第5話:異能都市の女聖騎士

 第十三区、通称スラム区の地下。

 張り巡らされた古い下水道と配管の隙間から、どろりとした悪意が染み出していた。


 ネオ・トウキョウの都市機能を支える「中央魔力変電所」。

 この巨大なインフラ施設の下層に、黒い戦闘服に身を包んだ集団が潜伏している。

 未公認異能犯罪組織「デッドエンド」。

 機構への登録を拒み、その力を破壊のみに捧げるテロリストの集団だ。


「準備は整った。この街の『光』を全て消し去れ」


 リーダーと思わしき男が、禍々しい紫色の光を放つ異能爆弾を設置する。

 これが起爆すれば、ネオ・トウキョウの三分の一は闇に沈み、暴走した魔力が街中に溢れ出す。

 市民たちの平穏な日常は、一瞬にして地獄へと書き換えられるだろう。


 だが、その計画を阻む者がいた。


「――そこまでよ、デッドエンド」


 天井の排気口を蹴破り、一人の女性が舞い降りた。

 白銀の装甲が施された制服。腰には、機構の最高技術で造られた魔力伝導剣。

 国家異能管理機構の精鋭部隊「聖騎士団」第五部隊長――氷室冴子だ。


 彼女が剣を抜いた瞬間、地下の不快な熱気が一気に凍りついた。

 凛とした空気。一切の無駄を排した立ち振る舞い。

 ネオ・トウキョウの「正義」を象徴する彼女の登場に、テロリストたちに動揺が走る。


「聖騎士団……機構の犬が……! 全員で殺せ!」


 数人の犯罪者が一斉に異能を放つ。

 電撃の奔流、鋼鉄を穿つ風の刃、重圧を伴う重力波。

 冴子はそれらを、優雅とも言える剣捌きで次々と受け流していく。

 


 ◆



 その光景を、数十メートル離れた配管の影から、俺は静かに見守っていた。

 

 スラムの支配構造を探る途中で、このテロ計画を察知した。

 機構の部隊が到着するにはまだ時間がかかる。

 一人で先行したらしいあの女騎士――氷室冴子の実力は、俺が見てきたどのアタッカーよりも遥かに上だ。

 

 だが、戦況は芳しくない。

 デッドエンドの連中は、正面から戦うつもりなど最初からなかった。

 

「罠……か」


 俺が呟いた直後、冴子の足元の地面が光を放った。

 異能を無効化、いや、もしかしたら乱反射させる「妨害フィールド」。

 彼女の美しい剣技が、光のノイズに阻まれて軌道を狂わされる。


「くっ……!?」


 動きが止まった一瞬を、テロリストたちは見逃すはずがない。

 リーダーの男が、既に起爆態勢に入った異能爆弾を、冴子の至近距離へ放り投げる。

 

「歪んだ正義と一緒に、塵に帰れ! メス犬!」


 紫色の閃光が膨張を始める。

 逃げ場のない地下通路。広範囲を消滅させるほどの魔力爆発。

 妨害フィールドに捕らわれた冴子は、回避を断念した。


 彼女はせめて被害を抑えようと、剣を地面に突き立て、防御結界を展開しようと試みる。

 だが、爆発の予兆はそれを上回る速度で彼女を飲み込もうとしていた。



 ◆



 死を――。

 冴子は、直撃による消滅を覚悟した。

 せめて一人でも多くの市民を守るため、その命を燃やす決意を固めた。


 その瞬間だった。


「――無茶をするな、エリート」


 爆心地と冴子の間に、黒い影が割り込んだ。


「え……?」


 冴子の目に映ったのは、フードを深く被った一人の少年の背中だった。

 武器も持たず、装甲すら身につけていない。

 ただのパーカーを羽織っただけの、無防備な身体。


「逃げて……! そこはもう――」


 冴子の警告は、轟音によってかき消された。


 ドォォォォォンッ!!!


 紫色の爆炎が地下通路を埋め尽くす。

 鉄筋コンクリートが飴細工のように溶け、衝撃波が配管を粉々に砕く。

 至近距離での異能爆発。

 直撃すれば、Sランクの覚醒者ですら肉片も残らない。


 爆炎が吹き荒れる中、周囲は音を失った空白に支配された。

 もう、終わりだ。

 冴子は目を閉じた。自分のために身代わりに立ったであろう、名もなき少年の死に胸を痛めながら。


 だが。

 いつまで経っても、彼女の元に熱波は届かなかった。


「うん……判定終了。熱線耐性、獲得」


 少年の声が響く。

 

 冴子が恐る恐る目を開くと、そこには信じがたい光景が広がっていた。

 猛烈な爆炎を、少年の「背中」がすべて受け止めていた。

 彼のパーカーは一瞬で蒸発し、剥き出しになった背中の皮膚は、焼ける端から白銀の光を放って再生している。

 

 蒸発と再生。

 消滅と構築。


 その二つがナノ秒単位で繰り返され、彼の背中は文字通りの「不動の盾」となって、背後の冴子を完璧に守り抜いていた。


「あ、ありえない……。生身で、あの爆発を……?」


 冴子の震える声が漏れ、少年に向け刃を構え直した。

 彼女の目の前にあるのは、人間という言葉では到底説明できない「異形」のタフネスだった。

 

 少年――光石壮真は、ゆっくりと振り返った。

 背中から上がる白煙。再生しきった肌は、以前よりも一層硬質な、大理石のような質感を湛えている。

 彼は顔の半分をフードで隠したまま、呆然とする冴子を冷たく見下ろした。


「聖騎士団がこの程度の罠にかかるようじゃ、この街の警備体制も先が知れているな」


「貴方は……誰なの?」


「ただのサポーターだ。……それよりも、仕事の続きをしろ。残りの残党は、俺が一人で処理する」


 壮真は冴子に背を向け、爆炎の中から現れたテロリストたちへと歩み出した。

 

 テロリストたちは、幽霊でも見たかのように震え上がっていた。

 最高威力の爆弾を喰らって、無傷。

 その事実は、彼らがこれまで積み上げてきた暴力のロジックを根底から破壊していた。


「な、なんだお前は……! 何をしたんだ!」


「ただの『トレーニング』だよ。……死なない程度に、体を鍛えただけだ」


 壮真の右拳に、白銀の光が収束する。

 それは回復のエネルギーを「破壊」へと反転させた、彼独自の衝撃波。

 

 ドッ、という短い音とともに、地下通路の空気が爆ぜた。

 リーダーの男が、反応する暇もなく壁にめり込む。

 

 冴子は、ただ立ち尽くしていた。

 ネオ・トウキョウの闇の中に現れた、圧倒的な質量を持つ「最強の壁」。

 その背中が、自分の知るどの騎士よりも、頼もしく見えて胸が高鳴っていることに、彼女はまだ気づいていなかった。


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