第4話:ブラック企業の遺産

 ネオ・トウキョウの街並みを見下ろすと、この世界の「色」が以前とは違って見える。


 歩道を行き交う人々、空を飛ぶ警備ドローン、巨大なビルに映し出される覚醒者ランキングの広告。

 その全てが、今や俺にとっては攻略すべき「システム」の一部に過ぎない。


 この国の「異能格差社会」は、前世のブラック企業よりも徹底した搾取構造の上に成り立っている。

 華やかなアタッカーたちが巨万の富を得る一方で、回復や補助を専門とするサポーター職は、公的な「電池」として管理機構に囲い込まれる。


 彼らは低賃金で酷使され、肉体と精神の限界まで働かされた挙句、魔力が枯渇すればポイ捨てされる運命だ。


 前世で見た「非正規雇用」や「使い捨ての派遣社員」と何ら変わりはない。

 組織という巨大な怪物を維持するための、安価な交換部品。

 それが、ネオ・トウキョウにおけるサポーターの正体だ。




「……反吐が出るな」


 俺は屋上のフェンスに寄りかかり、手元のタブレットで「生体防壁」の契約要項を眺めた。


 そこには『二十四時間の待機義務』『生命維持が困難な状況下での優先的挺身』といった、狂った文言が並んでいる。

 機構の連中は、俺の【超速再生】を「何度でも使える無料の修理キット」だと見なしている。


 死なないからこそ、死ぬより苦しい現場に何度でも放り込める。

 一度でもその管理下に入れば、俺の人生は永遠に他人の利益のために消費され、最後には摩耗して消えるだろう。


 だが。

 俺には、前世では出来なかったが、今ならできる最強の武器がある。

 理不尽な要求を飲み込みつつ、その裏でシステムの隙間を突いて自分の取り分を確保する。


 壊れるまで働かされる前に、会社そのものを乗っ取るか、再起不能なダメージを与えて脱出する。


 社畜として泥水を啜り続けた日々が、俺の「合理的な牙」を研ぎ澄ませた。



 ◇



 夜。自室の床には、十数本もの空き瓶が転がっていた。


 劇薬『ヴォイド・ゼロ』。

 本来は一滴で常人の心臓を止める毒を、俺は今や、仕事中の栄養ドリンクのように煽っている。

 

 服用した瞬間の激痛は、今も変わらない。

 神経が一本ずつ焼き切られ、脳が沸騰するような地獄。

 それでも俺の心は驚くほど落ち着いていた。

 激痛は、肉体が更新されている「ログ」だ。

 苦痛の大きさは、上昇したステータスの「数値」に比例する。


 そう思考を切り替えるだけで、地獄の業苦は単なる「必要なコスト」へと変わる。


「……ステータス、表示」


 空中に、俺だけにしか見えない半透明のウィンドウが浮かび上がった。


『魔力貯蔵量:測定不能(オーバーフロー継続中)』

『肉体密度:Aマイナス相当』

『神経伝達速度:S相当』

『固有スキル:【超速再生】――派生展開を確認』


 表示される数値は、もはや「高校生」という枠組みを遥かに逸脱していた。

 ネオ・トウキョウでエリートとされるアタッカーですら、これほどの数値を叩き出すには血の滲むような戦場を何年も潜り抜けなければならない。


 それを俺は、毎晩の「自傷レベリング」だけで手に入れた。


 俺は自分の能力を再定義する。

 これは「回復」なんて生易しいものじゃない。


 破壊されるたびに、その環境に適応した最強の自分へと作り変え続ける「継続的セルフアップデート」だ。


 敵の攻撃、毒の激痛、精神的な負荷。

 その全てが、俺を人類の限界を超えた「怪物」へと押し上げるための燃料に過ぎない。

 

 右拳に力を込める。

 ミシミシと骨が鳴る。空気が歪むほどの威圧感が室内に満ちた。


 今の俺なら、あの木戸が放った炎など、ただの温風にしか感じないだろう。

 だが、まだ足りない。

 機構という巨大な権力に対抗するには、個人の力だけでは限界がある。


「表のルールで戦うつもりはない。……まずは、この世界の『バグ』を探るか」


 俺はタブレットの画面を切り替え、地図上に表示された赤い禁止区域をタップした。

 

 ◇


 第十三区。通称「スラム区」。

 ネオ・トウキョウの繁栄の陰に隠された、法の届かない治外法権地帯だ。


 そこには機構への登録を拒否した「未登録覚醒者――イレギュラー」や、異能を用いた犯罪組織が跋扈している。

 機構の監視カメラも、覚醒者のGPS追跡も、ここまでは届かない。


 俺は木戸から奪った制服の上から、目立たない黒いパーカーを羽織った。

 フードを深く被り、スラムの入り口へと足を踏み入れる。


 空気が重い。

 饐えた匂いと、行き場を失った暴力の気配が路地裏に充満している。

 

「おい、ガキ。迷子か?」


 暗闇の中から、三人組の男たちが現れた。

 肌の一部が異能の暴走で変質し、凶悪な光を帯びている。

 未登録の犯罪者たち。

 彼らは手に持った鉄パイプやナイフを弄びながら、俺を囲った。

 

「そのパーカー、高そうじゃねえか。置いていけば、命だけは助けてやるよ」


 男の一人が、手のひらから不気味な黒い液体を滴らせる。

 『Bランク・溶解液』。

 触れれば金属すら溶かす、サポーターにとっては天敵とも言える攻撃能力。

 

「……いい素材だ」


 俺は独り言のように呟いた。

 恐怖はない。あるのは、新しくアップデートした自分の肉体が、この「溶解液」に対してどれほどの適応を見せるかという純粋な興味だけだ。


「なんだと? ビビって頭がおかしくなったか!」


 男が溶解液を俺の顔面に向けて放り投げた。

 俺は一歩も引かず、むしろ自らその液体を顔面で受けにいった。


 ジュウウウ、という肉の焼ける凄まじい音が響く。

 顔の半分が溶け落ち、剥き出しの頭蓋骨が覗く。

 男たちが勝ち誇ったような笑い声を上げた、その直後だった。


「――判定終了。この程度の酸なら、一秒で耐性を作れるな」


 白銀の光が俺の顔面を覆った。

 次の瞬間、溶け落ちたはずの皮膚が、以前よりも遥かに滑らかで、強固な質感を持って再生した。

 滴る溶解液は、俺の新しい肌に触れた瞬間に無害な水のように弾け飛ぶ。


「な、なんだよ……! 化け物かよ!」


「化け物じゃない。……ただの『社畜』だよ。死なない程度に壊されることには、慣れているんでね」


 俺は驚愕で動きを止めた男の胸ぐらを掴み、そのままコンクリートの壁に叩きつけた。

 衝撃波が路地裏を揺らし、男の肋骨が砕ける乾いた音が響く。


 残りの二人が逃げ出そうとするが、俺の神経伝達速度は既に「S」に達している。

 逃がすはずがない。

 瞬きをする間に背後に回り込み、彼らの後頭部を優しく・・・地面へ叩き落とした。


 静まり返った……いや、喧騒が遠のいた路地裏で、俺は自分の拳を見つめた。

 

「テスト終了。実戦でのデータは十分だ」


 俺の目的は、ここの犯罪者たちを倒すことじゃない。

 彼らを支配し、機構の手が届かない独自のネットワークを構築すること。

 そして、いずれは機構そのものを内部から食い破るための「独立組織」を作り上げることだ。


 機構に従うのではなく、機構を壊すために。

 俺はスラムのさらに深部、この街の「闇」が最も濃い場所へと足を進めた。

 

 光石壮真の野心は、もはや一高校生の枠を超え、この世界の支配構造そのものに向けられようとしていた。


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