ノクターンの流れる夜、世界最高齢者はかく語りき

青出インディゴ

第1話 イントロ

 今年142歳の私は世界最高齢者になった。(注 A.D.2999年6月30日現在における)。生きてきて、自分より年上がいない世の中になるなんて思ってもみなかったわ。そんなこと、ほとんどの人が想像すらしないでしょう。私もしなかった。変なものよ、世界の頂点に立つというのは。

 ずいぶんと若い口調だ、本当に142歳なのかって疑ってるんじゃない? お言葉ですけど、あなた高齢者の頭の中をのぞいたことがあって? 私たちがこのゆっくりした動作の内側で、どんないかがわしいことを考えるものか、若い人たちが知ったらきっと卒倒するわよ。それともほっとするかしら? 年を取っても、「いきいき体操」や「お楽しみカラオケ大会」に興じなくてもいいんだ、モバイルゲームやSNSの心理戦に時間を湯水のように使っていいんだ、ってね。それなら少しは未来に希望が持てるんじゃない。

 あなただけよ、私の話を聞いてくれるのは。施設の介護士は、昨日からみんな欠勤だものね。明日世界が終わるという日になって、誰が職場にいたいと思うかしら。(注 7月1日に世界は終わる)。いいえ、私たち利用者は大丈夫だったわよ。生活介助はすべて介護AI搭載のアンドロイドがやってくれるんだもの。介護士の仕事は会話。それだけが人類に残された最後の仕事だったわね。

 私がどんな人生を送ってきたか、知りたいのね。いいわ、昔語りの強制傾聴だけが年寄りの特権なんだから。あなたはいくつ? あらそう、私から見たら赤ちゃんだわ!


 ほんの100年前の話。私はピチピチの42歳だった。

「ウリーンさま

 明日の現場パートナーは私になりましたので、よろしくお願いします」

 彼女からの業務テキストメッセージを確認したのは、42歳9ヶ月13日の朝9時2分だったわ。シグネチャを見て、私は心が躍った。

「サマーミラーさま

 了解です。機材準備はしてありますが、本日整備の最終チェック予定でした。時間はいつがよろしいですか」

 すぐさま返信したのに対して、その返信もまた迅速だった。

「ウリーンさま

 今すぐでも」

 私はあわててエディタを閉じ、バッグを手に取って部屋を飛び出した。テレワーク中で、自宅書斎のワークステーションに囲まれてたからね。

 バスルームでお化粧をして、作業着の乱れがないかチェック。自動運転の車に飛び乗り、会社へ向かう。

 国際宙港には1時間で着いた。

 滑走路の端の端にひっそりたたずむ社屋を背にして、巨大な円筒形の航宙機が何機も横たわっている。オゾン層を突き抜けた太陽の光を反射して、白くきらめく。駐車するために車を移動させる視界の隅に、機体の横腹に書かれた巨大な「航宙事故保険Inc.」のロゴが流れていく。

 玄関で、サマーミラーが出迎えてくれた。

「おはようございます、ウリーンさん。道路混んでませんでした?」

 彼女に会えたら、私は一気に安堵を覚える。青い目に、一直線にカットされた黒い前髪、白く骨張った手。彼女はね、そう、たとえるなら陸上に上がった人魚姫みたいな人なの。美しく、好奇心に満ちて、こちらの顔色などうかがいもせずに入り込んでくるような。

 オフィスはいつも通り閑散としている一方で、各デスクではコンピュータのLEDが盛んに瞬いている。眠ることのないAIが顧客を支援し、監視し、誘導している証拠。

「混んでなかったわ。ルート7はいつも空いてるから」

「アキタからでしたっけ。急がせちゃいました?」

「そんなことないわ。出勤の予定だったし」

 それに、自動運転中にデバッグでもしていれば時間はあっという間だもの。私の秘密の楽しみはプログラミングなの。あなたたちだってそんなものがあるでしょう。人によってそれがニュースサイトだったり、猫の動画だったり、アダルト動画だったりね。それと同じ。

 自分のデスクにバッグを置きながら会話を続ける。ああ、どうしてあなたに会いたいから飛んできたと言えないのかしら。ピンク色に塗られたサマーミラーの唇がほころんでいる。いつも、この20歳も下の同僚は、私の心を見透かしているかのようだった。いえ、白状するわ。臆病な私は、見透かしてほしいと思ってたの。

「これ、先日の出張のおみやげです」

 オフィスの同僚たちの、あるいはAIの目を盗んで、こっそり手渡された銀色の紙袋。

「ありがとう」

 開けてみると、ジョークみたいな顔をしたマスコットのキーホルダーだった。(注 2899年カゴシマ万国博覧会のマスコット「ボダイコー」。見た目は人間の膀胱に似ており、すこぶる評判が悪い)。

「かわいいでしょ?」

 彼女はささやく。私はくすくす笑う。嬉しいわ、お菓子なんかの消えものじゃなくて。私に自分のものをずっと持っていてほしいという意思の表れよね? そのころ、そういう断片を日々探してた。

 私には夢があった。それは、人生で一度は女と寝てみたいということ。あら、驚かないで。誰もが言うように、死ぬときにあれをすればよかったという後悔をしない生き方をしたほうが、まあ多少はいいんじゃないって、私も今になって思うわ。

 人魚姫には16歳になれば海の上まで泳いでいって、人間の世界を垣間見れるという掟があった。結果は悲劇だったけどね。私は42歳になれば、物語が起こると思っていた。なぜって? だって「生命、宇宙、全ての答え」だもの。

 だけど、42歳の夜明けは憎らしいほど静かに過ぎていった。家族はいたわ。夫と子供がふたり。知りたければ教えるけど、子育ては普通にこなして、ひとりは教師、ひとりは銀行員になったわ。夫は平均寿命で死んだ。家族の物語はこれで全てよ。

 人生は長いわ、一般的にもね。誰だって一度は同性と寝てみたいって思うんじゃないかしら。特に女の人は。アダルトビデオを見るとき男優に注目する女がいるかしら。

 ええ、わかってるわ、説明じゃなく描写せよというんでしょ。それじゃ、あの日のことを話しましょうね。

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2025年12月27日 08:00
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