第15話

「はぁ、憂鬱だ」

 家を出た僕は溜め息混じりにそう呟く。

 これなら教室行くことを考えると足取りが重くなる。

 どんなにゆっくり歩いても学校には着いてしまい、意を決して教室の扉を開ける。すると多くの女子から視線を向けられ、何かヒソヒソ話される。

 「おはよう小鳥遊!一人で登校か!?」

 クラスのおちゃらけた西田が僕に向け、クラス中に聞こえるほどの大きな声でそう言う。

 僕の苗字は天宮で、小鳥遊は和奏の苗字だ。

 葵にしてやられてから僕は小鳥遊と呼ばれることが増えた。

 それは僕が和奏のことが好きという噂が流れたからだった。

 もちろん僕は和奏が嫌いなわけでは無い、むしろ好きだ。

 ただ恋愛的に好きかと言われれば分からない。友達として憧れの人としての好きだと思う。

 噂が流れた当初、僕は和奏のことが好きなのか聞かれることがあった。

 その時僕は返事が出来ないでいた、好きと言うのは恥ずかしいし、かといって嫌いとは死んでも言いたくなかった。 

 その結果僕は沈黙を選択したが、女子いわく沈黙は肯定と一緒らしい。

 それから浩一とは距離が出来てしまい、話すことも減った。サッカーでも僕をターゲットにして攻めてくることが増えた。

 「おい、そういうのやめろって言ってるだろ!」

 怒った声を上げたのは康誠だった。その一声で相手は怯み、謝罪の言葉を口にする。

 学習したらいいのにと思うが、僕をいじる事が楽しく感じる人が多く、求められているので止まることはないだろう。

 サッカーでも僕を守る為に右足を使って浩一と相対することが頻発する。

 康誠はやはり別格でタッチとキックの質が別次元で一人で無双できる。

 そのせいで最近では康誠が浮くようになり、運動会が三日後に控えているのにクラスの団結力は崩壊したと言っていい。

 いじることが楽しく抵抗がない人と、不快感を感じる人でクラスが二極化している。

 台風の目は一位を狙えるほど速かったが、最近では遅くなって三位がデフォルトになっている。

 そして高学年だけが行う大縄跳びはかなり酷く、連続して飛べることはまず少なく、引っかかった人間を探したり邪魔したりで学級崩壊状態だ。

 平穏な日常は簡単に消え去る尊いものなのだと思い知らされた。

 どうにかして解決することは出来ないか考えるが、僕が何を言ってもカンフル剤にしかならないことは明白だった。

 運動会が近づくにつれて練習の時間が増えていく。

 今日の一時間目は赤組は体育館で大縄跳びの練習をすることになっている。

 「おはよう楓真、康誠」

 体育館へ移動しようとしていると、和奏に声をかけられる。

 普段の学校生活で和奏と話したことはあまりなく新鮮な気持ちになる。

 二人で挨拶を返すと三人で歩きだす。

 「なんか、学校で和奏と話すのは久しぶりかもな」

 「そうだね、少しギスギスしてたから」

 和奏はからかうようにそう言うと、康誠は視線を逸らす。その姿を見て和奏は笑う。

 和解したからこその光景を見て、僕は久しぶりに穏やかな気分になる。

 「さて挨拶はここまでして、大丈夫クラスは?」

 「大丈夫って?」

 「……えっと、明らかに練習がうまくいってないから何かあったのかなって」

 その言葉に康誠は僕の顔を見る。自分のクラスの異様性は理解いるが、和奏には説明したくなかった。

 それを理解しているから康誠は僕の方を見たのだろう。

 「……言いたくない」

 僕は和奏の方を一瞬見た後そう答える。他の人ならともかく和奏には言いたくなかった。

 他の人から見たら僕が和奏に話しかけれて恥ずかしがっている。そんな風に見えたらしく後ろから茶化すような口笛が鳴らされる。加えてヒソヒソ話す声も聞こえる。

 和奏も違和感に気づいたらしく怪訝な表情をする。そして康誠に耳打ちをする。

 「もしかして、私が原因だったりする?」

 「まあ、無関係ではない」

 「何があったの?」

 「二人は外から見ても仲良さそうだろ?だから、その、なんだ、噂になってるって言えば伝わるか?」

 普段はスラスラ話す康誠が言葉を濁したことで、和奏にも伝わったらしい。

 「なるほどね、でも楓真と一緒にいるところを他の人に見られた記憶はないんだけど……」

 「それは……」

 康誠は理由を答えるのを躊躇う。葵と和奏が仲良かった期間を見てきている康誠にとって、二人がギスギスしているのは見てて嫌なものでしかない。

 「僕が少しやらかしたんだ」

 康誠が口を開く前に僕がそう言って経緯を説明する。二人は小さい声で話していたので詳細に聞こえたわけではないが、康誠の様子を見れば察しが付く。

 説明する時に親の話をどうするか迷ったが、和奏が親の話をしていいと促したので何も隠さず説明する。

 「なるほどね、それは噂になってもおかしくないか」

 和奏は葵の話を聞くと納得したように頷く。噂になっていることに対する不快感などは一切見せなかった。

 「というか、葵に合わせればよかったのに。無理に言い返さなくていいんだよ」

 「……和奏を悪く言いたくなくて」

 僕は恥ずかしくて顔を赤くするが、そらを聞いた和奏は嬉しそうに笑う。そして康誠は何かを理解したように笑う。

 「笑わないでよ康誠」

 「あ、いや馬鹿にするつもりはないんだ。ただ二人が普段どんな感じか分かって安心した」

 僕と和奏は康誠の言葉の意味が分からずに首をかしげる。そんな様子がおかしかったのか康誠はまた笑う。

 「笑ってないで対策を考えないと」

 今まで僕は誰にも相談出来ずにいたが、本人である和奏が知ったのなら別だ。最も心強い味方と言っていいだろう。

 ただ僕の期待とは裏腹に和奏は肩をすくめる。

 「対策は難しいと思うけどね、それこそ私と楓真が仲悪くなるぐらいしかないんじゃない」

 確かにこうなった原因は僕が和奏の名誉の為に叫んだのが原因で、僕と和奏が不仲であれば勝手に収束するだろう。

 仮に和奏が僕を悪く言ったり、音楽室の集まりを無くせば現実味は十分にあるだろう。

 「私しないからね。せっかく毎日楽しいんだから」

 和奏はきっぱりとそう言い切る。その表情からは強い意思を感じ、僕が頼んでも変わらないことが分かる。

 そもそも僕は和奏に悪く言ったりすることを頼むつもりはなかった。仮に噓だとしても和奏に悪口を言われたら心が折れる自信があった。

 和奏の方から嫌だと言ってくれて嬉しい気持ちになる。

 「楓真が嫌じゃなければ言わせとけばいいよ、もちろん私は嫌じゃないし」

 和奏はそう言ってニコッと笑う。その姿を見ると他のことなんて些細なことに感じた。

 話し合いが終わったタイミングで体育館につくと、クラスごとに背の順で並んでいるのでそれぞれのクラスに行く。

 「夫婦で移動とは熱いねー」

 列に合流した途端、西田がニタニタとした表情でそう言う。

 僕はすぐに交戦の色になった康誠を手で静止させ、口を開く。

 「なんでそんな事言うんだ?」

 「いや、お似合いだなって思ってさ」

 「それをやめろって康誠達が散々言ったのに繰り返さないでよ」

 僕から言い返されると思っていなかったのか西田は一瞬同様する。

 「別に俺が何を言うのも自由だろ」

 「僕が聞いてて不愉快だからやめてってお願いしてるんだ。返事は?」

 将棋も口喧嘩も相手の土俵で戦うのは愚策だ。だから自分の土俵に相手を立たせる。

 お願いを断るという行為は印象があまりよくない。それが正当なものであれば尚更だ。

 「そんなに和奏の話が嫌なのか?そんなに好きなんだな」

 西田は会心の一撃を入れたようなドヤ顔でそう言う。

 そう、これが言われるのが嫌で僕は言い返してこなかった。押し黙って相手にいいように言われるのが目に見えていたからだ。

 でも今は違う。言わせておけばいいという思考になっている。

 「別に僕は和奏の話をされても嫌じゃないよ。でも気づいて欲しかったんだ、西田の存在がクラスの輪を乱しているってことに」

 「どうゆうことだよ」

 怒気を含んだ声で聞かれたので答える。

 「さっきも言ったけど周りで見ている人も不愉快なんだ。誰かを槍玉に上げて揶揄うのが。これは僕が被害者だから言ってるんじゃなくて、誰が言われてても不愉快だから」

 「それは違うーー」

 「違う?違うってことはクラスのみんなはこれが楽しいって言いたいの?」

 僕は言葉を遮ってそう言うと周りを見渡す。すると顔を背ける人、真剣な表情を向ける人がいたりと多種多様だった。

 恐らく楽しんでいる人間も存在するだろう。でも多数派じゃないことを信じている。

 仮に楽しんでいる人が多数派なら僕は楽しいクラスという幻想を捨てるだけだ。

 「俺は楽しくないけどな」

 「え?」

 僕と西田は同時にそう呟いた。困惑する人の中で声を上げたのは浩一だった。

 正直言って最近は不機嫌で僕を嫌っていると思っていた。西田も同じ感想だったのだろう。

 一番の味方だと思っていた浩一と敵対して明らかに失速する。周りからも浩一を肯定する声が上がる。

 一人目が声を挙げたことにより言いやすい環境が生まれる。シャトルランで一人目が止めた途端に次々と脱落者でるのと同じものを感じる。

 「らしいけど?」

 自分が有利だと理解した僕はそう口にする。すると西田は怒りの色を見せる。

 「うるさい!俺は何も悪いことしてないだろ!」

 「相手が止めてって言ってるのに続けるのが悪いことではないの?」

 僕がそう言うと西田は激しい怒りの顔を見せ、叫ぶ。

 「生意気だぞ!田舎者のくせに!」

 僕は怒号を浴びたと同時に視界が揺れ、尻餅をつく。

 一瞬何が起きたか分からずに呆然としていると、周りから上がった悲鳴のような声で現実に引き戻される。

 口元に液体が垂れてきたので軽く触れると血であることが分かる。そして鼻先が痛い事を自覚する。

 「何やってんだ!」

 普段は優しい一条先生が怒号を上げ、冷えた空気が凍りつく。 

 「だ、大丈夫か楓真?」

 「うん、大丈夫ーー」

 「楓真!」

 僕が康誠に伝え終わる前に和奏が駆けて来る。

 「だ、大丈夫!?」

 「うん、大丈夫だよ」

 「と、とりあえず血を止めないと」

 和奏はそう言ってポケットからハンカチを取り出し、僕の鼻に当てる。

 「汚れるよ?」

 「その為にあるの」

 和奏はそう言って僕の鼻の頭に手を伸ばしてきたが、さすがに恥ずかしいので避け、自分で鼻血を止める。

 鼻血を止めていると周りも落ち着きを取り戻し、一条先生の怒る声が耳に残る。西田は悪びれる様子は見られない。

 「何あの態度、最低」

 和奏は西田の方を睨みながらそう呟く。西田までの距離は遠く、聞こえてるわけではないが睨んだことは分かり、西田がこっちを睨む。

 だが和奏は怯まずに睨み続ける。

 「どこを見ている!今、先生と話しているんだ!」

 一条先生がそう言うが、西田はこっちを見続ける。ある意味執念のものを感じ、僕は不気味に思った。

 そして不意に葵の顔がよぎり、嫌な予感がした。西田という狂人と和奏を敵対させるのは悪手だと思った。

 西田なら僕の味方をしてくれている人に手を出してもおかしくないだろう。それは申し訳ない。

 ならば僕はどうすればいいのかを考える。相手が攻めてきている時にする行動は受けるか攻めるかだ。

 ここで受けても相手が勢いづくのは一目瞭然。それなら僕も攻めないといけない。

 僕は鼻血が止まったことを確認すると勢いよく走り出す。

 「ちょ、ちょっと楓真!?」

 和奏の死角の方から走ったので、一瞬タイムラグがありながらも驚きの声を出す。

 僕は一条先生の影から現れ、勢いよく拳を突き出す。途端に拳に皮膚が揺れる感覚が襲い、不快感に襲われる。

 もちろん僕に人を殴った経験はなく、腰も腕の捻りもない突き出しただけの弱いパンチだったが、西田に衝撃を与えるのには十分だったようだ。

 「おい楓真!お前まで!」

 「先に手を出したのは西田でしょう」

 「だとしてもだ!暴力を振るった時点でお前も悪くなるんだぞ!」

 「そうですか?少なくとも黙ってやられるよりは悪者になった方がいいと思って」

 僕は唖然としている西田の表情を見てそう確信した。

 「まあいい、話は後だ。とりあえず楓真は保健室に行ってこい」

 一条先生はそう言うとクラスに視線を向けると、一瞬迷ったような顔をする。

 「あー、康誠連れて行ってくれないか?」

 普通なら保健委員に頼むところだが、先にやられたとはいえ暴力を振るった人間について歩くのは嫌だろう。

 だから僕と親しい間柄の康誠を指名したのだろう。それに康誠の身体能力なら多少練習しなくても問題はない。

 「なんというか、楓真って結構攻撃的だよな」

 隣に立って歩き出した康誠はそう口にする。

 「引いた?」

 「いや、むしろスッキリした」

 康誠はそう言って悪い顔で笑う。康誠もかなりフラストレーションが溜まっていたことが分かる。

 「でも、なんで殴ったんだ?楓真なら殴らないで西田を完全に悪者にすると思ったんだが」

 「やられっぱなしだと僕の味方になってくれる人に申し訳ないと思って。せっかく言い返してくれてるのに、僕が反撃の意思を見せないのは違うかなって」

 一番の味方でいてくれた康誠に正直に伝えると、驚いたような困った表情を向けられる。

 「反撃しない方がよかったかな?」

 「いや、俺は間違ってないと思う。ただ、考えた上で殴ってるんだと思って」

 「そうだね、考えた上で……殴ってるね」

 僕はどうして康誠が困惑しているのかを理解する。僕は決してカッとなって殴ったわけではない。 

 もちろん今後和奏に攻撃するんじゃないか、と思って思考が狭まっていたが脳は正常に働いていた。だから僕は考え、結論を出した上で西田を殴った。

 僕は殴るという行為に抵抗感がなかった、必要ならば僕は暴力すら抵抗なく行えてしまうらしい。

 「まあ、先に手を出されているからな。俺も殴ったところで何も思わないさ、むしろよくやった俺って思う」

 「そ、そうだね」

 僕はそう言ってから笑いをする。むりやり絞り出した笑いで無理がある。

 若干気まずい雰囲気になったところで保健室に着く。

 「あんま気にすんなよ」

 無事に保健室に送り届けた康誠はそう言って肩に手を置く。

 「ありがとう康誠」

 僕は立ち去る康誠にそう言うと笑顔でグッとサインを向けられる。

 立ち去る康誠を見送ってから保健室に入って事情を説明すると、鼻の頭に湿布のようなものを貼られ、しばらく安静にすることになった。

 保健室のベットに腰掛けた僕は考える。普通の人ならどんな事情があれ暴力を振るえば後ろめたさが残るはずだ。

 相手から暴力を振るったのだから当然。と思うことさえ後ろめたさの現れだろう。

 僕はどうだろうか?

 殴られたから殴り返した側面がないわけではない。もちろん西田が殴ってこなければ殴るわけがない。

 でもそれは不要だからという理由だ。決して殴るという行為が嫌だからではない。ただ、必要ならば殴る、そういう人間なのだ。

 「……はぁ、考えるのはやめだ」

 考えても気持ちが沈むだけだと判断した僕はベットに横になって思考を辞める。最近はストレスが多く、脳への負荷が高かったからか眠ってしまった。

 不安が消えたからか僕は一瞬で深い眠りに陥った。いわゆるノンレム睡眠というやつだ。

 人は浅いレム睡眠で夢を見ると言われるが、ノンレム睡眠でも夢を見る。レム睡眠の場合はストーリー性のある連続的な夢を、ノンレム睡眠の場合は断片的で静止画のような夢を見る。

 僕が見た夢は世界で活躍する誰かを呆然と眺める僕だった。その姿は落ちぶれたと表現するのがふさわしく、髭は乱雑に生え、ビールを片手に虚ろな目をしていた。

 そして急に別の映像に飛ぶと三人称視点から一人称視点に変わると、眼前には海がある。そのまま視点が落下していくと浮遊感に襲われて飛び起きる。

 「……夢か」

 勢いよく身体を起こして周囲を見ると保健室にいることを思い出す。

 

 時計に視線を送ると保健室に来てから四十分が経過しているのが分かる。

 「起きたみたいね。気分はどう?」

 「大丈夫です。すみません寝てしまって」

 「気にしない気にしない。どうせ体育をさせるつもりはなかったしね」

 保健室の先生は陽気な声でそう言うと僕の鼻を優しく押す。

 「痛い?」

 「痛くないです」

 それから軽く触診された後、大丈夫だという診断結果を受けると紙を渡され、教室に戻ることになる。

 「ありがとうございました」

 僕は保健室の先生にお礼を言うと廊下に出るとチャイムが鳴る。ちょうど体育館か教室のどっちに行くか迷っていたのでありがたい。

 足の方向を変えて教室へ向かおうとすると、廊下の音から誰かが駆けてくる音が聞こえる。

 目を凝らすと浩一が走ってきていることが分かる。

 「あ、楓真。鼻は大丈夫なのか?」

 「うん、大丈夫」

 僕がそう言うと浩一は安心したように胸を撫で下ろす。

 「それならいいんだ。やけに遅いから何かあったのかと思って」

 「それは……寝ちゃってさ」

 僕がそう答えると浩一は思考が停止したのかフリーズする。

 そして呆れたような表情になると口を開く。

 「なんというか殴り返したのもそうだけど、楓真って思ったよりも図太いよな」

 浩一が言う通り僕は図太いタイプなのかもしれない。

 考えて行動するタイプなのもあるが、やらないといけないと感じた事はどんなことでも実行しないと気にすまない。

 「疲れてたみたいでさ」

 僕は自分でも理解できていない部分を口にはしたくなかった。だから思い当たる中で最もらしい理由を口にしたが、浩一の表情が硬くなる。

 「ご、ごめんな、その、いろいろと」

 「う、うん?」

 「だから、その、最近俺、楓真に嫌がらせしてただろ」

 確かに最近の浩一は僕と話そうとせず、サッカーで過度に攻めてきたりしていた。

 だが直接何かしてきたわけでもない。

 僕としては仲がこじれた認識だったが、浩一は嫌がらせをしていた認識らしい。

 そしてこの場の論点はしっかりと浩一が自分が嫌がらせをしていた自覚を口にし、僕に謝ってきたということだ。

 恐らく僕が和奏と仲良さそうにしていたのが気に入らなかったのだろう。というか、大抵の人間がそうだろう。転校してきた人間が和奏という人気者と仲が良かったら不満を抱くだろう。

 「浩一は和奏のことどう思ってる?」

 僕は別に浩一を恨んでるわけでも嫌いになったわけでもない。この謝罪を受け入れないつもりはないが、このようなすれ違いを防ぐために聞いておきたかった。

 「どうって……」

 「僕にとって和奏は憧れの人だ。競技は違うけど僕も将棋で和奏のようになりたいんだ」

 浩一は和奏のことが好きか好きではないかを聞かれたと思っただろう。わざとそういう風に聞いたのだ。

 「僕は和奏に負けたくないんだ」

 「ライバルってことか?」

 浩一は僕が求めていた問を口にする。そして用意していた回答を乾いた口で発する。

 「僕はそう思ってる」

 「そっか……」

 浩一は何度か頷いた後、僕に尊敬するような目を向ける。

 「楓真は凄いな。俺はそんな風に思えねえよ」

 「え?」

 浩一の返答は想像していたものと大きく異なり、間抜けな声を出してしまう。

 「俺は康誠に勝てると思えない」

 浩一の本音に僕は言葉を失っていた。

 実際のところ和奏と僕は魅せられた競技が違う。勝負することはなく、実力差という概念が存在しない。

 だが、康誠と浩一は別だ。二人共同じサッカーに打ち込んでいる。

 そして練習環境や歴にも差がある。

 今になって考えれば、校庭でサッカーをしている時に僕を集中的に狙ったのは、康誠と勝負するためだったのかもしれない。

 そうでもしないと康誠は本気でやらないだろう。本気でやってしまえば、場がしらけるからだ。

 周りを寄せ付けない圧倒的な実力が康誠にはある。

 それを体感しているから浩一は僕の前で項垂れている。

 「浩一、あの、さ……僕はまだ同年代とあまり対局してないし、明確に強い人も知らないから浩一の気持ちは理解したくてもできない」

 強いて言えば響也が当てはまりそうだが、明確な格上ではなく、ライバルというイメージだ。

 理解できないからと言って何も言わないのは違うだろう。

 「挑むことをやめちゃダメだと思う」

 「勝てなくてもか?」

 「勝つために挑むんだ」

 僕がそう言っても浩一には響かない。だって何も知らない人間の正論なんて価値がないからだ。

 「僕は挑み続けてきた。じいちゃんに勝つために何千回負けてきた。その度に反省して、研究して、じいちゃんを対策してやっと勝ったんだ」

 僕はじいちゃんとの対局の日々を話す。

 そう、僕は確かにじいちゃんに勝った。でもそれはじいちゃんのように将棋が強くなったわけではない。

 じいちゃんにだけは勝てるように矛を特化させたにすぎない。 

 「何回負けたっていい。何回泣いたって、何回心が折れてもいい。その度に立ち上がって成長して、最終的に勝てばいい。勝ったから僕は今、鹿児島からここに来て、竜王を目指しているんだ」

 「諦めなかったんだな楓真は」

 浩一はそう言って顔を上げる。

 「まだ俺は康誠に勝てると思うか?」

 「不可能じゃないと思う」

 僕がそう言うと浩一は一度頷いて立ち上がる。

 「そうだよな、まだ諦めるには早いよな」

 「うん、僕だったら死ぬまで諦めない」

 困難な道だ。目を背けたくなるほどの痛々しいいばらの道だ。

 それでも浩一の顔には決意が浮かんでいた。

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