第6話:効率的な地獄の歩き方

 煙が立ち込める地下通路。

 粉砕されたコンクリートと、テロリストたちのうめき声が、洞窟のような空間に反響していた。


 氷室冴子は、震える手で折れかけた魔力伝導剣を杖代わりにし、ようやく立ち上がった。

 視線の先には、先ほど爆心地の真ん中に立ち、生身で爆発を食い止めた少年の後ろ姿がある。


「待って……。貴方、何者なの? どの部隊の所属?」


 冴子の問いかけに、少年――光石壮真は足を止めることなく、肩越しに冷たい視線を投げた。


「所属なんてない。ただの高校生だ。……少し、死ぬ気が足りなかったんじゃないか、エリートさん」


「なっ……。私は、市民を守るために全力を尽くしたわ。それが国家異能管理機構の、聖騎士団としての正義よ」


 冴子の瞳には、矜持と少年に対する困惑が混じっていた。

 壮真は鼻で笑い、無造作に地面に落ちたテロリストのナイフを蹴り飛ばした。


「正義、か。そんな高尚な理念で動いているわけじゃない。俺はただ、この街のインフラが止まって、俺の『効率』が落ちるのが嫌だっただけだ。テロで電車が止まれば、明日からの修行計画が狂う」


「……たった、それだけの理由で命を懸けたというの?」


「命は懸けていない。死なない計算が立っていたから、ここに来た。損得勘定だよ。俺にとって、あんたの命を救うコストよりも、街が混乱するデメリットの方が大きかった。ただそれだけだ」


 あまりに無機質な言葉。

 冴子は言葉を失った。

 彼女が知るどの英雄も、どの戦士も、最後には「誰かのために」という想いを持っていた。

 だが、目の前の少年からは、機械のような合理性しか感じられない。


「貴方は……何を見て、そんな風になったの?」


「……泥水を啜りすぎて、味が分からなくなっただけだ」


 壮真はそれだけ言い残し、出口へと歩き出した。


 ◇


 地上へと続く非常階段の出口付近。

 生き残ったデッドエンドの構成員たちが、一台の大型装甲車両に乗り込もうとしていた。

 機構の追っ手が来る前に、スラムの奥深くへ逃げ込む算段だろう。


「クソが、何なんだあのガキは……! 行け、出せ! 邪魔なものは全て轢き殺せ!」


 排気音が鳴り響き、数トンの質量を持つ鉄塊が加速する。

 出口を塞ぐように立つ壮真に向かって、装甲車が猛スピードで突っ込んできた。


 普通なら、回避一択。

 だが、壮真は逃げない。

 彼は深く腰を落とし、右拳を胸元に引き絞った。


「【スキル・コンバート】――出力全開」


 本来、身体組織を修復するために巡るはずの膨大な再生エネルギー。

 壮真はそれをあえて「修復」に使わず、一箇所に無理やり圧縮・固定した。

 右腕の血管が破裂し、皮膚が裂け、血が噴き出す。

 だが、噴き出した血が地面に落ちる前に、異能が肉を繋ぎ直し、さらに高密度のエネルギーを詰め込んでいく。


 破壊と再生の超高速循環。

 その歪みが、拳の先で物理的な衝撃波の塊へと変質する。


「――ぶっ壊れろ」


 踏み込みと同時に、壮真の拳が装甲車のフロントグリルを捉えた。


 ドォォォォォォォンッ!!!


 鼓膜を揺らす轟音。

 次の瞬間、物理法則を無視した光景が広がった。

 加速していた数トンの装甲車が、壮真の拳一つによって完全に「静止」させられたのだ。


 いや、止まっただけではない。

 衝撃波が車体を貫通し、フロントからリアにかけて、鉄板がアルミホイルのようにくしゃくしゃに折れ曲がる。

 エンジンは粉砕され、タイヤは衝撃に耐えきれず一斉にバーストした。


 ただの高校生が、生身の拳で、時速八十キロの装甲車を廃車にした。

 車内にいた構成員たちは、衝撃¥によって気絶していた。


 壮真は、真っ赤に染まった自分の右腕を見た。

 骨が砕け、肉が爆ぜ、むき出しになった神経が白銀の光に包まれている。

 一秒後、そこには傷一つない、元の白い肌が戻っていた。


「……反動がデカすぎるな。まだ肉体の強度が、エネルギーの圧縮率に追いついていない」


 彼は自嘲気味に呟き、目の前の鉄屑を無視して、夜の街へと消えていった。


 ◇


 数時間後。

 ネオ・トウキョウの中心街にある、二十四時間営業のチェーンカフェ。

 深夜の店内は、仕事に疲れたサラリーマンや、行き場のない若者たちの気配で満たされている。


 壮真は窓際のカウンター席に座り、マグカップに注がれた特濃ブラックコーヒーを見つめていた。

 彼は周囲を気にすることなく、懐から小さな黒い瓶を取り出した。


 『ヴォイド・ゼロ』。

 それを数滴、コーヒーの中に滴下する。

 澄んでいた黒い液体が、一瞬でどろりとした紫色の澱みを湛え、周囲に独特の、饐えたような腐敗臭が漂い始めた。


「……ふぅ」


 壮真はためらうことなく、その「汚物」に近い飲み物を一口啜った。

 喉が焼け、胃壁が剥がれ落ちるような激痛が走る。

 脳が直接熱せられた金属で掻き回される感覚。

 彼は眉一つ動かさず、その痛みを噛み締めるように飲み込んでいく。

 痛覚が走り、再生が始まる。その瞬間の魔力の微増こそが、彼にとっての唯一の安らぎだった。


「おや……。珍しいものを嗜んでいるね」


 不意に、隣の席から声がした。

 

 そこに座っていたのは、質の良いチャコールグレーのスーツを着こなした中年の紳士だった。

 整えられた髭、穏やかな眼差し。だが、その瞳の奥には歴戦の覚醒者だけが持つ、独特雰囲気があった。


「その臭い。二十年前に廃棄されたはずの、失敗作の劇薬だ。まさか現代で、それを『嗜好品』として飲む人間に会えるとは思わなかったよ」


 壮真はコーヒーカップを置かず、視線だけを男に向けた。


「……ただの健康食品ですよ。アンチエイジングにいい」


「ははは、面白い冗談だ。そのアンチエイジングで死ぬ人間が続出した薬だからね」


 男は楽しげに笑い、自分の紅茶にゆっくりと砂糖を入れた。

 その所作には、一切の隙がない。


 壮真の直感が、警報を鳴らしていた。

 この男は、これまでに遭遇したどのテロリストよりも、あの氷室冴子よりも、遥かに「深い」場所にいる人間だ。


「君のその『臭い』。覚えておこう。いずれ、もっと広い場所で、その力を振るう機会が来るはずだ」


 男は席を立ち、伝票を手に取った。

 壮真は、男が去っていく後ろ姿を無言で見つめ続けた。


 男が座っていた席のテーブル。

 そこには、一輪の黒い百合の刺繍が入ったハンカチが、わざとらしく残されていた。


 壮真は残りのコーヒーを飲み干し、痛覚の中で思考を巡らせる。

 自分の歩いている道がこの世界の裏側にある巨大な潮流に繋がり始めていることを、彼は肌で感じ取っていた。


「ったく……どいつもこいつも、俺の平穏を邪魔するなよ」


 呟きは、無音の店内に溶けて消えた。


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【絶対に死なない社畜】二度目の人生は人類最強の暴力で異能社会をぶっ壊す〜ランクEの不適合者が劇薬と自傷で限界突破〜 いぬがみとうま @tomainugami

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