーゼは、私を指さした。
「こちらは、異世界から来た、特別な癒し手です」
「異世界、ですか」
「ええ。アレン様を、治せる可能性があります」
兵士は、驚いた顔をした。そして、少し考えて、頷いた。
「わかりました。お待ちください」
兵士は城の中に消えた。十分ほど待つと、別の人物が現れた。
大柄な男性。筋肉質で、戦士のような雰囲気。顔には、古い傷跡がある。
「エリーゼ様、お久しぶりです」
男性は、丁寧にお辞儀をした。
「ガルド」
エリーゼは、嬉しそうに微笑んだ。
「元気にしていましたか」
「ええ、おかげさまで」
ガルドは、私を見た。
「こちらが、噂の」
「はい。水野あかり様です」
私は、お辞儀をした。
「初めまして。水野あかりです」
「ガルド・ブレイブです」
ガルドは、がっしりとした手で握手を求めてきた。
「アレンの、かつての仲間です」
「アレンさんの」
「ええ。一緒に魔王を倒しました」
ガルドの目には、複雑な感情があった。
「アレンを、本当に助けられるんですか」
「...やってみます」
「わかりました」
ガルドは、城の中へと案内してくれた。
「ただし、アレンは頑固です」
「...」
「簡単には、心を開かないでしょう」
「覚悟しています」
城の中は、整頓されていたけれど、生活感が薄かった。まるで、誰も住んでいないような静けさ。
長い廊下を歩いて、一つの部屋の前で止まった。
「ここです」
ガルドは、ドアをノックした。
「アレン、エリーゼ様がいらっしゃいました」
中から、低い声が聞こえた。
「帰れ」
冷たい声だった。
「アレン、お願いです」
エリーゼが、ドア越しに言った。
「今日は、特別なお客様がいらしています」
「誰が来ようと、会わない」
「でも」
「帰れと言っている」
エリーゼは、悲しそうな顔をした。
私は、前に出た。
「アレンさん」
ドア越しに、話しかける。
「私は、水野あかりと言います。異世界から来ました」
「...」
「理学療法士という仕事をしています」
「知らん」
「あなたを、助けたいんです」
しばらく、沈黙があった。
そして、アレンの声が聞こえた。
「俺を、助ける?」
「はい」
「笑わせるな」
アレンの声には、怒りがあった。
「この世界最高の癒し手たちが、誰一人、俺を治せなかった」
「...」
「それを、異世界から来たお前が治せるだと?」
「治せるかどうかは、わかりません」
私は、正直に答えた。
「でも、試してみる価値はあります」
「価値、だと」
「はい」
私は、ドアに手を置いた。
「アレンさん、あなたは諦めたんですか」
「...」
「もう二度と、剣を握れないことを、受け入れたんですか」
「...」
「もう二度と、戦えないことを、認めたんですか」
ドアの向こうから、怒りの声が聞こえた。
「黙れ」
「諦めてないなら、私に会ってください」
「...」
「もし諦めているなら、それでもいいです。でも、一度だけ、話を聞いてください」
長い沈黙があった。
そして、ドアが開いた。
そこに立っていたのは、背の高い男性だった。黒い髪、鋭い目つき、整った顔立ち。でも、その表情には、深い疲れと諦めがあった。
右腕は、肘から先が力なく垂れ下がっている。右脚も、不自然な角度だった。杖をついて、やっと立っている状態だ。
これが、伝説の勇者、アレン・ヴァルハイト。
「五分だけだ」
アレンは、冷たく言った。
「話を聞いてやる。だが、期待するな」
私たちは、アレンの部屋に入った。
部屋は、質素だった。ベッド、机、椅子。それだけ。窓からは、森の景色が見える。
アレンは、椅子に座った。エリーゼとガルドは、部屋の隅に立った。私は、アレンの向かいに座った。
「それで、何が言いたい」
アレンは、不機嫌そうに聞いた。
私は、深呼吸をして、話し始めた。
「アレンさん、あなたの体の状態を、教えてください」
「何を今更」
「詳しく知りたいんです」
アレンは、ため息をついた。
「右腕は、肘から先が動かない」
「痛みは」
「常にある。痺れもある」
「右脚は」
「足首が動かない。歩くのも、杖がないと無理だ」
私は、メモを取りながら聞いた。
「いつから、その状態ですか」
「魔王との戦いが終わってから、ずっとだ」
「悪化していますか」
「...いや。変わらない」
私は、少し安心した。悪化していないなら、まだ希望はある。
「アレンさん、腕を見せてもらえますか」
「...」
アレンは、躊躇した。でも、やがて右腕を差し出した。
私は、丁寧に触診した。筋肉は、かなり萎縮している。でも、完全には失われていない。神経も、まだ生きている可能性がある。
「痛いですか」
「...少し」
「ここは」
「痺れる」
「わかりました」
次に、脚を見せてもらった。こちらも、同じような状態だった。
「アレンさん」
「...何だ」
「あなたの体は、まだ諦めていません」
「...」
「神経は傷ついていますが、完全には切れていない」
「だからどうした」
私は、アレンの目を見た。
「リハビリで、改善できる可能性があります」
アレンは、鼻で笑った。
「無理だ」
「なぜ」
「この世界最高の癒し手たちが、誰一人」
「治せなかった、ですよね」
「...」
「でも、私は癒し手ではありません」
私は、はっきりと言った。
「私は、リハビリテーションの専門家です」
「リハビリテーション」
「はい。失われた機能を、回復させる技術です」
アレンは、疑わしそうな顔をした。
「魔法か」
「いいえ」
「なら、何だ」
「科学です。医学です」
私は、説明し始めた。リハビリテーションとは何か。どうやって機能を回復させるのか。
アレンは、黙って聞いていた。表情は変わらなかったけれど、目には、わずかに興味の光があった。
「つまり、訓練をするということか」
「はい」
「それで、治るのか」
「完全に元通りになるかは、わかりません」
私は、正直に答えた。
「でも、今よりは良くなる可能性があります」
「...」
「そして、たとえ完全には戻らなくても、残された機能を最大限に活かす方法を、一緒に見つけられます」
アレンは、窓の外を見た。
「俺は、剣を握りたい」
「...」
「もう一度、戦いたい」
アレンの声が震えた。
「それができないなら、リハビリなど、意味がない」
私は、立ち上がった。
「アレンさん、剣を見せてください」
「...なぜ」
「見せてください」
アレンは、渋々立ち上がって、部屋の隅から剣を取り出した。立派な剣だった。刃には、細かい装飾が施されている。
「これで、魔王を倒したんですか」
「...ああ」
私は、その剣を受け取った。重い。こんな重いものを、片手で振るっていたのか。
「アレンさん、今、この剣を持てますか」
「...無理だ」
「やってみてください」
アレンは、右手で剣を握ろうとした。でも、指が動かない。剣は、床に落ちた。
アレンは、悔しそうな顔をした。
「では、左手は」
「...左手?」
「はい」
アレンは、左手で剣を握った。持ち上げることができた。
「左手なら、握れるじゃないですか」
「だが、左手では戦えない」
「なぜですか」
「俺は、右利きだ」
私は、微笑んだ。
「では、左利きになればいいんです」
「...何?」
「右手が使えないなら、左手を鍛える」
「...」
「そうすれば、また剣を握れます」
アレンは、言葉を失った。
「そして、右手も、完全には戻らなくても、補助的に使えるようになるかもしれません」
「...」
「右脚も、装具を使えば、歩行がもっと安定します」
私は、アレンの肩に手を置いた。
「アレンさん、諦めないでください」
「...」
「まだ、可能性はあります」
アレンは、私を見た。その目には、わずかに希望の光が見えた。
でも、すぐに目を逸らした。
「...わかった」
「...」
「試してみる」
エリーゼが、喜びの声を上げた。
「アレン」
「ただし」
アレンは、私を睨んだ。
「一ヶ月だけだ」
「...」
「一ヶ月やって、効果がなければ、諦める」
「わかりました」
私は、頷いた。
「一ヶ月で、必ず変化を見せます」
アレンは、何も言わなかった。ただ、窓の外を見ていた。
私は、決意した。
この一ヶ月で、アレンに希望を取り戻させる。
それが、私の使命だ。
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