第2話 診断

医師は椅子を引き、ベッドの横に座った。

動きがゆっくりで、無駄がない。


「混乱していますよね」


そう言われて、初めて自分の呼吸が早いことに気づいた。

胸が上下している。


「さっきまで、取調室にいました」


言うと、医師は否定も肯定もしなかった。

ただ、メモを取る。


「いつから、そう感じていますか」


「感じている、じゃない。いました。AIの捜査官が――」


「AI、という言葉が出てきますね」


遮られた。

声は穏やかだが、話の流れは完全に向こうが握っている。


「それは、どんな存在でしたか」


説明しようとして、言葉に詰まる。

無機的な眼。

威圧。

だが、それをどう言えばいい?


「……人じゃなかった」


「人ではない存在に、追われていた?」


追われていた。

確かに。


「はい。重大違反だって」


「何の違反ですか」


「AI倫理法」


医師のペンが、一瞬だけ止まった。


「それは、どこで聞いた言葉ですか」


どこで?

当たり前すぎて、考えたこともない。


「……社会に出れば、誰でも知ってる」


「この病院では、その法律は存在しません」


病院?

社会?


「ちょっと待ってください」


頭が痛い。


「ここは、いつの日本なんですか」


医師は、ゆっくりと息を吸った。


「あなたは、現代日本にいます」


現代。

その言葉が、妙に重い。


「数日前、あなたは自宅で倒れているところを発見されました」


「倒れた?」


「はい。意識障害の状態でした」


「でも、さっきまで――」


「基本的なことから確認しましょう」


その言い回しに、背中が冷たくなる。


「突然意識を失った原因に、心当たりはありますか」


同じだ。

取調室と、ほとんど同じ質問。


「誰かに、薬や飲み物をもらいましたか」


「いいえ」


即答した。


「倒れた場所を、覚えていますか」


覚えていない。

確かに、最後の記憶は曖昧だ。


「詳しい事情がわからないと、診断できないんです」


その言葉が、

「しゃべらないと損をする」と重なった。


「僕は、病気なんですか」


問いかけると、医師は少しだけ困ったように微笑んだ。


「診断はこれからです」


曖昧な答え。


「周りの方にも、話を伺っています」


まただ。


「あなたの話が、必要なんです」


必要。

だが、必要とされているのは“確認”であって、“説明”ではない。


「もう一度聞きますね」


声のトーンが、さっきより少し低い。


「誰かに、何かをもらって飲んだことは?」


違う、と言いたかった。

だが、何が違うのかを説明できない。


「……ありません」


医師は、何も書かなかった。


「わかりました」


それが、何を意味するのかは分からない。


診察が終わり、照明が落とされる。

静かな病室。


天井を見つめながら考える。


もし、ここが現実なら。

取調室は妄想で。

AI捜査官も、倫理法も。


――だとしたら。


なぜ、質問が同じなんだ。


眠ろうとすると、遠くで金属音がした。

鍵の音。


それが、現実的すぎて怖かった。


目を閉じる。


暗闇の向こうで、

誰かが、同じ質問を準備している気がした。

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2025年12月28日 18:00
2025年12月29日 18:00
2025年12月30日 18:00

ハルシネーション 星野 淵(ほしの ふち) @AO1231

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