芦毛の彼
べこたろ
芦毛の彼
かつて私が馬に携わっていた頃の話です。
そのとき出会った一頭の芦毛が強く印象に残っていて、今でもふとした拍子に思い出します。
彼に対する第一印象は「怖いヤツ」でした。
馬房の前を通り過ぎるだけで威嚇してくるし、馬房に入った瞬間に噛みついてくるような、ヤバい馬でした。
当時の私は馬に触るのも初めてだったので、こいつは凶暴な性格なのかなと、いつもビクビクしていました。
でも、馬との生活に慣れて扱い方がわかってきた頃、彼への印象が変化しました。
彼は気性難でも凶暴でもなく、新入りをからかうのが好きなだけなんだと。
馬に慣れてない人間をおちょくって、ビビらせて、楽しんでいたんだと思います。
慣れてきた人間や、新顔でも最初から馬の扱いに長けている人間には手を出さない。そういうヤツでした。
慣れたから大丈夫、とも限りません。
むしろ慣れてきたからこそ、こっちが油断した隙を狙って何か仕掛けてきます。それが趣味みたいですね。
ただ、性格が悪い、というのも少し違います。
運動時のことです。
人間が指示を出す前に、周りの空気を読んで勝手に正しく動き出すところが彼にはありました。自分に何が求められているのか、次にどんな動きをすればいいのか、完璧に理解していたんです。
でもそれは、騎乗技術のある人が乗ったときの話。
初心者や、騎乗が下手な人間(つまり私)が乗ると、面白いくらい微動だにしないんですよね。
指示出しが弱かったり曖昧だったりすると、「ハエでも止まったかな?」みたいな顔して知らんぷり。
こちらがしっかり指示を出せるようになって初めて、「やれやれ……」と面倒くさそうにのそのそ動き出します。
それに動いたからと言って、まだまだ油断はできません。
少しでも気を抜こうものなら、すかさず乗り手を落とそうとしてくるんです。
それも、立ち上がって振り落とすような強引なやり方じゃなくて、頭をグッと下げて乗り手を転がすようにして落とすんです。やる気ないなら降りろ、とでも言わんばかりに。
もうね、完全に「わかってる」動きなんですよ。ただ賢いだけじゃない。そうやって人を育てるタイプの馬でした。
普段は人にベタベタ触られるのを好まず、私がスキンシップを図ろうとするといつも抵抗されていました。
それでもたまに、気分によっては少しくらいなら許してくれるときもあって、それがものすごく嬉しかったですね。調子に乗って首に抱きついてたら、鬱陶しそうに背中を噛まれたのも良い思い出です。
なんだかんだ言って、根っこは面倒見が良くて優しい性格なんだと思います。
ときどき人をからかってたのも、彼なりのじゃれつきなのかもしれません。
後に調べましたが、競走馬時代の彼は成績があまり振るわなかったようです。数戦だけ走って、早々に引退。
それでも彼は、私にとっては誇り高い名馬です。
数字だけでは測れないものが、彼の中にたくさんあったことを、私はよく知っています。
芦毛の彼 べこたろ @bekotaro
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