第3話

「……あれ?なんでこんな悪手指したんだ?」

 後藤先生と会ってから僕は将棋のオンライン対戦をして、解析する生活を送っていた。

 後藤先生はオンライン対戦と、駒を並べずに頭で詰将棋をするように言っていた。

 勝つことに慣れるように。とのことだ。

 僕も存在自体は知っていたがやったことはなかった。

 月額六百円で回数無制限にオンライン上で将棋を指すことが出き、無料の場合は一日三回まで対局ができる。

 早速僕は六百円を支払い一日中指していた。

 最初は30級からスタートし、最初は一勝するだけで階級が上がるが、4級あたりから何度も勝ち越さないと上がらなくなる。

 僕は約一ヶ月の期間で三段まで階級を上げることが出来た。

 三段までなると相手は相当強く、勝つ方が多いが負けるようになった。

 現在の時刻は四月六日の日曜日。春休み最後の日だった。

 今日の将棋はガタガタだった。

 普段なら有り得ない悪手を指すし、詰将棋も集中できない。

 原因は明白だった。明日から学校が始まるのだ。

 僕は自分の想定していた以上に緊張していた。

 頭の中で将棋の手筋を読むよりも、明日の学校をどうするかのシュミレーションが優先して行われている。

 そもそもおかしいのだ。一つのクラスに35人以上の生徒がいて、それが各学年ごとに六クラスある。

 単純に計算しても一つの学年で210人。学校全体で1260人もの生徒が学校にいるのだ。

 どうゆうことだ?1260人をどうやって学校に収納しているんだ?

 鹿児島と比較して遥かに小さい校庭は昼休みはどうなってしまうのか疑問だった。

 まずクラスに35人以上いる事実が解せない。クラスの人数って6人じゃないのか?

 僕に35人という人間前で話す経験はなく、緊張している。

 しかも、三年間である程度グループが形成されている可能性が高い。

 こんな想像が脳のCPUの九割を占めているせいで将棋が疎かになる。

 「もう今日はいいや、これ以上指しても意味ないし」

 僕はそう呟いてパソコンを閉じると、九手詰めの本を手に取って解いていく。

 僕は盤面と持ち駒を暗記し、頭の中でシュミレーションをして解いていく。

 最初は七手詰めから開始して一ヶ月で一冊分を全て解いた。

 だが九手詰めになると素直にいかないものがほとんどで、解くのに時間がかかるようになった。

 自分の駒を捨てて邪魔な駒を剝がすという動きが多くなって、僕はそれに慣れていない。

 自分の駒を捨てて詰めるという発想がまだ出てこない。

 ひたすら詰将棋をしていると夕飯とお風呂の時間になる。

 僕は夕飯とお風呂の前に二つ以上詰将棋を暗記し、解きながら夕飯やお風呂を済ませるようになった。

 これは後藤先生に指示されたことではないが、手持ち無沙汰が嫌だったので始めた。

 四六時中僕は将棋について考えるようになった。

 後藤先生に叩きのめされたことが僕の意識を変えたのだ。

 井の中の蛙大海を知らず。ということわざを身体に埋め込まれたのだ。

 「……そろそろ寝るか」

 時計に視線を送ると21時を回っていた。

 僕は詰将棋を二つ覚えてからベットの中に入る。

 僕は寝つきが悪く、ベットに入ってから三十分以上起きていたりする。

 僕はベットに着くといろいろなことを考えてしまうタイプで、意識がバラバラになる。

 だが詰将棋に集中すれば、睡眠を意識することもなくスッと寝られる。

 「……寝れないな」

 いつもなら詰将棋に集中できるのに、今は学校のことで頭が支配された。

 寝返りを打つ回数が多く、じっとしていられない。

 結局のところ僕が寝ついた頃にはベットに入ってから二時間が経過していた。


 「チリンチリンチリンチリンチリンチリン!」

 甲高い目覚ましの音に起こされて僕はゆっくりと起き上がる。

 普段よりも睡眠時間が短く、睡眠の質も悪かったせいで少し気分が悪い。

 加えて今日から学校が始まることが相まって、風邪をひいた時のような気だるさがある。

 頭を不安一色に染めて、機械的に朝食を済ませる。

 今日の登校する時間は学年ごとに別々で、普段よりも少し遅い。

 大きめの手提げを持ち、靴を履き、いつもよりも重い扉を力いっぱい押して家から出る。

 家を出て左に曲がると道路に出る。その位置から右を見ると僕がこれから通う東ノ崎ひがしのさき小学校が見える。

 信号機を渡って道路の端の狭い道を通り、東ノ崎駅の踏切を超えればすぐに正門が見える。

 だが正門の使用は生徒には禁止されている。

 理由は道路の端の狭い道と、踏み切りのダブルパンチで生徒に危険なのと、近所の人の苦情によるものだった。

 なので東ノ崎小学校の生徒は目の前にある正門をスルーして迂回する必要がある。

 必然的に登校にかかる時間が増え、生徒達は不満に思っている。

 でも今の僕にはありがたかった。死へのカウントダウンが伸びてくれたのだ。

 「おはようございます!プリントを一枚受け取ってから教室に入ってください!」

 いくら遠回りしたとはいえ無情にも時は過ぎ、裏門に着く。

 そこでは爽やかな若い男性の先生が挨拶をしながら、黄色のプリントを配っている。

 僕は挨拶をした後プリントを受け取る。

 受け取ったプリントの表には、進級おめでとう。の文字とひよこやライオンといった黄色の動物が描かれていた。

 そして裏面には新しくなったクラス表が書かれている。

 僕の苗字は天宮なので出席番号が小さく、簡単に自分の名前を見つけることができた。

 僕は三組で、出席番号は二番だった。

 まだ、教室がどこにあるか分からない僕はキョロキョロしているがそこまで浮いた存在にはならなかった。

 これは後々知った話だが、東ノ崎小学校は最近建てられた新校舎がある。

 新校舎は低学年が、旧校舎は高学年を使うことになっている。

 つまり、僕の学年は新校舎から旧校舎に移っている。

 そんな事情に救われた僕は噂されることもなく教室にたどり着く。

 新学期最初の席は出席番号順になっていて、僕の席は一番右端の二番目の席だった。

 教室に入ると最初の壁にぶち当たった。僕の席の周りにたくさんの人がいる。しかも男女問わずだ。

 もちろん注目の中心は僕ではなく、隣の席に座っている男の子だった。

 「康誠こうせい君また同じクラスだね!」

 もう一人の背の高い女の子がそう言って合流する。

 康誠と呼ばれていた男の子含めて僕の席の周りには八人の同級生がいる。

 加えて右端の席のせいで左側の通路しか存在しない。

 まさかホームルームも始まってないのに挫折するとは思わなかった。

 「あ、そこの席?」

 僕はそこまで席に近づいていないのに注目も中心である康誠が気付き、声をかけてくれる。

 「あ、うん」

 気付かれないと思っていた僕は間抜けな声を出す。

 康誠がさりげなく促したことで僕の席への道が開かれる。

 僕は周りの視線を受けながら席に座る。

 そしてクラスの様子を観察する。

 友達と同じクラスになれた人は固まって話しているが、そうでない人は一人で座っている人も多い。

 僕だけが一人ではないことに安心すると、天井に付いているスピーカーからアナウンスが流れる。

 「えー、これより58期、四年生の始業式を始めたいと思います。この度、四年生の学年主任を務める渡辺です」

 「えー、またー?」

 渡辺先生は58期が一年生だった頃から学年主任だったらしく、周りから飽きたような、察していたような声が上がる。

 それから渡辺先生が新学期の挨拶と、生活習慣などについて話した。

 「では最後に各クラスの担任の先生を発表したいと思います」

 渡辺先生がそう言うと、待ってました。と言わんばかりの声が上がる。

 先生が誰一人分からない僕にとっては虚無だった。

 「次に三組は……一条いちじょう先生」

 一条先生の名前が出た途端、クラス中から歓声が上がる。

 そして歓声を受けながら登場したのは校門でプリントを配っていた若い男の先生だった。

 「えー、四年三組の担任になった一条海斗かいとです。みんな、一年間よろしく!」

 一条先生がそう言うと、みんな口々によろしく。と叫ぶ。

 僕はアイドルのライブってこんな感じなのかな。と思った。

 「それじゃあ、今日はみんなに自己紹介をしてもらう。もちろん知っている人もいるだろうけど、始めてクラスが一緒になった人も多いだろうしね」

 一条先生がそう言うと出席番号順に自己紹介が始まる。

 出席番号が二番な僕は他の人の自己紹介をほとんど見れずに番が回ってくる。

 そして出席番号一番の相澤さんの自己紹介が終わり、僕は拍手をしながら一度息を大きく吸って吐く。

 何度もシュミレーションした通りに自己紹介をしたらいいのだ。

 「じゃあ、次……」

 一人目の自己紹介が終わり、一条先生が次を促すために僕に視線が送られる。

 すると一条先生は若干笑顔を崩し、不安そうな視線を向ける。

 もちろん一条先生には僕が転校してきたことは伝わっている。 

 転校生の扱いは先生にとって気をつかうものだろう。

 謎の外来種が突如として入ってくるのだ。固有種である生徒は共存出きる外来種なのかを見極めてくる。

 そして主である先生は外来種を受け入れるように努力しないといけない。

 僕自身でも転校生という存在が難しい存在であることを理解している。

 だから僕は精一杯の誠意を見せるべきだと考えている。

 僕は席を立ち、生徒が多い窓側を見ながら口を開く。

 「今学期に鹿児島県から引っ越してきた天宮楓真です。僕は小さい頃から喘息を持っていて運動はあまり得意じゃありません。その代わり、三歳の時から将棋をやっています。これからよろしくお願いします」

 僕は用意した台詞を言うように自己紹介をすると席に座る。

 特別嚙んだり、詰まらずに言えてとりあえず安心する。

 「というわけで、楓真にいろいろ教えてあげてくれ」

 先生がそう締めくくって次の人に自己紹介を促す。

 初日の大きな壁を越えれた僕はもう一度大きく息を吐いた後、後ろの席で自己紹介をしている子の方に身体を向ける。

 すると隣の席の康誠が僕を見ていたことに気づく。

 お互いの目が合うと康誠は視線を一瞬外した後、顔を近づけ、小さい声で話しかけてくる。

 「楓真って将棋のプロ目指してたりするの?」

 「え、あ、うん。目指してるよ」

 康誠から予想外の問いかけに驚いてぎこちない返答をしてしまう。

 「そっか、じゃあさ――」

 康誠が続きを言いかけたタイミングで一条先生からの視線を感じ取り、口を閉じる。

 僕自身にもどうして僕がプロを目指していると思ったのか?という疑問が残り消化不良になる。

 そして康誠の自己紹介の番がくる。

 「俺の名前は神野康誠て言って、三歳の頃からサッカーをやってます。みんな、一年間よろしく」

 康誠の自己紹介はごくごく普通のものだった。

 三歳からサッカーをやっている。という点で僕と康誠は少し似ているのかもしれない。

 康誠はシンパシーを感じたのだろうか?

 モヤモヤした気持ちが残ったまま全ての生徒が自己紹介を終え、そのまま帰りの会が行われる。

 「明日からは平常授業だから、みんな遅刻しないようにするんだぞ」

 一条先生が最後にそう言って今日を締めくくり、放課後となる。

 僕は康誠との会話が気になって横を向くが、既に友達らに囲まれていた。

 声をかけるか迷ったが、前々から中の良さそうな集団に入っていくのはハードルが高い。

 僕は静かに机から立ち上がり、一人で教室から出る。

 教室の外には友達と帰る人、別々のクラスになった友達と集まっている人でごった返している。

 僕が知っている廊下は広々として駆け回るイメージだが、とてもじゃないが走れない。

 僕はこのまま帰るか、もしくは学校を探検するか迷った。

 すると自分自身を俯瞰するような感覚になり、頭が圧迫され、嫌な汗が出る。嫌な予感だった。

 「……今なのか」

 てっきり康誠に話しかけるか迷った時に出るかと思っていた。

 しばらく悩んだ後、僕は学校を探検することに決めた。

 ここでの選択ミスなんて教室の場所が分からなくて恥をかく。しか思いつかなかった。

 僕はとりあえず一階から散策を始めた。

 一階には主に職員室が敷地を取っていて、僕が真っ先に覚えた保健室、放送室や応接室といった卒業するまで入ったことのない教室もある。

 二階は四年生の教室があり、他には美術室と図画工作があった。どちらの扉も厳重なものになっていて少し怖い印象があった

 三階は五年生の教室があり、実験教室と図書館があった。図書館に将棋の本があるのか気になったが休館日だった。

 最後に六階には四年生の教室があり、パソコン室が廊下を奥まで進んだところにある。

 そして中央階段の先に音楽室と多目的教室がある。

 僕が心を惹かれたのは多目的教室がある。中に入ってみると様々な高さの机があった。

 だが使われていない教室のようで少し埃っぽく、ほとんど物がない。お手玉とけん玉が置いてあるぐらいだと思った。

 「……もう少し遊ぶものがあってもいいけどな」

 僕がそう結論づけて多目的教室を出ようとすると視線の端に見慣れた板が映る。

 引き寄せられるようにロッカーに近づくと、そこには年季の入った将棋の盤が置いてあった。

 新しい将棋の盤は薄い茶色だが、古い盤は濃い茶色で黒寄りのダークな色だ。

 それに折り畳み式ではなく幅を取る盤で、重量がある。

 僕は早速盤と駒をロッカーから取り出して、駒を並べてみる。

 駒は木製ではなくプラスチック製だった。

 プラスチック製の方が壊れにくいので小学生にとっては最適な素材だと思う。

 しばらくして駒を並べ終わると全ての駒が揃っていることが発覚する。

 僕は最近ネット上で打った棋譜を並べることにした。

 この対局は僕は居飛車に対して相手は振り飛車だった。

 どっちが勝ってもおかしくない接戦を制して僕が勝利した。

 棋譜をAIにかけると僕は三番手を指し続けていることが分かった。

 じりじりと不利になるが、妙手と呼ばれる罠のような手で絡めとって勝ったのだ。

 勝った時は嬉しかったが、蓋を開けてみると喜べるような内容ではなかった。

 その反省を含めて僕は棋譜を並べる。

 自分の悪手を最善手にして指し進め、会心の棋譜が出来上がる。

 いつか自分自身でこんな棋譜を生み出したいと思う。

 「明日から棋書を持ってこよう」 

 棋書とは将棋の本のことで、様々な戦法の本があり学ぶなら棋書を読むのが最適だ。

 僕はこの日、秘密基地を見つけた時のようなウキウキの気持ちで帰宅した。

 裏門を通って遠回りをしているのに、その遠回りが楽しく思えた。

 「ただいまー」

 家に着いた僕は誰もいない室内に帰宅を告げ、自分の部屋に入ってパソコンを起動する。

 僕は学校から帰った直後の家があまり好きではなかった。

 学校から帰った後の家はじいちゃんと将棋を指す場所だった。

 今は無駄に広く、孤独感を与える場所になっている。

 ある意味では将棋以外することがなくて集中は出来る。 

 でも、それでも、やっぱり寂しい。

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