良いお年を!
志乃亜サク
大掃除
年の瀬。ぼくは途方に暮れていた。
昨日ようやく今年の仕事納めを迎え、年末年始は心置きなく自宅でひとり酒を飲みながらゲームでもしてゴーロゴロしようと心に決めていたのに。休暇初日の朝を、爽やかな希望とともに目覚めたのに。
あらためて見ると部屋が汚い。なんだこの散らかりようは。
ちゃぶ台の上にはビールの空き缶が散乱し、床には本や書類が散らばっている。
一応言い訳をするなら、ぼくはわりと綺麗好きなほうだったと思う。男の一人暮らしにしては掃除洗濯も頑張っていたと思う。
ただ今年後半の仕事の忙しさは異常で、ほぼ毎日が午前様で家に帰って眠るだけ。休日出勤も多く、たまの休みも平日の睡眠不足を補填するように寝て一日が終わってしまっていた。
いま令和だぜ? 働き方改革どこいった?
そして気づけば風呂場のコーキングにはピンクカビ。便器には黒ずみリング。洗濯物は畳まれず部屋干しにされたまま。冷蔵庫の牛乳、あれいつのだろう?
このままでは、気持ちよく新年を迎えられないじゃないか。
そうしてぼくは年末大掃除を始めようと一念発起したわけなのだけども。
あまりの散らかりように、途方に暮れている。
どこから手を付ければいいんだ……冗談抜きで、掃除だけで年が暮れてしまう。
「誰か……助けて……!」
思わずそう口に出して呟いたその時、玄関のチャイムが鳴った。
誰だ? この忙しいときに。
玄関を開けると、セクシーな作業着姿の女の子が立っていた。
「呼んだ? 来たで」
――変な人、きた。
ぼくは反射的にドアを閉めた。
ところが。
扉が閉まる寸前の隙間に女の子の白い安全靴が差し込まれて阻止された。
「ちょっ、何してるんですか!?」
「痛い痛い痛い。挟まってるから。足挟まってるから一回ドア開けて」
「いま自分で挟んだでしょ?」
「いいからいいから。一回開けて」
少し扉を開けると、今度は身体ごと滑り込ませてきた。手慣れている。かなわんわあ、とか言ってる。
「とりあえず立ち話もなんだから、ね。お邪魔するで」
「待って待って。靴脱いで」
結局、勝手に上がり込んできた。
というか、数日前のクリスマス・イヴにも同じようなやりとりをした気がする。
女の子を見れば、背は低いけれども整った顔立ちの美人。肩で揃えられた栗色の髪がよく似合っている。そしてなんだか癪に障る関西弁。
「先日のサンタさんですよね?」
「全然違います」
「いやいや、サンタさんでしょう? こないだ間違えてウチ来て、駐禁切られてた」
「人違いです。ウチは『おそうじ女学院』から来た『モンゴメリー・真理子』と言います。本日はご指名ありがとうございます!」
おっと……。『おそうじ女学院』に『モンゴメリー』ときたか。
彼女の正体なんてこの際どうでも良くなるくらい強めのワードが出てきた。
「……まあいいや。それより、今度は何しに来たんです?」
「何しにって……見たらわかるやろ?」
女は作業着を見せつけるように両腕を開き片足を上げた。パーデンネンのポーズ。ポーズパターン少ねえ。
「帰ってもらっていいですか」
「なんでやねん。プロや。掃除のプロがやってきたんやで?」
「いやよくわからないですけど……もしかして大掃除を手伝ってくれたりするんですか?」
「君、運がええわ。ウチが独自に開発した奇跡の片付け術『もんまりメソッド』であっという間にピカピカや」
もんまり……モンゴメリー・真理子、略して「もんまり」か。それはいいんだけど。
「そのメソッドの名前、ダメでしょう。明らかにパクってるじゃないですか」
「パクってるって何よ? 全然パクってないよ」
「ちなみにどんな感じのメソッドか聞いてもいいですか?」
「それはあれや。残すモノ捨てるモノを『心がキラメクかどうか』で決めるやつや」
「一回本家に怒られなさい」
「なんや本家て。オリジナルや!」
とりあえず、部屋の惨状をもんまりに見てもらうことにした。
「うわ、汚ったないな君。どうしたんやこれ、クリスマスの時はもうちょっとマシだったやん」
早くも正体隠すの忘れてる。それくらいヒドイということなのだろう。
「一個もキラメクもんないわ。もう全部捨てよか」
「待て待て」
「うん?」
「なんでアナタのさじ加減で決めるんですか。いや、ぼくも多少思い切った断捨離したいとは思ってますよ? だけど一応仕分けしましょうよ」
「ええ……めんどい……」
いきなり本音を出すんじゃない。
「ん? これはなんや?」
もんまりの手には色褪せた色紙。
「あ、それ高校の部活引退の時にみんなで贈り合った寄せ書きですよ。うわあ、懐かしいな……」
もう10年以上も前だけど、昨日の事のように思い出せる。
部の方針で対立して殴り合い寸前のケンカになったこと。
チームメイトと同じ女子を好きになって、友情と恋愛の間で真剣に悩んだこと。
夕暮れ時の部活帰り、川原の土手に座ってみんなで夢を語り合ったこと。
最後の大会で敗れて、互いの肩を抱いて泣いたこと。
良い思い出ばかりではなかったけれども、今となってはすべてが宝物の
「いらんな」
いきなり【NOトキメキ袋】に色紙を放り込もうとするもんまり。
「うわお! 何してんの!」
「過去にすがるの良くないで。良くない」
「いいの! これはぼくがキラめいてるんだからいいの!」
「そうなん? まあええけど……ん? これは?」
もんまりの手には古い卒業アルバムが。
「ああ、それも高校の時のですね。懐かしいな」
「テシガワラは……と」
顔写真のページをめくりながら、どうやらぼくを探しているようだ。
「なんでぼくの苗字を知ってるんですか」
「表札で見た。お? おおう!?」
もんまりが高校時代のぼくを見つけたようだ。顔写真を指さしながら、現在のぼくと見比べている。顔が赤い。
「色白! そしてサイドを刈り込んでトップをふんだんに残したエグい天パ(天然パーマ)」
「いいじゃないですか。誰にだってオシャレが迷子になる時期くらいあるでしょう?」
「フフ……フフッ、これもうカリフラワーの化身やないか! 『こんばんは、ゆうべ助けて頂いたカリフラワーです』言うて訪ねてくるやつやん!」
もんまりはベッドに寝転んで爆笑している。殴りてえ。
「ちょっと待って。さっきの色紙もっかい見して。この『カリ、最高の夏をありがとう』の『カリ』って君のあだ名?」
すでにちょっと口元が笑っている。腹立つ。
「……まあ、そうですけど」
「もしかして、カリフラワーなのに
もんまりはぼくの答えを待たずに再び悶絶している。一応、笑いを押し殺す努力はしているようで、笑い声が「ふあ、ふあ、ふあ……!」みたいな変な音になっているのが余計に腹が立つ。
◇
「ああ、死ぬかと思った。このアルバムにはウチの凍てついた心もさすがにキラめいたわ。これは残そう。人類の宝や」
「もう帰ってもらえませんかね」
「ごめん、ちょっとふざけ過ぎたわ。悪気はないねん、堪忍してな」
「別にいいですけども。結局、なにひとつ片付いてないじゃないですか。こんまりメソッドはもういいんで、何か実践的なお掃除豆知識みたいなのないんですか?」
「実践的なお掃除豆知識?」
「ほら、よくあるじゃないですか。濡れた新聞紙使うやつとか。意外なものでシミが取れるみたいな」
「ああ、そういうの。あるけど。それ要る?」
「むしろそれ以外要らないです」
「ほんなら……こんなんどうよ?『奇跡の電子レンジ庫内ピカピカマジック』」
「おお、求めてたのはまさにそういうやつです」
「フフフ、そんなら耐熱皿とお酢を用意してもらってええかな?」
「ないですよ」
「えっ」
「お酢なんて一人暮らしの男の家には普通ないですよね」
「まあ、そらそうかもしれんけども」
「あ、でもちょっと待って。これでもイケますか? 前にお土産で貰ったやつなんですけど」
ぼくは長く戸棚に入れっぱなしになっていた小瓶をもんまりへ手渡す。
「おお、バルサミコ酢か。ええやん。やってみよう」
「何をするんです?」
「ラップをせずにチンするんや。すると蒸発した酢に含まれる酸性の何かがうまいこと作用するんや」
「最後の方だいぶアヤフヤじゃないですか。でもまあ、それと似たようなのをぼくもテレビで見たことある気がします」
「そやろ? だけどここからが『こんまりマジック』や」
するとこんまりは耐熱容器のバルサミコ酢に同じ戸棚から目ざとく見つけたハチミツを加えた。
「ハチミツゥ?」
「掃除と同時に万能ソースまで作ってしまうのがこんまり流や」
「おお……!」
「これにカシューナッツとかチーズをディップして食べてみ? しょうもない君の人生のステージが確実にひとつ上がるで」
「放っといてください。……何分チンすれば良いです?」
「えっ? 3分くらいちゃう? 知らんけど」
どうやらだいぶうろ覚えで手探りのようだ。
古いレンジのターンテーブルでクルクル回るハニーバルサミコを、並んで眺めるふたり。
扉に反射して偶然目が合った彼女が楽しげに微笑んだとき、石鹸のちょっと良い匂いがした。
——あれ? もしかして今、いい雰囲気?
バ ァ ン ッ!!!!
「ぎゃー」
「ぎゃー」
爆発した!? 爆発した!!
レンジ内でハニーバルサミコが爆散している。
慌てて扉を開けると
「臭っ!?」
爽やかな甘酸っぱさとは真逆の、不快極まりない酸っぱ甘い臭いがレンジ内から立ちのぼる。
すかさずもんまりが扉を閉める。
「危なかったな」
「アウトだよ」
仕事がひとつ増えた。
ちなみに。
ハチミツみたいな粘度の高いものをレンジで温めすぎると爆発することがあるので気をつけよう!
電子レンジの庫内を念入りに拭き上げて振り返ると、もんまりが何事もなかったかのようにベッドに座って微笑んでいた。
「そろそろ休憩しよか」
そう言って隣をポンポンと叩き、ぼくに座るよう促すもんまり。
ぼくは先ほどの爆発でまだ心臓ドキドキしているのに、それを微塵も感じさせない様子に彼女のプロとしてのプライドを見た気がした。
「そんなアナタに朗報です」
「朗報?」
もんまりは持参した大きめのトートバッグを引き寄せると、中から衣服のようなものを取り出した。
前回と同じ流れだ。
「じゃーん。今日は年末年始特別キャンペーンとして、なんとこちらのコスプレが無料なんやで!」
「……今回は何があるんです?」
「また二択やな。まずこっちが『若女将』」
割烹着を広げるもんまり。マニアックだ。女学院も年末も関係ねえ。
「……ちなみにもうひとつは?」
「『左翼』や」
年季の入ったヘルメットをドンと置くもんまり。
そうかー。若女将と左翼の二択かー。
「……じゃあ左翼で」
「はい、内ゲバ一丁!」
怒られろ、マジで。
携帯電話の着信音が鳴ったのは、その時だった。もんまりのスマホが光っている。
「うあ、店からや。ごめん出てもいい?」
そう断って部屋の隅に移動し通話を始めるもんまり。
なんだか深刻そうな顔で「え、間違い?」「『コーポ山田』じゃなくて『セレレガンス船橋』? 1文字も合ってないやんけ」みたいなことを話している。
そして通話を終えると彼女は申し訳なさそうにこう言った。
「ごめん。なんか色々手違いがあったみたいでフィンランド帰らなアカンねん」
フィンランドではないだろ。
残念な気持ちが少しもなかったと言えば嘘になる。本音を言えば、彼女の言う「セクシー・シュプレヒコール」がどんなものなのか興味があった。
だけど手違いがあったなら仕方がない。
慌ただしく部屋を出ていく彼女を玄関で見送り、振り返って見た部屋にはいつも通りの静かな、少しだけ寂しげな空間が広がっていた。
あ、これ……。
どうやら彼女がヘルメットを忘れていったようだ。
また……会えるかな?
ぼくはヘルメットを被り、すべての服を脱ぎ捨てた。
その時。
玄関のドアが勢いよく開き、彼女が立っていた。
「ひとつ……言い忘れて……もうた」
息が切れているのは、走って戻ってきたからだろう。
「どうした? 忘れもの?」
少し息を整えた彼女が、にっこり笑う。
「良いお年を!」
そう言って手をヒラヒラと振りながら、彼女はまた慌ただしく出て行った。
ぼくは閉じられた玄関扉に向かって彼女の言葉を反芻する。
良いお年を。
ぼくは全裸で身体は寒かったけれども、心の中にじんわりと温かいものが広がっていくのを感じていた。
そうしてぼくは、口に出してこう呼びかけたんだ。
良いお年を!
来年もよろしく!
<了>
良いお年を! 志乃亜サク @gophe
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