第17話
「おはよう浩一」
「あぁ、おはよう楓真」
運動会が終わり振替休日となった月曜日、僕と浩一は駅で待ち合わせをしていた。
ここから電車で一本で康誠の練習場所まで行けるのだ。
「悪いな付き合わせて」
「全然そんなことないよ、僕も康誠がどんな練習しているのか気になってたし」
そんなことを言っていると電車が来たので乗り込む。
実際のところ康誠の練習内容は気になる。
ピアノや将棋のようにやろうと思えば無限にやれるものと違って、サッカーには練習相手や場所がいる。
たがら常に練習することはできないし、肉体的にも限界がある。
そういった意味でも練習風景は見てみたかった。
最寄りの駅を降りると信号をこえ、道なりに進んでいく。
すると開けて場所に出て、近くに緑色のネットが見える。
その先には芝生で作られたサッカーコートが複数存在している。
康誠が属しているジュニアのコートに向かうと練習している姿が見える。
「……なんだ、これ?」
練習風景を見ていると浩一が理解できない様子で呟く。
僕も同じ気持ちで言葉が出なかった。
違う。これは違う、別次元だ。
今やっているのはボール回し、一人が鬼になってボールを奪いに行く。そしてボールを取られないようにパスを回す。
普通にやれば鬼側が不利だろう。ただし普通にやればだ。
まずボールが二つあり、パスを出す前にボールを受けた後誰にパスを出すかを指定する。
ボールはワンタッチで返す必要があり、自分をパス相手として指定してはいけない。
正直言って意味不明な光景が広がっている。
あまりにも速いパス回しと針に糸を通すような正確性がある。
そしてパス回しにおいて中心にいるのは康誠だった。
指での指示や声が掛け、視線の全てでボールを完璧に支配している。何より視野の広さが異常で外から見ても分からないパスコースを通す。
普通ではない光景が目の前に広がっている。これがプロを目指す場所の練習。
それからしばらく練習を眺めた後、近くのベンチに腰を下ろす。
「レベルが違うな」
「まあ……そうだね」
否定するのは嘘になるので素直に肯定する。
康誠が僕を来るように言った理由を理解させられた。一人で抱えるには大きすぎる現実が目の前に存在している。
「ただ、全員が全員レベルが違うわけではなかったよ」
実際のところ何度も鬼の交代は行われたし、パスミスは多かった。
それでも十分すぎるほど上手ではある。
「やっぱり康誠は別格だったな」
そう、問題はそこだ。
周りがついていくのに精一杯って感じの中、康誠だけは練習をどうするかで過ごしていた。
もちろんミスはあったが、それは挑戦による失敗だった。ついていけずに発生したミスではない。
「……どうする浩一?」
僕はとりあえずそう口にした。
断定する言葉を使わずに投げかけ、これからの事か練習を見続けるか帰るか、どうとでも捉えられるようにした。
「そうだな、とりあえず勝負するものは変えないとな」
「勝負するもの?」
「俺が技術で康誠に勝つのは厳しいだろ、もちろん練習しないわけじゃないが、技術で勝負するのは違うだろ」
「なるほど、じゃあどこで勝負する?」
「……それを考えないとな」
浩一はそう言って立ち上がると再び練習風景を見始める。
パス回しから始まった練習はトラップからの加速、シュート練習といった様々なものに変わっていく。どれもレベルが高く唖然とする。
そして最後の練習である紅白戦が始まる。
AチームとBチームが試合を行う。
ボールを持つと徹底したトライアングルの形でパスを回していく。
僕には分からないが何かしらのルールに則ってゲームが作られているのが伝わってくる。
ボールを奪うタイミングと空間の潰し方を誰かしらが毎回指示を出して行う。
組織的という言葉はこういうのに対して使うのだと思った。
そして康誠への縦パスが行われた。少し弾んだ形のパスを磁石でも付いているんじゃないかと思わせるような、弾ませることなく足元におさめる。
目の前のディフェンスと相対した直後、右翼を確認するために一瞬視線を送ると、左足でボールを切り返す動作に相手がついて来たのを確認して、左足をもう一度切り返しまた抜き。
徒競走で見せた走り出しの速さを生かして抜き去り、フォローに来たディフェンスと相対する。
すると康誠は一瞬動きを止めて眉間に皺を寄せる。らしくない仕草だと思ったが、すぐさま抜き去りシュートを放つ。
綺麗な放物線を描き、右の隅にボールが突き刺さる。
「……まじかー」
僕は口を大きく開けてそう口にしていた。それだけ衝撃的で圧倒的だった。
それからの試合展開は一方的だった。康誠にパスを通してシュートを決める。ただそれだけだった。
上手いタイミングで毎回康誠が抜け出している。抜け出せなくても相手のディフェンスを引き寄せて、フィールド上をかき乱している。
その姿を見て僕は康誠が凄いのはこの部分だと感じた。ボールを持っていない時も献身的とも言えるほど徹底して動いている。
オフザボールと言われるものだ。
紅白戦はAチームが五点を獲得して終わった。
「康誠やりずらそうだったね」
「そうか?俺はやりたい放題しているように見えたけど」
「Aチームってことは実力的に上で、康誠という圧倒的なエースがいるのに康誠がやりたい放題なのは変に思うよ」
僕は本来なら康誠がやりたい放題ではなく、Aチームがやりたい放題する。そしてその中心に康誠がいるという感想を抱くと思っていた。
「まあ、確かに周りに差はなさそうに感じたな」
浩一はそう言うと少し表情が明るくなる。
僕が見た限りなら付け入る隙は十分にあるだろう。
ただ康誠にそれが見えないのが恐ろしいところだ。
「練習も終わりみたいだし帰るか」
「そうだね、帰ろうか」
現実が見えた一日が終わり、僕達は家に帰る。
浩一がどう考えどう行動するか分からないが、僕は心のモヤモヤを晴らすために動画を見始める。
検索した内容は「サッカー 神パス」。
夕飯を食べつつ僕はプロの試合を編集してあるパスの動画を見る。
そして確信を得てから早めに寝て、早起きをする。
「おはよう康誠」
「おはよう楓真、珍しいな火曜日なのに早く来て」
「少し身体を動かしたい気分でさ」
僕はそう言ってサッカーに参加する。
チームバランス的に僕は康誠と同じチームになるので都合が良かった。
朝のサッカーは基本的にマンツーマンでディフェンスがつく。誰かが抜け出したらフォローに行くという形だ。
試した事が試しやすい環境だ。
僕は右翼側にいて、奥に味方と相手がもう一人いてディフェンスと一対一。
そしてちょうど康誠へボールが渡り、目の前のディフェンスが僕から視線を一瞬だけ外す。
そのタイミングで僕は裏へ抜き出し、指を伸ばしてパスの欲しい位置を示す。
康誠は常に周りを見るために顔を張っている。ボールを受け取る直前は必ず顔を振る。
康誠が顔を上げてこっちを見た時、目が合い、楽しそうに笑ったように見えた。
その瞬間縦パスが僕へあがる。恐らく康誠は習慣で周囲を見ただけでパスの選択肢などなかったのだろう。
恐ろしく難易度の高いパスが来た。
康誠なら上を通過するパスをピタリと止められるが、僕には不可能だ。
このままだとパスの勢いで前に転がってキーパーが先に触る。
奇跡を起こしてバウンドの前で止めなければ。
「スルーでいい!」
後ろから康誠の声が聞こえたので指示に従う。
すると地面に触れたボールにはバックスピンがかかっていて僕の方へ転がってくる。
キーパーはパスをカットするために前に詰めている。
僕はボールの下を蹴って浮かしたシュートを放つと、キーパーの頭上を変えてゴールに入った。
今までのサッカーの中で一番スムーズに決まったシュートに歓声が上がる。
「やるな楓真!」
真っ先に駆け寄って来たのは康誠だった。
讃えるように肩を強く叩かられる。
「いや、康誠のパスのおかけだよ」
「あのタイミングで抜け出すやつなんて、この年代にはほとんどいないんだぜ。楓真へのパスが通らなくても、スペースが空いて後ろが動きやすくなるし俺の選択肢も増える」
康誠が説明した通り、僕は自分へのパスと後ろにいた味方のスペースを広げて、もう一つのパスの選択肢を増やしたのだ。
言うなれば、叩きの歩。のような一手だろう
金や飛車の前に歩兵を打つことで前に動かし、機能させなくする一手のことだ。
時には囲いとして機能を奪ったり、攻め駒としての機能を奪う一手。
前に一つしか進めない歩兵が命をとして他を生かす。
僕は見るべきは目先の損得ではなく、全体の利益だと知っている。
僕がサッカープレイヤーとしての機能を失ったとしても、他のプレイヤーが活きるのならそれでいいのだ。
「やっぱり、自分を勝負の駒だと認識できるやつは強いな」
「それって康誠も?」
「当たり前だろ。と言っても俺は飛車か角だけどな」
康誠はそう言って笑う。将棋において飛車と角の価値は高い。
AIや棋書において駒に価値をつける事があるが、玉に次いで飛車と角が高く、銀や金に30点以上の差をつけている。
「なら僕は歩でいいかな。ただ歩は飛車や角の邪魔ぐらいならできるから」
この日から僕のスポーツに対する見方が変わった。
劇的に技術が向上したわけでもないが、役に立てるようになった。
そしてこの変化は少しづつ浩一にも現れることになり、あっという間に夏休みになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます