第3話 「ジョーダン」は救いか祟りか



「連れて参りました」


男の低い声が、静まり返った回廊に響く。

検非違使に前後を見張られながら、航太朗はなにやら大層な建物に連れてこられ、豪華な日本庭園の中庭に場所に立たされていた。

検非違使の男は一礼したまま、


「五条の市にて、妙な衣をまとい、人ならざる動きをして騒ぎを起こしていた若者です。早急にお目通りを願いたく」


と言うと、さらに顔を下げた。


航太朗も頭を下げつつ様子を伺うが、目の前には畳のカーテンが下り、その奥は透けてうっすらと見えるだけだ。

どうやらその奥に、さっきまであんなに失礼だった検非違使がこんなに頭を下げるほどの偉い人物がいるようだ。


「おい、前へ出ろ」


検非違使に押し出され、航太朗は転びそうになりながらカーテン近くへ歩み出る。金髪は乱れ、服は砂にまみれて汚れ、その姿は水墨画の中に突然差し込まれた蛍光色のように場違いだった。


(こっちから向こうはあんま見えてへんけど、向こうからは見えるんやろか…)


疑問に思いつつカーテンの奥に目を凝らしていると、誰かがわずかに息をのむ気配がした。柔らかな風に乗って、女性たちのささやく声が聞こえる。


「なぁにあの色……」

「異国の者かしら…はしたないわ…」

「穢れが移るわ…」


ひそひそと、でも確かに、航太朗を拒む言葉たちが交わされている。


(待ってやめっちゃディスられてるんやけど…なんでこんなことになってしもたんや…)


航太朗が不安に涙をこらえようと深く息を吸い込むと、不思議な匂いが鼻をついた。


(ん…?なんや…燻製みたいな匂いやな…)


変わった匂いに顔をしかめていると、カーテンの奥で衣擦れのような音と共に航太朗の方へ何者かが歩み寄る気配がする。

張り詰める緊張感の中、航太朗は助けを求めるようにその音の方向へ目をやる。カーテンの向こうからも、何者かが自分を見据えているのが分かる。


(誰か知らへんけど頼むわ…俺、悪いやつちゃうねん…踊ってただけやねん…)


祈りを込めてカーテンの奥を見つめる。汗が額を流れる。すると、


「――その者…名を何と申す」


冷たい石のような、ずっしりと重みのある声が、航太朗に語りかけた。

一瞬で場の空気が凍てつく。


「こ、こ、こ、航太朗ですっ」


航太朗は声を震わせた。沈黙が流れる。


「…御簾を上げよ」


声の主が再び言葉を発すると、カーテンの向こうで、両側から人がにじり歩いてくる音がした。しばらくして、目の前のカーテンがすっと上がる。ゆっくりと、目の前の光景が現れてきた。


(うわ…なんやこの部屋)


カーテンの奥には、奥行きの広い畳の部屋が広がっていた。

中央には濃い青色の装束に身を包んだ男が、小さな台に肘を掛けてこちらを見つめている。航太朗の全てを見透かすかのようなくっきりとした目に、形の良い鼻、薄い唇。それらが調和し、知性を滲ませる静かな表情をたたえている。両側にはお雛様のように着膨れした着物の女たちが控えていて、大きな扇子で顔を隠している。ピンクや黄緑の着物を何枚も重ねているせいで、桜餅のようだ。奥には白地に紺色の枠がついた屛風が立てられ、よく見ると植物や雲が精巧に描かれている。どこかで琴のような和楽器の音が鳴っているようにも思えたが、現実感がなさ過ぎて、航太朗にはもはや幻のように聞こえた。


(……あかん、レベチがちげえ)


航太朗はあっけにとられ、言語が崩壊した。


(この人何者やねん…?てか俺のことどう見えちゃってるん?てか女の子たちみんなそんな着込んで肩こりえぐない?)


「コウタロウ…か。聞き慣れない名前であるが、どこの者であるか」


重く静かに、しかし、鋭さを含んだ表情で男が尋ねる。


「俺は…その…えっと…令和っていう…その…未来から…来た」


「…ミライ?異国の名であるか?」


「いや…異国ではないんやけど…ま、まぁ、そういうことでもええです」


航太朗はただならぬ男のオーラに圧倒され、説明もままならない。


「成道殿。お気をつけあそばせませ。この者は災いをもたらします」


一人の検非違使が声を上げた。


「はて。災いとはどういうことであるか」


ボスらしい男の眉がわずかに動く。


「はい。この者の舞はまるで雷神に取り憑かれたかのようであるのです」


検非違使が深刻そうに告げると、男は考え込むように一呼吸を置いた。


「雷神か…。もしそうであれば危険であるな。だが、我が目で確かめてみるほかない。コウタロウと申す者よ、五条の町にてやった舞を今ここでやってみたまえ」


男は航太朗の目を見て言った。


「しかし…!危険です。宮中に祟りが起きるやもしれません!」


慌てた検非違使が腰の太刀に手を掛けると、ほかの検非違使たちも構えるように航太朗の方へ向き直る。航太朗は反射的に肩をびくつかせた。


「ひぃぃぃ!やめてください…」


情けない声が漏れたと同時に、


「よせ!勝手なことをするでない」


男が強い口調で制する。


「…出過ぎた真似を申し訳ありません」


検非違使は戸惑いを滲ませつつ太刀から手を離し、騒ぎかけた場が再びシンと静まる。しばらく、男の動向を見守る緊張感のある間が流れる。ふと、男がうなずいて言う。


「――それでは、場所を神泉苑へ移そう」

「ははあ!」


検非違使たちが大きく返事をした。


「し、しんぜんえん…?」


航太朗は呪文聞き慣れない音を反芻していると、


「おい、お前、行くぞ。後に続け」


検非違使の男が航太朗の肩を摑んで無理やりに動かす。


「…え? 俺、助かったの?え?どうなの?」


訳もわからないまま航太朗は検非違使の背中に続いてとぼとぼと歩き出した。





 数分歩いた先で検非違使が足を止めたのは池のほとりだった。朱く塗られた橋がかかり、風に揺れる木々が水面にゆらゆらと影を落としている。


「ホーホケキョ」


ホトトギスのさえずりが静寂の中をどこまでも響く。


(現代じゃこんな鳴き声聴いたことあらへんな…)


車も人も通らない閉ざされた場所で、鳥や風の音だけが雄弁だった。

航太朗が自然の音たちに聞き惚れていると、一行の後ろから、家来を連れたさっきの男がゆっくりとやって来る。


「――よし、ここならば、よかろう」


うなずきながら辺りを見回すと、ゆっくりと航太朗へ視線を移す。何かを言いたげな瞳で、航太朗の返事を待っている。


「――ん?何がよかろうって?」


航太朗が聞き返す。


「おい、お前!口を謹め。こちらは検非違使佐、藤原成道殿であるぞ」


検非違使の1人が航太朗を激しく睨みつける。


「わ、すんません、なりみち?どの?えらいすんません」


慌てて航太朗が頭をペコペコと下げる。


「まあよい。異国の者であるゆえしょうがあるまい。よいか、コウタロウと申す者。ここは、神泉苑といって、祟りをおさめるための儀式を執り行う庭である。ここであれば、お前の舞で災いが起きることもあるまい。宮中であれば、左大臣が何というか分からないからな」


成道は優しい笑みを浮かべ、言った。


「はあ…」


(笑うとさらにイケメンだな。韓国でデビューできるなこれ)


航太朗が呑気なことを思っていると、


「さあ、舞ってみせよ」


成道は道を示すような仕草を見せ、航太朗を促した。


「えっ…」


(そんなこと言ったって、音楽もないのに……)


どう踊りだそうかと肩をすくめた。その時、


(――サワサワ)


風の音が大きくなった。そよいだ風に木々の葉がさやめく。


(うわ…きれいやな…)


ノイズのない自然の世界へ耳を澄ませると、風が、緑が、航太朗に寄り添う感覚がした。

航太朗は一か八か片足を踏み出す。検非違使たちが身構えるのが分かったが、成道ただ一人は動じず、航太朗の動きに真剣な眼差しを注いでいた。


(この音…俺がビートにしてみせる)


航太朗は自分の内にあるビートと自然の音たちを頼りに、次の足を軽やかに出した。


――まずは基本の「インディアンステップ」に「ツイスト」だ。


航太朗が軽快なリズムで円を描くように絡めた足が砂ぼこりを起こす。


「なんだあの動きは…」

「蟻のような足さばき…」


検非違使たちは航太朗の動きに目を奪われると、次々に驚きを口にした。ブレイキンを初めて見る男たちの驚嘆と好奇の混じった視線が、航太朗を熱くさせる。


――ひとくせつけてみよか?


航太朗は手慣れた様子でツイストから「イーグル」へ移行する。腕に遊びをつけると、検非違使たちの視線が航太朗の上へ下へ目まぐるしく変わるのが分かった。「ブロンクス」で前後へ滑らかに移動すると、検非違使たちは仰け反ったり前かがみになったりして、航太朗の動きを追う。その視線をおちょくるかのように、「ロッククラブ」で足をガニ股内股と繰り返す。


「やはり…天狗か…?」

「エサをついばむ燕のようだ…」


検非違使たちのざわめきにほくそ笑みながら、航太朗は軽やかに床に入る。


――ブレイキンはこっからやで


まずは手を地面について足で六歩を踏み、助走の「スタマック」から大技「トーマス」に入る。両手を交互に地面へつき、脚を開いたまま遠心力とバランスを使ってブンブンと回すと、


「うわあ…独楽のようだ」


感嘆に似た声がどこからか漏れる。

脚を広げたまま仰向けになると、流れるように得意の「ウィンドミル」を繰り出す。


「あ、あの舞です…!五条の町で見せたのは…」


検非違使が成道へ耳打ちする。成道は目線を航太朗に送ったまま、静かにうなずく。

風の音はどんどん強くなる。航太朗の体から風が起きていくようだ。

木々が揺れ、葉がこすれる音が、スネアのように心地良くひびく。その音を味方にウィンドミルでぐんぐん回ると、突如それらを破裂させるように航太朗は「エアーベビーチェア」でフリーズして見せる。


「な!嵐を起こす神か…?まさか、スサノオの化身じゃあるまいな…?」


フリーズを解き、再びフットワークに入ると、その声は突然聞こえた。


「ホー…ホケキョ!」


――その声、待ってたで。


航太朗は片手で倒立すると、両足を空に向かって伸ばし、鳴き声に合わせて「ジョーダン」のポーズを決めた。


「今のは!?まさか鳥すらあやつる術であったか!」


検非違使たちがざわめく中、成道はやはり真っすぐに航太朗を見据えていた。何を考えているのか分からない不気味な眼差しの奥には、鋭い光が揺れている。


ダンスを終え、航太朗は静かに立ち上がる。パーカーについた土を払いながら、成道の方に目線をやる。二人の視線がぶつかる。いつの間にか風はやみ、ただ航太朗の荒い息遣いだけがその場を震わせていた。


「――この舞は…使える」


その声は独り言のように静かだった。


「え?」


「…この者の舞は、風や鳥をも一体にし、見る者の心を奪う。神の意志とさえ、映る」


成道は一息で言い放ち、荒く息を吐いた。


「成道殿…?」


検非違使たちは言葉の意味を測りかねるように啞然とした表情を向ける。構うことなく成道は続ける。


「祭礼の義にこの舞を披露すれば、民の心を掴み、一つにすることもできよう。そうすれば、乱れた世を鎮めることもできる」


成道はゆっくりと航太朗の前に歩み出る。


「コウタロウ、お前の舞――。あれは才だ。才は、正しく用いれば世を動かす力となる。ひとつ、その舞を民のために披露してはくれないか」


成道の目には、異物である航太朗を拒む色はなかった。


(もしかして褒められてる…?)


この時代に来てからずっと不安は腹の底からじわじわと湧き上がっている。現代に帰る方法は分からない。携帯もつながらない。誰が味方かも分からない。

でも…踊れた。音楽のない世界でも、音がある。ブレイキンがある。


「――航太朗のダンスは、人を元気にする力がある。その力をこれからも大事に使って」


お母さんの言葉が脳裏によぎる。航太朗はゆっくりと顔を上げた。


「民のため、なんやな」

航太朗は自分に問いかけるようにつぶやく。


「ああ、お前の舞は、民の力になる」

成道は、道案内をするように丁寧に言った。


「分かった…やる」

航太朗が静かに返事をすると、成道は目を細め、満足そうにうなずいた。


「よい返事だ。そうと決まれば、ついてこい。今日これから都の外れで…」

「だが一つ条件がある!」


航太朗が成道の言葉を遮る。こぶしを握り締め、大きく息を吸う。


「俺のスタイルで…俺のやり方で、やらせてもらうで」


そう言い放つと、検非違使たちがざわついた。成道はにやりと笑うと、

「構わぬ。むしろ、それでいい」

愉快そうにつぶやいた。姿の見えないホトトキズが、空を横切るように再び鳴いた。

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