ボールはどこへ消えた?
鷹森涼
五回のおもて
セットポジションから放たれた真っすぐ。コースはほぼ真ん中。十二分に引き付けてから、俺はバットを振り切った。
バット素材のウレタンと軟式のゴムボールが正面衝突し、パアンと破裂音が鳴り響く。
真芯に叩き潰されたボールは、ギラギラと輝く真夏の太陽に向かって空高くはじき飛ぶ。方向はセンターやや左。打球はグングン伸びていき、九十メートル先の高いフェンスを越えた。
味方ベンチから歓声が上がる。逆転の柵越えツーラン。俺自身にとっても、久しぶりのホームランだ。ただの草野球、しかも練習試合とはいえ、やはりホームランをかっ飛ばすのは気分がいい。
鼻を高くしながらダイヤモンドを一周し、歓喜に沸くチームメイトたちの待つ一塁ベンチへと向かう。
そこへ、備品管理を担う女性マネージャー、高砂いちごが声をかけてきた。
「ナイバッチ、山本くん」
「おう、サンキュー」
「じゃ、七千円」
七千円? はて?
「聞こえた? 早く」
いちごが急かす。
「い、いやまて。俺、今帰ってきたばっかだぜ? 逆転ツーランだぜ?」
「関係ない。なくしたら一ダース弁償。チームの決まりでしょ」
「い、いや、それはファールだけじゃ……ホームランは例外じゃ……」
「んなわきゃない。ファールだろうがホームランだろうが、なくしたら一ダース弁償。いやならボール、とってきて」
しぶしぶではあるが、ボールを探しにグラウンドの外に出た。俺は指名打者なので、次の打席まではやることがない。まあ暇つぶしにはなるかと、無理やり自分を納得させる。
鉄製のスパイクをカチャカチャ鳴らしながら緑道を歩き、センターフェンスの向こうまでやってきた。
さっさと拾って戻ろう。簡単にそう考えていたのだが……。
あれ? おっかしいな。
打球の角度、飛距離などからおおよその目星をつけていたあたりをざっと見渡したが、ボールが見当たらない。
ボールがあると踏んでいたのは子ども用の広場。
ちょっとした運動ができるぐらいの広場の他に、小さな滑り台と砂場、それにベンチが二つ置かれただけの、こぢんまりとしたスペースだ。
俺はまず、入り口から広場の様子をうかがった。
保護者と思しき若いママさんが二人、ベンチに座って談笑しながら、広場を駆けずり回る子どもたちを見守っている。当の子どもたちは、サッカーボールとかテニスボールなんかの大小さまざまなボールをしっちゃかめっちゃかに投げ合ったり蹴り合ったりして、ギャイギャイはしゃぎながら汗みずくで走り回っている。このクソ暑い中、よーやるわ。子どものバイタリティ、恐るべし。
広場に足を踏み入れてうろうろと歩き回る。二人のママさん、そして走り回っていたガキンチョたちが、不審者でも見るような眼で俺を遠巻きにしているが、気にしていられない。なんせ七千円がかかっているのだ。
広場には、なにかが隠れこむような、例えば植垣とか池があるわけでもない。俺の予想ではボールはその辺に転がっているはずなのに、どこをどう探しても見つからない。
なぜだ?
俺は腕を組み、思考を働かせ始める。
ボールは、どこへ消えた?
まずは、冷静に状況把握からだ。
俺たちが試合をしているグラウンドは市民公園の一角に設けられている。グラウンドを取り囲むフェンスの外側には緑道が敷かれていて、その脇には等間隔でイチョウ並木が植えられている。
低い位置の枝はばっさりと剪定されているが、高い枝には葉が生い茂っていて、緑道に日陰を作り出している。この真夏であっても比較的涼しく、散歩には適しているといえるだろう。とはいえ、この暑さだ、散歩している人はほとんどいないが……。
俺はセンター後方のフェンスへと近づいた。記憶をたどり、打球が飛んだと思しき方向へフェンス沿いを進む。うん、大体このあたりか。
ホームベースの位置と自分の現在地を線で結んで、その線をたどるように後ろを向く。目に入ったのは、大きなイチョウの木。
俺は目を閉じて、もう一度自分の打ったホームランを思い出す。グーンと高く上がった打球は、放物線を描いて外野フェンスを余裕で越えた。
フェンスを越えるまでの時間は、多分、打ってから七秒ぐらいか。だとすると打球速度は……よくわからんが、まあそこそこ速いと思う。
フェンスを見上げる。高さは大体、三俺ぐらい。俺が百七十二だから、約五メートルか。余裕を考えると、六メートルぐらいの高さでフェンスを越えたはず。
俺は振り向き、打球の軌跡を脳内でイメージしつつ数歩歩いた。イメージ内でボールが接地した辺りで足元を確認する。アスファルトの緑道。……そういうことか。
ボールが緑道まで届いたとすると、土の地面に比べれば結構跳ねたはず。多分、三メートルぐらいかな? とすると、高く跳ね上がったボールは、おそらく――。
俺はイチョウの木の根元に立ち、静かに見上げた。跳ね上がったボールは、イチョウの木の幹の、多分あの辺に当たった。そのイメージ動画が、脳内で鮮明に再生される。
俺はにやりとほくそ笑む。ここまで来れば、ボールは見つかったも同然だ。
イチョウの木の形状は、まあ丸い。何かが当たれば角度によって、まっすぐ跳ね返ったり右に跳ね返ったり左に跳ね返ったりするだろう。打球の勢いなんかを考えれば、跳ね返りの強さは想像がつく。距離にして十メートルも跳ね返るまい。
俺はその範囲を半円と想定して、木の周囲を探し始める。
まずは右に跳ねた場合を考えて、探す。ない。
なら左だ。ない。
なんで?
さらに周辺を探し回る。だが、やはりボールはどこにもない。
俺の心に、じわりと、焦りが生じた。
もし見つからなければ、今日中に七千円を支払わなければならない。一応財布の中に一万円は入っているが、これはこの後予定している大事な戦の軍資金だ。こないだのパチンコタコ負け分を、今日のボートで取り返す。七千円も取られてみろ。まともな勝負ができなくなっちまう。
だいたい、なんで一球なくしただけで一ダースも弁償しなきゃならんのだ。おかしいじゃないか! なくした分の一球、来週に補充すればいいじゃん! それなら七百円で済むのに!
誰に聞かせるでもなく、そんなことをぶつぶつとつぶやきながら、あたりをぐるぐるうろついてボールを探していた俺の耳に、グラウンドの方から「おおっ!」というどよめきが届いた。
何事かとグラウンドへ目を向けると同時に、頭に衝撃。目の前に星が舞った。
脳天に杭をぶち込まれたような強烈な痛みに、思わず「むぐぅ!」と呻いてうずくまる。大げさに見えるかもしれないが、頭のてっぺんへのダメージは痛烈だ。経験したものにしかわかるまい。
痛みが引かず、数分ほど頭を押さえて座り込んでいたら、タタタと足音が近づいてきた。
「すみませ~ん。そのあたりにボール……え、あ、あのっ! どうされました?」
女性の声だった。頭の痛みをこらえて声の主を見る。あれは――。
「あ、敵の女」
「な、なんですかその言い方! 失礼な!」
「ご、ごめんなさい」
そこにいたのは、相手チームのユニフォームを身に着けた女性。女性ながら、れっきとしたプレイヤーだ。キレッキレの動きで縦横無尽に三遊間を支配する、めちゃうまのショート。正直、今グラウンドにいるどの男よりもうまいんじゃなかろうか。バッティングもいいし、なにより若くてかわいい。
大方、相手チームのだれかの彼女なんだろう。クソ、うらやましい。うちにいる女なんて、あの守銭奴くらいなのに。
「あ、あの、ほんとに大丈夫ですか? ボール、頭に当たっちゃったんですよね?」
ぼーっとしながらそんなことを考えていたら、彼女が心配そうな様子で俺の顔を覗き込んでくる。気にしないでと返しながら、俺は立ち上がった。
彼女の名前は、星崎瀬里奈というそうだ。名前までかわいい。現在二十一歳の現役女子大生。俺より十も年下か。にしても、瀬里奈か。いいな、心の中でそう呼ぼう。
さっき俺の頭に当たったのは、彼女の打ったホームランだそうだ。マジかよ、女がこんな飛ばせんの? 俺のホームランより飛んでるじゃん。
クソ、ほんと、どいつが彼氏だ。あとでうちのピッチャーにインコース厳しく行けって指示せねば。そうだな、腰の高さ狙えって言っとこう。
「とにかく、ごめんなさい」
ペコリと頭を下げる彼女に対して、「いいよいいよ、もう平気だから」とカッコをつけた。ほんとはまだ結構痛いが……。
「それで、山本さんは何をしてらっしゃったんですか?」
「ああ、さっき俺が打ったホームランのボールを探してるんだ。ずっとこのあたりを探してるんだけど、なぜかまったく見つからないんだよ」
「……詳しく、聞かせてくれますか?」
瀬里奈の眼が、キラリと光った。
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