第8話 学園内の異変
異変は、あまりにも些細なところから始まった。
朝のホームルーム。
ひなたは窓際の席で、校庭を眺めていた。
サッカー部が準備運動をしている。
いつもと同じ光景--のはずだった。
「……遅い」
誰にも聞こえないほど、小さく呟く。
ボールを蹴った生徒の足。
反応が、半拍遅れている。
いや、正確には――遅れているように“見える”。
ひなたの視界が勝手に分割される。
フライアイレンズが、校庭全体を捉えた。
動きの線が、微妙にずれている。
まるで、映像と音声が合っていない動画みたいに。
「……世界が、ズレてる?」
視界を絞ろうとした、その時。
「ひなた、消しゴム貸して」
隣の席の声。
「え? あ、うん」
振り向いて、手渡す。
指が触れた瞬間、ぞくりとした。
見えた。
相手の視界。
自分の手を“三重”に捉えている感覚。
「……っ!」
ひなたは思わず手を引っ込めた。
「ど、どうしたの?」
「な、なんでもない」
笑って誤魔化すが、心臓が早鐘を打つ。
--今の子も、能力者?
いや、違う。
あきとたちのような“制御”がない。
むしろ--揺らいでいる。
チャイムが鳴り、教師が教室に入ってくる。
「じゃあ出席を取るぞ」
一人、また一人。
名前が呼ばれるたび、ひなたの視界に微細なノイズが走る。
そして。
「……佐倉」
呼ばれた瞬間。
後方の席で、椅子が倒れた。
「っ、うわ!」
生徒が床に崩れ落ちる。
目を見開いたまま、焦点が合っていない。
「……見えすぎる……」
かすれた声。
教室が一気にざわつく。
「どうしたの!?」
「大丈夫?」
教師が駆け寄る。
だが、ひなたには分かっていた。
その生徒の“視界”が、ひなたと同じ構造で割れている。
ただし――閉じられていない。
窓の外。
廊下。
天井の蛍光灯。
全てを同時に取り込もうとして、処理できていない。
「保健室に連れていく!」
教師の声が遠くなる。
ひなたは机の下で、手を強く握りしめた。
--始まった。
昼休み。
屋上は立ち入り禁止になっていた。
「理由、言ってなかったよな」
あゆむがフェンスを見上げる。
「“安全確認のため”って」
あきとが苦く笑う。
「便利な言葉だ」
三人は人目を避けて、旧校舎の階段に集まっていた。
「倒れた子、見た?」
ひなたが言う。
「ああ」
あきとは即答した。
「今朝だけで、三人。保健室送り」
「そんなに……」
「共通点がある」
あきとは、壁に視線を固定する。
そこに、薄く光の線が浮かんだ。
「全員、視覚過敏の症状。
でも--普通の過敏じゃない」
あゆむが腕を組む。
「能力の“芽”が、勝手に開いてる」
ひなたの喉が鳴る。
「じゃあ、私たちみたいに……」
「制御できる前に、開かされてる」
沈黙。
遠くで、救急車のサイレンが聞こえた。
「光視会……?」
ひなたの言葉に、あきとは首を横に振る。
「違う。これは、もっと広い」
「じゃあ、何が……」
あきとは、ゆっくり言った。
「核が、“調整”を始めた」
その瞬間。
校内放送が、ぶつりと途切れた。
『--……生徒の皆さん……』
ノイズ混じりの声。
『落ち着いて、教室で待機--』
言葉が歪む。
声が、二重、三重に重なる。
ひなたの視界が、暴発しかける。
「……来る」
直感が叫ぶ。
廊下の奥。
人影が、ありえない角度で曲がって現れた。
生徒--だ。
制服を着ている。
だが、視線が定まっていない。
頭が、微妙にズレている。
「……見える……見える……」
ぶつぶつと呟きながら、壁を“すり抜ける”ように近づいてくる。
空間認識の暴走。
「あゆむ!」
「任せろ!」
加速。
一瞬で距離を詰め、肩を掴む--はずが。
「……掴めない!?」
腕が、すり抜ける。
存在の焦点が、ズレている。
「ひなた!」
ひなたは、歯を食いしばった。
--光を、絞れ。
蛍光灯。
窓。
床の反射。
視界を一点に集め、“今ここ”を強調する。
レンズフレアではない。
これは--固定。
「……戻って!」
光が、廊下に張り付く。
生徒の輪郭が、揺れながら実体を取り戻す。
「……あ、れ……?」
その場に、崩れ落ちる。
同時に、ひなたの膝が折れた。
「っ……!」
頭痛。
視界が白む。
あきとが支える。
「無茶するな……でも、よくやった」
廊下の先で、教師たちの足音が近づく。
あゆむが低く言った。
「これ、もう隠せないな」
ひなたは、息を整えながら思った。
学園は、安全な場所じゃない。
そして。
“見える力”は、選ばれた才能なんかじゃない。
感染する異変だ。
遠く、校舎の上。
誰にも見えないはずの光の層が、静かに広がっていた。
まるで、次の“目”が--開こうとしているように。
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