霊相談
イワはアカルをつれて知りあいの怪しい女をたずねた。
ちいさな空き教室をかりて、奇怪研究会という看板をかかげている。名はウムギといい、温泉か肥やしかといった臭いを充満させた教室で、まいどこの世のものではない研究へかかりきりである。
分厚い本と、電子機器をずらりならべた棚は無骨で暗い。この暗い棚により教室の壁を埋めてしまって、陰湿でおもたい空気をもたらしている。アカルは顔をしかめたし、なれたほうのイワですら、浅く息がこぼれた。
その辛気くさいなかの真ん中にある床に座っている、女、向かって右のレンズにひび割れた眼鏡をかけているのがウムギだった。実験用の黒い手袋をはずしながら、ウムギは入ってきたふたりを一瞥した。
たちあがると足もとには腹をさかる間際らしいナマコが、まな板のうえでぐったりしていた。食べるとも思われるが、彼女は菜食でおよそたんぱく質は、豆などでとっている。おかげで痩せていて、気だるい青白さが彼女の肌から透けてみえる。イワはふしぎがって訊いてみたことがあるが、答えは、
「生物がかわいそうだから」
解剖はいいわけだとまでは訊かなかった。さほど興味もなければ、あまり関わりたくなかった。最初みたときは、異彩ながらおとなしくかわいいとおもい、おなじクラスというとっかかりもあって、イワから声をかけたのだが。
そんな馴れ初めはさておき、イワはまずウムギへわけを話した。
ウムギの瞳は聞くつどに見開いていき、健康なかがやきをともしていった。雲が晴れるようで、さいごにイワとアカルがすり抜けを実演すれば、瞬く間に快晴だった。
「おもしろいねぇ。イワ君」
「僕らは命懸けなんだ」
「病院にいかなくってよかったよ。アイツらはつねに人体実験となりうる被験者を……」
「怪しい話はいいんだ」
「君らこそ怪しいものそのもだが、まあいい。それじゃあいろいろ体をさわらせてもらえないかな」
言ったそばから黒手袋をつけて、まな板のうえのナマコは、飽きたおもちゃのように蹴飛ばしてしまう。あらためて数奇なふたりへ医者がする触診の手付きをやった。ひととおり触ったら、棚にしまってあった折りたたみ椅子を三脚ひろげた。うながされてふたりは座る。
「茶や菓子は期待しないで、水道水はある」
そう水が運ばれてくるコップは使用済みらしい五百ミリペットボトルだった。ふたりは口をつけなかった。ウムギは気にせず豪快ごくごく喉をならした。
「で、どっちかが幽霊というわけだ」
「イワ、なんでこんなあやしい人?」
アカルは室内の誰にでも聞こえる言い方だった。素直でよろしいと、イワは咳払い。
「人間としてはどうしようもなくむちゃくちゃだが、むちゃくちゃなことなんだから、むちゃくちゃに頼るべきだとおもった」
「わかった。いろんな人の見解は聞くべきかもね」
ウムギはなれているのと、好奇心とでさきさき話をすすめた。
「ともかく幽霊ともなれば、まず解剖してみるべきだな」
教室の片隅にて飽きられたナマコが黒かった。
イワはそれをチラとみつけ、ウムギにむきなおる。
「来るところをまちがった」
ウムギは制服の上着のポケットから、メスを二本とりだしてふたりのまえへ投げた。よく切れそうな刃がきれいに白かった。
「よし、ふたりで刺しあえ」
なんの屈託もないウムギだった。こんな強行にアカルは声がでない。イワはかろうじて冗談ではないかと訊く。
「どういう理屈なんだ?」
「わかるはずだ。幽霊ならもう亡くなっているんだから、亡くなることはない。刺されて亡くなってしまえば、そっちは幽霊じゃない。ちなみにその刃には血流にまぎれこむと命を奪える毒が塗ってある」
「刃物で傷つけて血がでたらならどうだ?」
「幽霊には共感覚をひきおこしたり、錯覚をもたらすものもいるという。もしも流血すら真似をし、生体反応まで模倣されるなら、ちょっと傷つけたところで贋作かはわからない。ちなみにさっき心音もすこし聴いたが、正常そうだった」
「亡くなることまで模倣できるなら?」
「変わった体質の人間だっただけ。しかし幽霊だって変異した元人間という見方もできる。未知にのぞむなら境界線をもちいてはならない。あれは既知にさずけられる安心であり、保管所だから」
「お前は刺しにこないのか?」
「私がやれば捕まるだろ。捕まるのは研究にさしさわるので嫌だ。そこで幽霊がやったなら、もう人権がなく、求刑にも意味がなくなる。もっとも幽霊の内容にもよるが。あと私はもうしかけていた。そのペットボトルのなかには、刃とおなじ毒がいれてある。しかしおもったとおり飲まなかった。不慮の事故でかたづけ損なった。管理者責任について学校側へおしつけてしまえば、いい具合にほしい結果だけをもらって損はなかったんだがな」
「ほんとうに容赦ないやつだな」
「私だって心はある。刃にしろ、毒にしろ、配慮だよ。どうせ幽霊かもしれないという罠にかかったときから、真実はどちらかの消滅のほかはないだろ。それとも自信がないかな。自分の生きている自信が」
不倫理、不法をこうまで自信をもってくだそうといった輩はなかなかだが、一理あってふたりは気まずくなった。メスがいまかいまかと光って笑うこの現状にあって、手っとり早い。しかしたしかにこわかった。アカルは唇を噛みしめ、眼下にあるペットボトルをみつめていた。無色透明へひそんでいる毒の表情はうかがえない。
イワはあのとき好色をおこして肩をあてにいかなければと、悔いがあった。アカルの顔をここまでへこませることはなかっただろうと。
そこでメスをひろいあげた。
ふたつともアカルへ差し出した。
「こんな度胸試しでくらくなっていられない。これを持っていて、もし覚悟があるなら僕をやるなり、自分をやるなり好きにしろ。僕から幽霊を明かすにはちょっと妥当じゃない。だからとりあえずやれるだけやって、お前にたくす」
変わった心中立てだなとウムギは、好奇の瞳をらんらんとさせた。
アカルはイワをみつめながら、やがて真剣になっていきメスを受け取る。
「私にぜんぶ押しつけていいの? すぐ刺すかも」
「僕は女をみる目がないし、君へよこしまな気持ちからわざとぶつかりにいった卑劣だ。だが卑劣なために正直にいえば運がわるかったと、どこか自分でおもっている。いまも自分はわるくないと逃げてもいる。逃げているということは、自分は君へ心ならずひどいことをしたともおもっているんだ。ならこれがほどよくないか? 僕は君をめんどうだと感じているが、めんどうながら君に責められてしかたないんだ」
「ちょうどいい落としどころ。まぁ、そうかもね。べつに仲良くはできない。あなたみたいな根性やつは嫌いで、私の手を汚す価値もない」
「かまわないさ。僕らはどのみち決別する。どっちが幽霊か片がつけば別れられる。清々する」
ふたりは敵同士にして微笑みあった。
そんなふたりへウムギは、
「生き物がかわいそうだから。では、君らの意志について棄損しない方法をかんがえよう。私もおもしろいので知恵をかすさ」
と言い、飽きた黒いおもちゃをひろいあげると、そばにあったゴミ箱に捨てた。
幽霊葬 外レ籤あみだ @hazurekujiamida
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