第12話
「はぁ、ゴールデンウィークも終わりか」
今日はゴールデンウィーク明けの水曜日、家族三人で朝食を食べていると父さんが溜め息混じりにゴールデンウィークを惜しむ言葉を口にする。
母さんも似たような気持ちのようだが、僕は嬉しい気持ちが強い。
和奏に宣誓した夜から僕は序盤で罠を張ったり、攻めたりする動きを練習しているが、これが上手くいかない。
元々僕の将棋は相手の動きに合わせて指す傾向が強いからか、自分で攻めるとなると強引になりがちになる。
それに自分がやってることが正しいのか自信があまりなかった。後藤先生から序盤が効果的に働いた棋譜が送られてくるがピンと来ない。
オンライン将棋の勝率も悪くなり、停滞している。
息抜きがしたいのが本音だったから学校はありがたい存在だった。
朝食を済ませ、父さんが仕事に行ってから僕は家を出る。
僕は水曜日は早めに学校に行くように決めていた。みんなとサッカーをする約束があるからだ。それに早乙女華凛の件も確認しておきたいからだ。
楽しみだか、少し不安な気持ちを抱きつつ僕は通学路を歩く。
校門をくぐり、花壇の方に向かうと小さいじょうろで花に水をあげる華凛がいた。
「おはよう華凛」
僕が後ろから声をかけると華凛はビクッと跳ね、驚いた様子でこちらを見る。
「お、おはよう天宮君。早い登校だね」
「うん、水曜日はみんなでサッカーすることになってね。せっかくだから花壇の様子を見に来たんだ」
僕がそう言うと華凛は花壇を見せるようにして僕の隣に立つ。
そこには綺麗なアヤメの花が見える。
「まだ咲いていたんだ」
「アヤメの開花時期は四月の下旬から五月の中旬でね。咲く時は一定じゃないから、今咲いてるのは遅れて咲いたアヤメなの」
「なるほどね」
一般的に花が咲いている期間は三日程度のことを考えれば説明は正しいだろう。
僕は少し儚いと感じながら花を眺める。すると華凛が何か言いたそうにこっちを見ている。
「どうかした?」
僕がそう聞いて言葉を促すと、華凛は言いづらそうにする。
だが、どうしても聞きたいことなのか勢いよく口を開く。
「天宮君って一人で多目的教室を掃除してるの!?」
華凛は勢いが強く若干上擦った声になりながらそう聞く。恥ずかしかったのか口を押さえて顔を背けられる。
「うん、そうだけど」
「やっぱり、私、いつも水曜日に浩一君が早く帰ってるのを見たから」
「なるほどね、一応言っておくと僕が浩一に「僕一人で掃除するから多目的教室にして」ってお願いした結果だから気にしないでね」
「なんでそんなお願いしたの?」
「うーん……多目的教室の雰囲気が好きだからかな?」
僕は不思議なものを見るような目をした華凛にそう答える。
我ながら変な答えを口にしたと思う。将棋のことを口にしてもよかったが、そこまでして多目的教室で指したいかと聞かれたら嫌だった。
華凛は疑問の残るような顔だったが、それ以上追求してくることはなかった。
「あ、楓真いるじゃん!なんだ、一番最初だと思ったのに」
サッカーボールを手にした浩一ががっかりそうな声を出す。
校舎の中央に付いた時計に視線を送ると約束の時間の三分前だった。
「早く着いたから花壇を見ててね」
僕がそう言うと浩一は眉間にしわを寄せながら近づいてくる。その表情は父さんが眼鏡を外している時の表情に似ていた。
「花壇か、あんまり気にしたことなかったな」
浩一はそう言って、さらに近づくと華凛の方を見る。より目を細め、睨んでいるとも捉えられる表情になり、華凛が本当に悲しそうな顔になる。
「あ、華凛だったのか。誰かいると思ってたんだけど見えなかった」
「浩一君、名前覚えててくれたんだ」
さっきまでと打って変わって嬉しそうな顔になった華凛はそう口にする。
「当たり前だろ、去年同じクラスだし。最近遠くのものが見えなくなってさ」
「視力が悪くなっちゃったの?」
「たぶんな、黒板の字も怪しくなってきたし」
「浩一君が黒板を見ているイメージはないけどね」
「む、最近はちゃんと聞いているし」
二人はそう言って昔話をするように笑う。僕にはついていけない話なので、教室にランドセルを置きに行くことにする。
それに僕は歓迎されていなように感じた。去年の話が分からないのは当然として華凛の表情からその気配を感じた。
眼中にない、もしくは本気の目というものなのか少なくとも僕に向けられるものではない。
だから僕は気配を殺しながら花壇から離れ、教室に向かう。
この前と同じで教室には康誠がいた。
「おはよう楓真」
「おはよう康誠。ごめんね負けちゃった大会」
「そっか、そういうこともあるさ」
康誠は励ますように笑顔を作ると、僕の肩を叩いてそう口にする。
「次は負けないから」
「次というと奨励会の試験か、なんなら王将戦より重要だな」
「そうだね、今回の反省を生かして頑張るよ」
「お互い頑張ろうな!」
康誠はそう言って拳を突き出す。僕は自分の拳を合わせる。
一波あった倉敷王将戦は一区切りついた。
「おはよう楓真」
「おはよう和奏。先に掃除してたんだ」
「どうせやるなら早く終えた方がいいからね」
和奏はそう言ってもう一つのほうきを手渡す。僕はほうきを受け取って掃除を始める。
「そういえば、運動会一緒の組だね」
東ノ先小学校は奇数クラスが赤組、偶数クラスが白組になっている。
僕が三組で和奏は五組なので赤組だ。
「そうだね、楓真が同じ組で嬉しいよ。素直に応援できるし」
和奏はそう言って笑顔を作る。優しく可愛い笑顔に僕は視線を少し逸らす。
和奏に励ましてもらって以降、僕は和奏を直視できないことが増えた。
恥ずかしい感情ではない何かが僕を邪魔する。
「む、この前からやけに多い」
和奏は僕が視線を逸らしたことが気に入らないらしく、僕の顔を下から覗き込むように顔を向ける。
「楓真って運動会したことあるの?確か、全校生徒でも四十人しかいないんでしょ?」
「運動会はこの学校と一緒で赤組と白組で戦ったよ。でも学年種目って概念がなくて、全員でリレーしたり玉入れしたりしたよ。あとは借り物競技とか親が参加することも多かったよ」
「なるほどね、少人数だからこその運動会だったんだ。私はそっちの方が良かったわ」
和奏はそう言うとほうきの先端に両手を置き、その両手に顎を乗せるようにすると、憂鬱そうな声を出す。
「和奏って運動はどうなの?」
僕がそう聞くと和奏は逃げるように明後日の方向を見る。
「……人並みには」
僕は直感的に運動が苦手なのだと理解するが、言葉にはしない。僕も運動が出来る方ではないからだ。
そんな雑談をしていると掃除が終わり、和奏はロッカーに向かって塵取りを取りに行く。
すると和奏は開いているドアの先を凝視してフリーズする。
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
和奏は普段通りの顔でそう言うと塵取りを取り出す。ゴミを集めて捨てた後、僕達は音楽室に入る。
僕は盤に駒を並べて和奏はピアノの準備をする。それぞれ必要なことを練習する。
僕は印刷してきた棋譜を並べて序盤を研究する。どんな意図を持って将棋を組み上げているかを理解しようとするが、正直言って違いが分からないでいた。
成功しているパターンの方が少なく、どれも結果論のように感じる。
対照的に和奏は楽しそうにピアノを弾く。このゴールデンウィークを経て音に磨きがかかっている。前よりも生き生きと弾いているのが印象的だ。
エチュードを中心に技術が養われる曲を弾いている。もちろんエチュードだからといって音楽として劣っているわけではなく、聞きごたえのある演奏だった。
着実と先に進む和奏を身近で感じ、僕の中で焦る気持ちが芽生えるのを感じる。加えて僕は明らかに停滞している。
苛立ちを感じ、貧乏ゆすりや唸る声が自然と増える。今までにない経験だった。
そもそも序盤に罠を貼り、急に戦術を変えて戦うというものが、僕は軸が無いと感じて好きではない。
駒を並べて意図を探ろうとするがいまいちピンとこない。結局のところ見たことのあるような形に落ち着く。ただただ時間を浪費していく感覚に襲われて冷たい汗が流れる。
和奏の演奏があまり耳に入っていないのにも気づかないかった。
五十分ほどで一局分の棋譜を読み終えると、背もたれに寄りかかり大きく伸びをする。
「お疲れだね」
伸びしている最中に前方から和奏に声をかけられ、僕は身体を少し跳ねさせる。出会った日と同じことが起きてデジャヴを感じる。
「いつから見てたの?」
「ついさっきだよ、一分経ってないぐらい」
「ごめんね、気づかなくて」
「気にしないでよ、私も邪魔したくなかったし。むしろ気づかなくて良かった」
和奏はそう言って安心したように胸を押さえる。
「今日はもう帰るの?」
「いや、楓真に演奏を聞いて欲しくてさ。……邪魔かな?」
「全然、ちょうど休憩したかったし」
僕が了承すると和奏は嬉しそうに立ち上がると、小さく跳ねながらピアノに近づくと、屋根を広げ突き上げ棒を真ん中の窪みにはめる。
講演などで使われるピアノの解放度で、いつもとは違う雰囲気を感じる。
「よし、始めるね」
和奏はそう言うと今まで見せたことのない真剣な表情になる。空気が変わりヒリヒリとしたものを感じる。
和奏が演奏した時間は約十五分。バロック、クラシック、ロマン、近現代の計四曲が演奏された。
バッハ、モーツァルト、ショパン、ドビュッシーが作曲した曲を順番に奏でていく。
普段の楽しそうに弾いていく姿とは違い、曲に没頭するような真剣な表情にドキッとする。全てを見透かすような目に、繊細で柔らかいタッチに視線が奪われる。
そして和奏の曲に寄り添うような演奏に耳が奪われる。
和を奏でるで和奏。この日、僕は本当に和奏はピアノを弾く為に生まれたのだと本気で思った。そう思わされるだけの迫力が和奏にはあった。
演奏が終わると僕は惜しみない拍手を送った。
「どうだった?」
拍手を受けた和奏は少し恥ずかしそうにそう聞く。
「凄くよかった。本当に凄い」
普段ならもう少し詳細な言葉を口に出来るが、語彙を喪失した僕は凄いしか言えなかった。そんな陳腐な言葉でも和奏は満足した表情をする。
実際に和奏は今日弾いた曲で地区予選と本戦を通過した。
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