平安時代でウィンドミルしたら浄土の遣い認定されて、民から相談が殺到した
@aliya-ali
第1話 始まりの「エアートラックス」
航太朗は空気をむさぼるように吸い込んだ。
京都丸太町駅近くの鴨川のほとりでは、スピーカーから流れるヒップホップのビートがこだまし、砕けるように響く。
地上の静けさとは打って変わり、橋の下には熱気が立ち込める。
月に一度、ここで催されるブレイクダンス、通称ブレイキンのサイファーは、関西に住むB-boyの登竜門だ。オーバーサイズのTシャツにデニムを着崩したB-boyたちが円を作り、順に中心へ出て、腕前を見せつけている。
航太朗がギリギリと睨む先には、サイファーの中心で踊る、ある男の姿があった。
男の名前はKei。長身で手足が長く細身だが、首はがっちりとしていて、どこにいても存在感を放っている。
流れる曲は王道のブーンバップ。重いキックと乾いたスネアが規則的に続くのに合わせ、Keiを囲んだB-boyたちは首でリズムをとり、値踏みするような視線を送る。それをいなしながら、Keiは弾むようにステップを踏んでいる。
(やっぱ…こいつのトップロックは格別や)
アクロバティックな大技をかませるフロア技に気を取られ、立ちのステップであるトップロックを疎かにするB-boyは多い。自慢げに大技を見せつけたB-boyが立った途端にカチコチになり、埴輪が踊っているかのような姿になるのを、航太朗はこれまで何度も目にしてきた。
そんな中、Keiのトップロックには、ダンスの本質を感じさせる力があるのだ。
ツーステップひとつとっても、首のアイソレーションが段違いに細かいのが分かる。しかし細かいだけでなく、全身をしなやかに連動させ、拍をたっぷり使ったツイストやターンも組み合わせてヒップホップのノリ方も忘れていない。自分の実力を見せつけるのに躍起になっているほかのB-boyたちとは違い、音で遊んでいるような余裕がある。
(音を視てるみたいや…)
航太朗はごくりと唾を飲む。
Keiは澄まし顔でツーステップから軽やかに床に入り、六歩でリズムをなぞる。流れるようなCCの後、わずかな音のすき間に足を置き、スネアの裏拍に右足を引っかけるとエアチェアーを決めた。
「まじかよ、今の音拾うのか・・・」
どこかから声が漏れた。
続けざまにベイビーウィンドミルに移行し、低空のままトーマスに持ち込む。まだまだ余裕だと言わんばかりに肩口角を上げた瞬間――。
スネアが抜け一瞬の無が訪れる。それを待っていたかのようにフリーズ。地面を押して立ち上がると、次のキックの爆発に合わせ、後ろに伸び上がり1回転するマカコで空気を引き裂いた。
前のめりでKeiを見ていたB-boyたちは次々に「えーい!」と片手をあげ湧き上がる。間違いなく今日一番の盛り上がりだ。
「こりゃ今日も、Keiやな」
サイファーに通って長いB-boyの一人がうなった。
サイファーでは、その日一番場を湧かせた物が暗黙の内に勝者とされる。勝ちを重ねる者は、ストリートに名を轟かせ、リスペクトを集める存在へと近づく。
Keiは、勝利を日常とするような男だった。航太朗と同じ06ラインのKeiは数多くのサイファーでその名が知られていて、五輪の正式競技にブレイキンが選ばれてからは、日本代表の候補選手としてもメディアに取り上げられている。
完璧にも近い4小節を終えたKeiは挑戦的な目つきを残し、元の位置に戻っていく。文句なしのムーブを見せられ、諦めに似た雰囲気がB-boyたちの間を漂う。次に中心に出ていく者は現れない。ビートは空白を刻み付ける。
この先の展開を探り合うようなムードの中、航太朗はこぶしを握り締めた。
1歩、2歩と静かに中心へ歩み出る。
「おー?」
からかうようなB-boyたちの声がビートに交じって聞こえてくる。
(大丈夫。大丈夫)
航太朗は自分に言い聞かせ、おもむろにKeiと同様のツーステップを踏み始める。小技を利かせられない分トップロックでは見劣りしているが、航太朗には秘策があった。
――今日のために練習してきた大技、エアートラックスだ。
逆立ちし、片手から片手へジャンプし大きく体を回すこの大技は最高難易度で、平らではないコンクリートの地面で挑戦する者はいなかった。だからこそ、圧倒的なパワームーブでこの場を制すれば、Keiを打ち負かすことができるはずなのだ。
宿敵の、あの男を。
鼓動が速くなり、緊張で顔が紅潮する。なんとか落ち着こうとフードを深くかぶり、集まる視線を遮断する。
「――お前みたいな自己流じゃ、俺には勝てへんで」
1年前、Keiは航太朗のダンスを鼻で笑ってそう吐き捨てた。
(――自己流の何が悪いんや、、、お前に何が分かんねん)
人生を丸ごとゴミ箱へ捨てられたような、春の夜だった。
航太朗は京都舞鶴の団地で育った。父は鳶職人で口数が少なく、母は病弱で、いつも咳をしていた。苦しそうに、それでも笑おうとするせいで、母の顔はいつもゆがんで見えた。
「航太朗ごめんな、こんな思いさせて」
みんなが持ってるゲームがほしい、USJに行ってみたい、サッカーを習いたい…厳しい家計では、航太朗の願いが叶うことはほとんどなかった。
「ええって母ちゃん。俺もわがまま言ってごめんな」
悪くないのに、二人はよく謝り合った。
小学4年生になったある日、同じ団地に住む中学生の兄ちゃんが、「面白いもんがあんねん」と見せてくれたのが、ブレイキンの世界大会「Legend Breakin」のDVDだった。
逆立ちの姿勢で回ったり、背中で跳ねたり、風車のように足で空気をかきまぜたり。初めて見るブレイキンに航太朗は度肝を抜かれた。
(人間にこんな動き…できるんか?)
重力に逆らい、次々に予測不能な動きを繰り出していく。堂々と全身で自分を表現する彼らは、弱気で得意なことのない航太朗にとって、胸が痛むほど輝いて見えた。
「俺もこんな風に・・・」
その日から航太朗は団地の公園で一人、ビデオで見た動きを記憶の限り再現しようとした。ビデオでは簡単そうに見えたステップも、実際にやってみようとすると足がもつれ、何度も尻もちをついた。体にはあざが増え、手の平は擦りむけて皮膚は硬くなった。それでも、体を動かしているといつもとは別の自分になれたようだった。
(見た人をあっと言わせるダンサーになれれば、お母さんを喜ばせられる。家や車を買って、おいしいものを食べさせられる)
航太朗は一人、でこぼこな公園の地面で練習を続けた。図書館のパソコンでも世界のB-boyの動画を見漁り、見よう見まねで真似した。毎年母の日にはダンスコンサートと称して公園にお母さんを連れ出し、ダンスを披露した。音楽はなく、ただお母さんの手拍子に合わせ、ステップを踏み、ぎこちないフロアの技をくっつけて踊った。
「航太朗のダンスは、人を元気にする力がある。その力をこれからも大事に使って」
お母さんは瞳をうるませながら、航太朗の手を強く握ってそう言った。
高校生になり、アルバイトをしてスマホとスピーカーを買った。スマホで動画を見たり、ヒップホップを聞き込んだり、先人達の築きあげてきたブレイキンの世界をくまなく探求し、吸収する日々を送った。スピーカーから流れる音楽に合わせ、来る日も来る日も踊り続けた。
勉強そっちのけでブレイキンに夢中になったせいで、高校の卒業単位はギリギリだった。それでもなんとか卒業すると、日中は飲食店のアルバイトをしながら、夜にはサイファーやバトルに繰り出す生活が始まった。
父は、「ダンスなんてチャラチャラしたもんにばっかり夢中になって。もっと地に足をつけて生きろ」と口うるさく言うようになったが、そう言われるとよけいにブレイキンに執着し、しかも地面から足を離すパワームーブに力を入れるようになった。
次第に、背中を地面につけて回るバックスピンや、馬跳びの要領で足を開き回転するフレアなど、大技ができるようになり、自分にはブレイキンしかないと思うまでになった。
「ケガだけはしないようにね――」
心配しながらも背中を押してくれる母親は、ここ数年でまた一段と体調が悪化し、弱っているのが分かっていた。航太朗には時間の猶予がなかった。
そんな時、京都のクラブで開かれたバトルで対戦し、航太朗を圧倒的な差で制したのが同い年のダンサー、Keiだった。
「お前、ダンスちゃんと習ったことないんやって?」
バトル後、Keiは物珍しいものを見るように航太朗を一瞥して笑った。パワームーブを連続で繰り出し、とにかく技を見せつけた航太朗と違い、Keiは大技は出さないものの、立ちのステップであるトップロックやしゃがんだ姿勢で踊るフットワークだけで、音と会話をするようなダンスを見せ、場を支配した。
Keiの家はダンススタジオを経営しているダンサー一家として有名だった。幼いころからダンスの英才教育を受け、バレエにジャズ、ヒップホップと幅広いジャンルに触れてきたため、音の取り方から体の使い方まで、ほかのB-boyとは一線を画すような個性がある。ジャンルをまたいだフリースタイルなステップ、やわらかい股関節を使った軟体技、ひと癖効いた音の拾い方。航太朗のような独学の人間とはパフォーマンス力に大きな差があった。
(平な床でしか練習したことないようなやつに、俺の気持ちなんか分かってたまるか)
フツフツと怒りに震えながら、目にたまる涙をこぼさないよう唇を噛み締めた。
屈辱を味わったあの日から、航太朗はパワームーブの大技、エアートラックスを死に物狂いで練習してきた。
アルバイトが終わるとご飯も食べずに公園へ行き、砂だらけになりながら感覚をつかんだ。この技は、体幹に加えて腕力、瞬発力が大事だ。筋トレもプランクも毎日欠かさず、自分を鍛え抜き、今日を迎えたのだ。
(ここで必ず決める。目に物見せてやる)
航太朗は床に入るとまずはビートに合わせてフットワークを展開し、大技へ呼吸を整える。3小節目に入るタイミングで、リードが盛り上がるのを聴くと、
(今だっ)
勢いをつけて倒立のような姿勢をつくり、片手から片手へと体重を移動し、空中で大きく回転する。練習通り、上手くいっている。
「おー?!」
B-boyたちが驚きの声をあげているのが分かる。今日、エアートラックスほどの難易度の技を見せたB-boyはほかにいない。
(来た…)
航太朗は勝利を確信した。そのままエアートラックスを終え、立ち上がってもいいが、この曲は16小節に一度、後ろの音がなくなりラップだけになるところがあった。
(あそこでフリーズすれば…)
突然動きを静止してポーズを決めるフリーズは、場が盛り上がる間違いなしの技だ。エアートラックスからのフリーズに成功したことはないが、このチャンスを逃すのはもったいない。しかも今日はKeiが見ているのだ。
航太朗は音がなくなるタイミングを待った。そして、
(よしっ…!)
フリーズしようと体を折り畳み、頭の側面を地面につけてエアチェアー。
――を、決めようとした、その瞬間だった。
「ぐきっ」
全身に鋭い衝撃が走った。首に激痛を感じ、腕が,頭が、しびれて熱くなるのが分かる。そのまま力なく地面に倒れ込む。
「お、おい、大丈夫か」
事態を察したB-boyたちが駆け寄ってくる。回転の勢いに負け、首をひねってしまったようだ。脳が揺れ、ビートが歪む。
(くそ…やらかした…)
「誰か、救急車!」
B-boyたちがばたばたと慌てふためくのを聴きながら、航太朗の意識はだんだんと薄れていった。
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