第2話 運命を変える「ウィンドミル」



――どれほどの時間が経ったか。


航太朗が目を開けると、そこには目に痛いほどの快晴が広がっていた。

自分が地面に仰向けに倒れていることに気づき、首に手をやる。


「いてて……ってあれ?痛くない…」


不思議と全身から痛みは消えていた。


「てか……臭っ!!」


乾いた魚の暴力的な臭いが鼻をつく。


「なんでここに干物…?」


周りの様子を確かめようと首を持ち上げ、すぐに違和感に気づく。


「え…ここ…どこや!?」


驚いて上半身を起こすと、視界に広がるのは見たことのない街並みだった。舗装されていない土の道に、木でできた家々。行き交う男たちは座布団を胸に張り付けたような格好をして、女はうす汚れたエプロンのような着物のようなものを着ている。

航太朗は理解が追いつかず、呆然としてそれらを眺める。


「この鰯、ひと盛りでいかほどじゃ?」


突然、後ろでしわがれた女の声がした。

驚いて振り返ると、軒先の影に白い髪を後ろにゆるく結んだ老婆が竹籠を持ってしゃがみ込んでいる。老婆の話す先には40代くらいの男が座り、敷物を広げてその上にいくつもの籠を置いていた。籠には乾いて黒く光った魚が並んで口を開けている。


「はいな、五文にてござります。朝より干したばかりで油も乗っておりますぞ」


(もん…?)


航太朗は訝しがりつつ、二人のやり取りに耳を澄ませた。


「あんたまた値上げかいな。ちょっと前まで三文で買えたやないの」


「なに、こっちかて上げたくて上げてるんやないですわ。銭の回りが冷えてしもうてどうにもこうにも」 


「そりゃまあ、町中みんな騒いどるわ。米もこんなに不作ってのに年貢は重いわ炭も半分で倍の値がするわ。なしてこない急に暮らしが厳しゅうなってしもたんやろか」


「そら…上でしょうな、上」


魚屋の男は苦笑いを浮かべ、声をひそめて上を指さす。

言葉の癖が強く何を話しているのかよく分からないが、団地の住民たちが誰かの陰口で立ち話をしているような閉ざされた雰囲気だ。


「御所では上等な絹の御装束が何十反と仕立てられとるいう噂です。それも毎月。新しい装束の染めやら縫いやらに銭が湯水のように流れとるんでしょうな。しかも貴族のお方はこのかんかん照りに香木を競って買うておられるらしい。なんでも唐から渡ってきた珍品で、焚いては品比べしとるそうな」


「わしらの生活なんておかまいなしに贅沢三昧とは、困った世になったものや」


(御所…?貴族…?なんだよそれ…)


航太朗が首をかしげていると、魚屋が航太朗の視線に気づいて眉をひそめた。


「おう、そこの兄さん…えらい見慣れる風体やが…どこの者や?」


明らかに不審がりながら、航太朗の体を下から上までじろじろと見る。

最新のヴァンズにダメージジーンズ、フードのついたスウェットのパーカーに加えて、憧れの海外ダンサーの真似をして金髪に染めたばかりの頭。どう考えても土ぼこり舞うこの町で航太朗は異彩を放っていた。


「あ、えっと…その…」


魚屋の目が鋭くなり、航太朗は思わず後ずさる。男の目線につられた老婆が、何事かと航太朗の方を振り向くと、


「ひぃぃぃっ!髪が光っとる!」


顔を引きつらせ、小さな悲鳴をあげた。それを聞きつけ、周囲の人々が何事かとぞろぞろ航太朗の方へ近寄ってくる。

あっという間に航太朗は群衆に囲まれた。


「なんやあの珍妙ななりは…見たことがない…」

「烏帽子も被ってとらんで、異国の者か?」

「なんやあの髪の色は!狐が化けておるのか?」

「まさか妖ではあるまいな…」

「違う…鬼の子や…!」


ざわつきが広がり、航太朗の回りにできた輪はどんどんと大きくなっていく。航太朗の胸はビートを打ち付けるように激しく鳴っていた。


「た、祟りが起きるぞ!誰か、早く検非違使を呼んでこい!」


震えるようなその叫びが決定打になった。

おかっぱ頭の男の子が青ざめた顔で駆け出していき、そして間もなく、鐘を鳴らす音と共にバタバタと足音が近づいてくる。


「道を開けろ、検非違使が通る!」


黒い装束に身を包み、でかいおにぎりのようなものを頭に乗せた男たちが、角を曲がって現れた。


「そこの者、名を名乗れ!」


何人もの男たちがこん棒を片手に航太朗へにじり寄る。街の人たちとは明らかに違う荒々しい雰囲気に、航太朗は思わず身をすくめる。


(こいつら、誰なんだ…)


でかいおにぎりの影から見える目は狂犬病にかかったかのようにギラついていて、航太朗をがっちりと捉えていた。先頭に立つ男の腰には、真っすぐな太刀が据えられ、ゆらりと光を反射している。


「逃げても無駄だぞ。ここ京において、我ら検非違使の目を逃れる術などあるものか」


男たちは獲物を狙う獣のように、地面に座り込んだままの航太朗にじりじりとにじり寄る。


「な、なにこれ…てかみんなは…?どうしたらええんや…」


航太朗がうつむいたその瞬間、


「捕らえよ!」


先頭の男が掛け声をかけ、近くにいたおにぎり頭の手下数人が航太朗に飛びかかった。



「うおおおお!」



――その時だった。

航太朗の体が反射的にふわっと宙に浮いた。


体を起こし地面を蹴った航太朗は、その勢いのままバク転で後ろへ大きく飛びのいていく。 


「な、なんだ!」


男たちは航太朗の動きにたじろぎ、足を止めた。


「な、なにしてる!いいから早く捕らえろ!」


先頭の男が怒鳴ると、男たちは慌てて航太朗にこん棒を向けた。威嚇しながら間合いを詰めようとしているのだろうが、航太朗の動きを見てさっきより腰が引けているのが分かる。


「早く捕まえろ!」

「は、はい!」

「か、観念しろ!」


せき立てられた男たちは、息を合わせて四方八方からいっきに航太朗へ飛びかかった。


「うおおおお!」


――その時。

咄嗟に、航太朗は床に入っていた。


両手を地面につき、肩を軸に地面へ滑り込ませ、空へ向かって足を伸ばす。そのまま、ありったけの勢いをつけて体を回転させる。

背中と肩を支点に風車のように回ることからその名がついたパワームーブ、「ウィンドミル」だ。


「なっ!?」


予想外の動きに男たちはよろめく。


「な、なんだ…足が2本、3本…いや、8つに見えるぞ……!」


男の一人が後ずさり、顔をひきつらせながら叫ぶ。航太朗の足に頭をかすめられて仰け反った拍子に、男のうちの一人が頭に乗せたおにぎりを落とし顔を真っ赤にする


「え、烏帽子がああ・・・!」


地面に落ちたおにぎりを拾おうと慌てふためく。


「あの人、烏帽子を落としよったわ、あんな恥ずかしいことないわ」


どこからか、街の女たちの笑う声がする。男たちの輪は乱れ始めていた。

ウィンドミルをしている間は、誰も航太朗に触れることはできない。航太朗はがむしゃらに回り続けた。


「人の技ではない…鬼道の転舞…この目で見ようとは…」


「あれは……雷神様が取り憑いたのか…雷神様が太鼓を踏みならすような振動だ…」

「山の神が怒っているのか…!?」

「違う…あれは穢れを呼ぶ呪詛の返し舞だ…」


 男や街の人たちは声を震わせ、一歩、また一歩と航太朗から遠ざかる。


「浄土の遣いだ!」

「いや待て、風車のごとく回る仏では?」

「廻転往生菩薩……名付けてそう呼ぼう」



 航太朗は1分以上回転し、体力は限界を迎えそうになっていた。


(もう無理だ…)


回転の勢いが徐々に弱まると、航太朗は崩れるように地面に倒れ込んだ。あおむけになり、胸で激しく息をする。


「ハァハァ…あれ?誰もいない…」


砂ぼこりでかすむ視界の中、ゆっくりと体を起こすと、男たちは航太朗から数メートルほど離れた場所で膝を震わせていた。

驚いた拍子に落としたのか、地面には何本ものこん棒が落ちている。お互い状況が飲み込めず、航太朗と男たちはしばらくの間、動かずに見つめ合った。


「あの…」


最初に言葉を発したのは航太朗だった。


「ひぃぃぃっ」


男たちは肩をびくつかせ、後ずさりする。


「すみません驚かして。あの、ここ、どこですか。僕、京都の鴨川で踊ってたと思うんやけど…」


「……」


男たちは無言で顔を青ざめさせている。

すると、


「――お前、ここはどこかと聞いたのか」


男たちの後ろから、さっき先頭で指示を出していた男が眉をひそめながら現れた。

一歩、一歩と静かに航太朗へ近づき、目の前で足を止める。じっと航太朗の目を見つめる。


「何を今更問うておるのだか。ここは、平安京に決まっておるだろうが」


男は低い声で確かにそう言った。


「……へ?」


――航太朗の頭は完全に静止した。これぞまさに、フリーズだった。


「だから、平安京だと言っておるだろうが。お前、それも分からずにこの土地へ足を踏み入れた訳じゃあるまいな」


「あ、あはは…ご冗談を…」


航太朗は笑って男の目を見返す。

だが、男の目は全く笑っていなかった。


(……え?)


航太朗は恐る恐る回りを見渡す。

電柱の一つも見当たらない。まるで時代劇のセットの中にいるようだ。

航太朗がポカンと口を開けていると、


「お前、平安京を知らないと言う訳であるまいな。お上のあられるこの都で騒ぎを起こす無礼者は、我ら検非違使が許さぬぞ」


呆れたように男がそう言って腕を組んだ。


(さっきから何やねんそのしゃべり方。ていうか平安京って、あの平安京か?こいつら、本気か…?ちょっと待てよ…)


ポケットに入れていたスマホを思い出し、急いで取り出す。電源を入れると4桁の数字を入力し、急いでロックを外す。

祈りを込めて画面の右上を見る。次は、航太朗の顔が青ざめていく番だった。

電波を示す棒は一つも立っておらず、機械的な「圏外」の二文字が航太朗を絶望に突き落とした。


「終わった…」


航太朗は空を仰いだ。

空はあまりに澄みきってまぶしく、まるで日本刀のように鋭く目を刺す。

逃げ場は、もうない。航太朗は腹をくくって、男をもう一度見た。

黒い着物に草履を履いている。


(ああ~もう、THE・平安やん。

鬼滅の刃でこんな格好してるやつおった~)


開き直るように心の中でひとりごちる。

よく見ると、男が頭に被っているおにぎりのようなものにも見覚えがあった。


(うわ、おじゃる丸が被ってたやつやん。

もうやってるわ)


事態を徐々に飲み込み、次第に航太朗は冷静になっていた。


「で、お兄さんたち、なんて言うんでしたっけ?」


ヘラヘラと笑顔を作り、航太朗は下手に出るように聞く。


「だから、我らは検非違使である。ここ平安京の目、耳、そして刃となり、治安を守るのが我らの勤めである」


男は正義感あふれる精悍な顔でそう言った。


(うわ、やっぱり警察的なやつか…えらいもんに捕まってもうた…)


航太朗はため息をつくと、ポリポリと頭をかきながら、


「ごめんなさい、今、何年ですかねえ~」


笑顔を作って尋ねた。男は不思議そうに、


「今か?長徳264年だが…」


首をかしげて言った。


「ですよね~」


航太朗はわざとらしい程に大きくうなずいた。


(はい。無理ゲーすぎ。俺、タイムスリップしてもうてる)


航太朗はもう一度空を仰いだ。現代で見ていたよりずっとずっと広い空に、白い半月が出ていた。

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