第16話

 「いよいよ待ちに待った運動会の日がやってきましたーー」

 僕と西田のいざこざから三日が経過し、運動会の日がやってきた。

 クラスの空気は決していいものじゃないが、浩一と康誠が団結しているから形にはなっている。

 かなり早起きして準備していた母さんの期待を裏切ることはなさそうだ。

 「なあ楓真、月曜日って暇か?」

 お決まりのセリフを聞いていると、後ろから康誠にそう聞かれる。

 月曜日は運動会の振替休日となっているので、一日中暇だ。

 「月曜日?うん暇だけど」

 「なら、俺の練習を見にこないか?」

 「それは行きたいけど、行っていいものなの?」

 「あぁ、練習風景は一般公開されてるからな。特に許可はいらない」

 「それなら、行くよ」

 僕が承諾すると、康誠は安心した様子を見せる。どうして安心したのか分からず首を傾げる。

 「まあ、見たら分かるってやつだ」

 康誠は僕の疑問に答えるようにそう言うが、抽象的だ。

 だがそれ以上答える気はないのか、いつの間にか行われていた選手宣誓に目を向ける。

 それから選手宣誓が終わってラジオ体操をした後、各自の席へ戻る。

 ダンボールとビニール袋で作った簡易的な座椅子に座って競技を見る。

 四年生の最初の競技は50メートル走で、僕たちは並び順に並んで待機する。

 先に男子が走ってから女子が走る。

 僕の競争相手は幸いなことに運動が得意な人ではなさそうだった。と言っても僕自身は多少持久力があるだけで速くはないので結果は横並びの三位で終わる。

 喘息持ちが走り切れたことを賞賛しよう。

 そんな事を考えていると浩一の番になる。足の速い人は軒並み後ろの列に回されている。

 アナウンサーの先生が浩一の列の生徒名を全て言い合えると、「位置について!」という掛け声と同時にランナーが前傾姿勢を取る。

 ピストルの音と同時に一斉に駆け出す。最初の二秒間は横並びだったが、次第に浩一が抜きん出ていく。

 そしてそのまま浩一が一位となった。

 待機所に戻ってきた浩一が小さくガッツポーズをしたのを捉えた。

 そして浩一の次のレースは康誠の番で、最後のレースとなる。

 さっきと同様に名前が呼び終えると開始の火蓋が開かれる。

 ただ、さっきと違うのは始まった瞬間から結果が分かりきっている事だろう。

 最初の五歩で差が付き始めたのだ。足の回転速度と一歩で地面を蹴る力が群を抜いて、トップスピードに乗るのが速い。

 恐らく百メートルを走るのには適していない走り方だろう。だがトップスピードに乗るフェーズである五十メートル走なら最適な走り方だ。

 黄色い歓声を受け、最後は流すようにして康誠は一位でゴールした。

 男子のレースが終わって男子が退場すると女子のレースに移る。

 「二人共速かったね」

 「楓真も普段よりも速かったな」

 三人でお互いを称賛していると女子のレースが始まる。

 まず最初に華凛が走っていた。あまり運動が得意でないらしく最下位の六位に終わる。

 そして僕と同じようなタイミングで和奏の番がくる。遠目からでも分かるぐらい表情が硬い。

 それは注目を集めているからではなく、目の前の五十メートルに対するものだ。

 ピストルの音が鳴らさせると和奏はドンピシャのスタートを切る。

 最初の十メートルこそリードしていたが、しだいに追いつかれていく。結局のところ和奏は三位でゴールをした。だが素人目に見ても完璧なスタートに周りの女子から賞賛を受けている。

 それからしばらく時間が経過すると最終レースになる。その中には葵の姿がある。

 葵には特に緊張した様子はなく、軽くステップを踏んで体をほぐしている。

 それからピストルの音が鳴らさせると一斉にスタートする。最終レースだけあって全員が速いが、すぐさま葵が抜きん出ていく。

 葵は後続に五メートル程の差をつけて一位でゴールをした。

 「あんな速いんだ」

 「葵は四歳からバドやってるんだ当然だろ」

 僕が唖然としていると近くにいた西田がえばるようにそう説明する。

 いざこざの後は一切話していなかったが急に話してきた。

 「そうだったんだ、知らなかったよ」

 僕がそう答えると西田は満足したのか去っていく。

 視線を葵に向けると周りの女子に称えられている。足の速さだけだったら康誠と似たようなものを感じる。

 そんなことを考えていると女子の退場が終わる。赤組と白組は反対側に席がある。

 テントも設営されていて比較的過ごしやすい。

 康誠達と他の競技を観戦しているとお昼休憩となる。

 運動会のお昼は基本的に親と合流して食べるのが普通だ。

 多くの生徒が一斉に移動し始めるため、僕は少し待つ。

 誰もいない校庭を眺めてお昼のことを考えていると、ふと朝に母さんが何度も言っていた事を思い出す。

 「今日は張り切っちゃってお弁当作りすぎたわ。お友達呼んでも大丈夫なぐらいにね」

 運動が得意じゃないから張り切らないでくれ。と思ったりもしたが母さんなら張り切るだろうと納得した。

 ただやけにしつこく言っていたことを覚えている。学校に行く直前すら言われた。

 そこでふと横を向く。

 そこには友達に手を振って見送る和奏の姿があった。人気者の和奏は何人もの友達と話していた。

 そして時間が経つと和奏は一人になった。

 寂しそうに座る和奏の姿を見て、僕は母さんの意図を理解する。

 「お疲れ和奏。徒競走のスタート凄かったよ」

 「耳だけはいいからね。おかげさまで楓真に順位で負けることはなかったよ」

 和奏はそう言って笑顔を見せる。こう見ると普段と変わらないように見える。

 「台風の目は大丈夫そう?」

 「たぶん大丈夫だと思う。最近は葵も華凛も仲良くしてるし、練習でも調子がいいし」

 「それなら安心だね。ちょっとこの点差だと足引っ張りたくないからね」

 そう言って点数に視線を送ると、赤組285点、白組280点の拮抗状態であることが分かる。

 横目に和奏を見ると嫌そうな表情をしているのが見え、思わず笑ってしまう。

 「こんな競ってるのは初めてよ。圧勝か大敗のどっちかでいいのに」

 確かに圧倒的な差があれば何も背負わずにいられる。僕もどちらかといえば和奏の意見に賛成だ。

 「そんなことより、いいの?お昼食べに行かなくて?」

 僕は運動会の話をして言葉を考えていたが、思ったよりも早く話題が振られてしまった。決して和奏はどうするの?なんて聞かない。

 「母さんがお弁当作りすぎたから、助っ人を探してるんだけど……」

 とっさに出た言葉だが悪くはない気がする。今回の場合どうしてもわざとらしくなる。

 この場合手伝いを頼むなら和奏も承諾しやすいだろう。

 「……お邪魔していいの?」

 「邪魔じゃないよ」

 「じゃあ、行かせてもらうわ」

 和奏はそう言って立ち上がると一緒に歩き始める。

 普段通り歩いてるつもりだが、和奏よりも速くなってしまう。

 硬い表情から察するに緊張していることがわかる。

 僕は気にしなくていいと思うが、和奏からしたら友達の親といえど普段通り振る舞うのは難しいのだろう。

 しばらく歩くと待ち合わせ場所である新校舎の教室に着くと父さんと母さんがいる。

 運動会のお昼はどこで食べてもいいようになっている。

 「あら和奏ちゃん、久しぶりね」

 「お久しぶりです」

 和奏は緊張した声色でそう言う。

 「あ、そうそう和奏ちゃん。今日お弁当作りすぎちゃったのよ。よかったら食べて行かない?」

 「いいんですかお邪魔しちゃって?」

 「邪魔だなんてとんでもない。楽にしてちょうだい」

 母さんは一縷の淀みすらない笑顔でそう口にする。本心で言っていることが伝わってくる。

 「そんなことより和奏ちゃん、楓真が殴りあいの喧嘩をしたって本当?」

 「ちょ、母さん」

 「一応本当ですよ。ただ相手から手を出してきてるので、楓真は悪くないと思いますよ」

 和奏は西田との一件に肯定的だった。少し煽った側面こそあれど僕は言葉で伝えていた。

 「そう、楓真が喧嘩なんてしたことなかったから何があったのかわからなかったけど、和奏ちゃんがそう言ってくれるなら安心ね」

 母さんは笑いながらそう言うとお弁当の準備を始める。

 「お母さんからはなんて言われたの?」

 「どうして殴ったのか聞かれて、あまり無茶しないようにって言われた」

 和奏に耳打ちされたので僕も小さい声で返答する。

 いざこざの日の夕方ごろに一条先生から電話がかかってきて事情を説明されたらしい。

 学校側としてはお互いに手を出していることから厳重注意で終わった。

 「いいのよ、やられたらやり返して」

 どうやら母さんに聞こえていたらしく、そう口にする。

 「もちろん和奏ちゃんみたいな女の子なら親や先生に対処してもらう方がいいけど、男なら少しくらいヤンチャしてもいいの。それにやられっぱないしは自分の価値を無くしてしまうもの」

 「そうですね、やり返さないと何でもいう事を聞くと思われますから」

 和奏は母さんの意見を肯定する言葉を口にする。

 実際に親に支配されている側面があるからこその言葉で若干空気が重くなる。

 「ささ、休みの時間も限られてるし食べましょうか」

 母さんはそう言って手を叩くとお弁当を見せる。

 正方形のケースにソーセージや卵焼き、おいなりさんといった料理が入っている。串カツや煮物といった時間のかかるものも多く見える。

 「凄いですね、これ」

 「ふふ、たくさん食べてちょうだい」

 母さんは嬉しそうにそう言うとタッパーから塩おにぎりを取り出す。

 おかずと一緒に食べてくれ。という意味だろう。

 そして父さんが百均で買ってきた大量の紙皿と割り箸を取り分ける。

 「いただきます」

 みんなで手を合わせるとおかずを取り分け、塩おにぎりを片手に食べ始める。まずは和奏と一緒に卵焼きを食べる。

 僕の好みである甘い風味の卵焼きだ。

 「美味しいです!これ」

 和奏がそう言うと母さんは嬉しそうに笑う。

 そしてそれ以降は平和だった。

 お昼ご飯はとても楽しく終わったし、台風の目も特に問題は起きなかった。むしろ葵と華凛は仲が良さそうに感じた。

 赤組が接戦を制し、運動会は幕を下ろした。

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