六回のうら

 俺の説明を聞いた瀬里奈が、腕を組んだ。


「なるほど、これは……」

「な、何かわかったのかい?」

「少し、待ってください」


 至極真剣な表情だった。気圧された俺は、ゴクリと喉を鳴らす。


 彼女はまず、ボールが当たったと思われるイチョウの木に近づいた。

 幹に触れ、なにかを確かめるように撫でまわす。


 やがてイチョウの木から離れた瀬里奈は、続いてグラウンドの方へ向かった。外野フェンスに触れると、そのままフェンス沿いを移動し始める。何をしているのだろう。

 しばらく歩いたと思ったら、ある地点で足を止めた。そこでフェンスをゴソゴソいじった後、こちらへと戻ってくる。左手が、なぜかぎゅっと握りしめられていた。


 瀬里奈はさらに、緑道を外側から見て右回りに進む。地面に目を落とし、なにかを探している様子。


「これは違う。これも……う~ん、こっちじゃないのかな?」


 ぶつぶつと独り言をつぶやく彼女。少し、気味が悪い。


 十メートルほど進むと、彼女は立ち止まり、その場でしゃがみ込んだ。緑道に触れながら「あった。やっぱり」と声に出すと、ゆっくりと立ち上がって、微笑みながらこちらへと戻ってくる。

 その笑顔に、いろんな意味でドキッとする。


「山本さん。わかりました」

「わ、わかったって、なにが?」

「それを説明する前に、まずはこちらへ」


 瀬里奈はイチョウの木へと向かう。俺は黙ってその後を追った。


「あれ、見てください」


 彼女が木の一点を指さした。凝視すると、幹の皮が少しだけ欠けている部分がある。まさか――。


「あそこに当たったのか」

「その通りです」


 かわいい顔が縦に動いた。


 ボールが当たった場所は幹のやや左側。とすれば、ボールは左側へと跳ね返ったはずだ。


「だ、だけど、そっちもかなり探したけど、見つからなかったよ?」

「まだ説明は終わっていません」


 次に瀬里奈は緑道をレフト方向へと歩き始めた。そして、さっき彼女がしゃがんでいたあたりで足を止め、「見てください」と地面を指さした。

 指の先にくぼみがある。十円玉サイズの、ほんの小さなくぼみ。


「……これが?」


 意味がわからない。このくぼみがなんだというのか。


 その問いに答えず、彼女はぎゅっと握った左手を突き出した。開いた手の中には――。


「クローバー?」


 葉が四枚。いわゆる四つ葉のクローバーか。


「……で?」

「わかりませんか?」


 あきれたように、小さくため息をつきながら、彼女は「ふ」と鼻を鳴らした。察しの悪いおっさんだな、とでも言われているようで少しだけムッとしたが、かわいいので許す。


「わからないから、説明してほしいな」

「では順を追って説明しますね。まず、山本さんの打球はフェンスを超え、緑道で跳ね、あのイチョウの木の左側に当たった。ここまではいいですか?」

「ああ」

「あそこに当たったのなら、跳ね返ったボールは左側へと向かったはずです。ところが、どこをどう探しても見つからない。実は、これは当然なのです」


 瀬里奈はどことなく誇らしげに胸を反らした。


「と、当然?」


 思わず、問い返す。


「はい。そのカギとなるのが、この四つ葉のクローバーです。これはさっき、フェンスに結び付けられていました」

「そ、そうなんだ。で?」


 四つ葉のクローバーがカギといわれても、なんのこっちゃさっぱりわからん。


 顔じゅうにクエスチョンマークを浮かべている俺に目を向けながら、瀬里奈は右手の人差し指を立てた。


「山本さん。例えば、ある場所に置いたはずの小物が見つからないこと、ありますよね?」

「ああ、よくあるな。最近物忘れがひどくってさ」

「……おほん! ま、まあ、記憶違いってこともあるでしょうけど、絶対にそこに置いたはずなのに見つからないってこともあるでしょ?」

「え~あるかな、そんなこと」


 俺が首をひねると、ズズイと瀬里奈が顔を近づけてくる。どぎまぎしながら目をそらし、「あ、あるかも」と答える。

 瀬里奈が顔をパアッと輝かせた。ほんとかわいいなこの子。


「でしょ! それ、実は次元の狭間に物が落ち込んだが故の現象なのです」

「じ、じげ……なんて?」

「次元の狭間、です」


 瀬里奈の話はこうだ。

 ある特定の条件を満たすと、空間が歪み、穴が開く。その穴こそが次元の狭間で、ここに落ち込んだ物は、一瞬で別の場所に移動してしまうのだそうだ。昔からある神隠しなんかも、この現象の亜種なんだとか。


「SFなんかでよくあるワープみたいなもんか」

「あれとはまた別です。ワープは科学理論に基づいて人為的に発生させるもの。それに対して次元の狭間は、人の意図が関与しない、もっと超常的な現象です」

「はあ……」


 瀬里奈は自信満々に説明しているが、どうにも信じられん。彼女を見る目が、少し変わったことを自覚する。まさかこのかわいさで電波少女だったとは。

 もったいねえな――そんな内心の疑念が顔に出たのだろうか。


「やっぱり、山本さんも信じてくれませんか」


 瀬里奈は寂しそうに笑うと、ぼつりと一人語りを始めた。


 昔からオカルトチックなことが好きだった彼女は、独自に組み立てたオカルト理論を披露し、友だちや同級生の前で不思議な現象についてうんちくを垂れ流していたのだそうだ。だが、そんな話を信じるものは一人としていなかった。

 性格は明るく社交的だったので、仲間外れにされたりいじめに遭ったりということはなかったが、得も言われぬ疎外感を味わいながら、これまでの人生を過ごしてきたらしい。


「そうなんだ。辛い人生だったんだね」

「いえ、そうでもないです」


 口ではそう答えながらも、瀬里奈は寂しそうに微笑んでいる。その表情が、俺の胸をグサリと刺した。


 俺はバカだ。こんなかわいい子を電波扱いするなんて。


 昔から言うだろう。かわいいは、正義と!


 三十路を超えたおっさんならば、たとえどれほど怪しかろうとも、若くてかわいい女の子の話には全力で乗っかるべきなのだ!


「わかったよ、星崎さん。君の話、信じるよ」


 瀬里奈は目を大きく見開いて、俺の顔をまじまじと見つめた。


「や、山本さん……本当に?」

「ああ! だから続けてくれ……ボールは一体、どこへ消えたのか?」





 次元の狭間が発生する条件は、おまじない効果が高いアイテムが近くにあることだそうだ。今回の場合、フェンスにくくり付けられていた四つ葉のクローバーがそれに当たるらしい。


「さっき、緑道に不自然なくぼみがありましたよね? あれもおそらく――」

「次元の狭間に、緑道の一部が吸い込まれたってわけか」


 心の奥でそんなアホなと思いながらも、俺は瀬里奈に乗っかる。そうと決めた以上、全力で乗っかる。それが男の心意気だ。


 それに、だ。事実として、あるはずのボールがないのだ。もしかしたら本当に、なにか超常的な現象のせいで消えてしまったのかもしれない。

 まだ完全に瀬里奈を信じたわけではない。それでも、彼女の説がそれほど非論理的とも思えない。なにより、かわいいし。


「はい。そして私のこれまでの研究からすれば、消えたものは半径百メートル以内の場所に再出現します」

「け、研究って、どんなことを?」

「あ、いや。他の人やネットの似たような話を集めて、それをまとめただけ、ですけど」


 ほんのりと顔を赤く染めて、瀬里奈は恥ずかしそうにうつむいた。モジモジと指をこすり合わせている。

 うむ、かわいい。が、そりゃ研究とは言わないような……まあいいや。


「しかし、半径百メートルとなると、かなり広範囲になるな。こりゃ探すだけ無駄か」

「そうでもありません」


 言いながら瀬里奈は広場に向かうと、いつの間にか一人増えているママさんたちの座るベンチ付近まで歩いていった。俺はこの場に立ったまま、その様子を見守る。

 ベンチ周辺をしばらくうろうろしてから、瀬里奈は帰ってきた。唇を噛みしめている。


「ありませんでした」

「あの辺に出現しそうなの? なぜ?」

「え? あ、いや、勘です……」


 なぜか瀬里奈が口ごもる。


「勘か。そうだな、超常現象なら、そういう第六感みたいなものも重要かもしれないな」

「そ、そうです! さすが山本さん! 素晴らしい洞察です!」


 どことなくごまかしているような雰囲気。

 不審に思いながら、俺はたずねた。


「ちなみに、どんなところに出現しやすいの?」

「あ、そうですね。関係している人の好きなものがある場所とか、意識が集まってくる場所とか、ですね。すみません、抽象的で」

「いや、いいよ。……ん? てことは、あそこに俺の好きそうなものがあるってこと?」


 もう一度ベンチを眺める。三人のママさんが楽しそうにおしゃべりに興じている。薄着で、若くて、美人なママさんたち。


「……星崎さん。オレがあのママさんたち、好きそうだなって思ってる?」

「や、やだなぁ、そんなこと思ってませんよ! さあ、次、次の場所に行きましょう!」


 瀬里奈がアハハと笑った。その笑顔に、俺はやや腑に落ちないものを感じていた。

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