毒森の民

 かつて山々を支配したドワーフが起こした大事故により、世界の中央地帯は汚染されてしまい、あらゆる知恵ある種族は立ち入らなくなった。

 それは見栄っ張りかつ、鉱毒や病に強い耐性があるドワーフが、世界の中心地点という栄光が付属する一大拠点を放棄した程の汚染だったが思わぬメリットも発生した。


 南極を起点に生み出された世界の灰汁にして悪。

 悪魔やアンデッドを筆頭にした邪悪の勢力すら、汚染で動植物が変貌した大陸中央を突破するのが難しくなり、世界の東西にある限られた土地からしか、定命の者達の領域へ攻め入れないのだ。


 ただ、流石に汚染から数百年経てば中央地帯もある程度の落ち着きを見せ、ある者は資源のため。ある者は防衛のため。ある者は失地奪還のため、ある者は皆殺しのため、世界の中心という最重要拠点に注目していた。

 していたが……世界の中心を勢力圏を治めるということは、それ即ち全方位を別勢力に囲まれることを意味しており、汚染や危険な動植物のことも考えると、並大抵の覚悟では手出しが出来ないだろう。


 さて、そんな毒林と呼ばれる場所だからこそ、危険だと分かっていても隠れ潜むしかない者達が世界中から集まり、あちこちでぽつぽつとした小集落を築き上げている。


 例えば仕えていた貴族が反逆してとばっちりを受けた者。酷い差別を受けて行き場所がない者などの子孫。

 悪い例えでは単に大犯罪を犯した者。冒涜的な儀式を行い見つかった悪魔崇拝者。

 そんな多種多様な者達が、世界の中心に混在していた。


「今年もギリギリになりそうだ……」

「ああ……そうだな」


 辛気臭い顔で相談している者達は、国内の政変に巻き込まれて世界の中心に逃げ込んだ人間の子孫で、ある程度は弱まっている汚染に抵抗できた。

 しかし環境が厳しい事には変わらず、判断を誤れば数百人程の集落でもあっという間に滅んでしまうだろう。


 ただ幸いなこともある。

 厳しい環境で生活しているため脂肪が無い人間は、汚染により独自の味覚を持った森の生物たちからすると、態々食う価値がない程にマズい生物と認識されており、余程食べ物に困っていない限り襲われることがなかった。


「神の御慈悲に縋るしかない……」


 そんな多少のマシがあったところで生活が苦しい村人たちは、村の中心にある小さな祠の像に視線を向けた。

 外との交流が途絶えるに従って、通常の神の姿を失伝していった彼らは、森で見つかる貴重な動物の骨。甲殻類。綺麗な虫を束ねて人型を作るとそれに祈り始めた。


 姿ははっきり言ってグロテスクに近く、一部の国に見つかれば即座に異端として処理されてしまうだろうが、厳しい環境であるからこそ神に縋りついている村人の信仰は本物だ。

 名もなく、ただ漠然とした概念や大いなるナニカへの祈りは、確かな形として現れることになる。


 切羽詰まっている集落に、いきなり怪物が侵入してきた。


「ひいっ⁉」


 悲鳴が漏れたのは当たり前すぎる反応だった。

 人を大きく超えた巨躯。毒々しい外骨格に、逞しすぎる剥き出しの筋繊維が絡み合い、ギラギラと輝く大きな瞳は爬虫類のように縦に裂けている。

 更に口もまた大きく横に裂けており、その中から覗く鋭い牙は獲物を求めて飢えているようだ。


 形容しようがない、虫と爬虫類を混ぜ合わせて無理矢理人型にした後、外骨格と筋繊維をくっ付けた異形は、様々な怪異が溢れるこの世界でも特に恐ろしい。

 だがどこか機能美のような優雅さとでも言えばいいのか。生存と闘争に特化し過ぎて無駄を省いたその姿は、ある種の神々しさを宿していた。


「……」


 そんな異形が襲う訳でも、吠える訳でもなく堂々としなやかに歩き、村の中央に進むものだから、村人たちの理解を容易く超えてしまう。


「……」


 しかも中央に安置されている小さな祠と像に跪き、更には手と頭も地面にこすり付けるではないか。

 姿こそ異形の極みだったが、その光景は熱心な信徒が神に祈っている姿そのもので、村人たちはひょっとして神が遣わしてくれた信徒なのでは……と思う筈がない。

 単に理解が出来ない事態で脳が麻痺しているだけ。ついでに述べると騒いで最初の犠牲者になりたくないため、逃げだすことも出来なかった。


「おおっ⁉」


 祈っていた怪物が突然動き出し村の傍に生えている木に登ると、村人たちから驚いたざわめきが発せられる。


 カッカッカッ。


 蜥蜴のように木を登った怪物は、口から奇妙な音を発して周囲を見渡し、明らかになにかを探していた。

 事態は直ぐに動いた。

 怪物が音もなく木から跳躍すると全身の様々な場所から刃が生え、特に右腕の甲から伸びたものが獲物に狙いを定めている。


 その標的は人を不安にさせるような赤色の植生に隠れていた獣だった。


「……」

「ガアアアアアアアアア!」


 怪物の刃を頭蓋骨で通さず、逆に一撃を入れた獣が吠えた。


「あ、赤苔だっ!」

「武器だ急げ!」


 理解不能な怪物よりはっきりとした脅威が現れ、村人たちは頼りない槍を構え始める。

 獣はよくぞ気付かれずここまで近寄れたと思える威圧感だ。


 人が見上げる必要のある化け物とそう変わらない体躯。顔は正気を失ったように涎を垂れ流している狼で、釘を無理矢理打ち込んだように乱れた歯が恐怖を誘う。

 しかも顔は狼のくせに、毛皮ではなく赤い苔を纏っている様な体は人型で、掌だって獣の四つ足ではなく人間的で鋭い爪が伸びているときた。

 この人狼をより醜くしたような獣は赤苔と呼ばれ、中央地帯の毒森を中心に徘徊している捕食者の一体だった。

 そして食べ物に困ると嫌々ながらも人間を狙うため、森の中でひっそりと生活している人々にとって天敵と言える生物だ。


「……」

「ガアアア!」


 そんな赤苔と怪物が相対するが、怪物の方は刃と左腕が折れている。

 誰がどう見ても優位は赤苔の方で、歪んだ人狼擬きは見慣れない怪物を殺した後、適当な人間を口に放り込んで満足することだろう。


 シイイイイイイイ。


 村人だけではなく正気も怪しい赤苔すら困惑することが起こった。

 口から蒸気を噴出した怪物の左腕が蠢いて元通りになるだけではなく、より分厚く強固な装甲が形成され、右腕の刃も更なる鋭さを宿すではないか。

 もしここに学者でもいれば、瞬間再生能力? 適応? 進化? などの疑問が溢れただろう。


 しかし今は殺しの場だ。


「グガア! ガッ⁉」


 地を蹴った怪物は赤苔の一撃を防ぐと、反撃で脳天を刺し貫いた。

 言葉にすれば単純だ。しかし実際は、本来なら実現しない筈の力押しが齎した勝利である。


「……」


 その勝利に怪物は喜びを表すことなく、淡々と赤苔の首を捩じ切るように切断して祠の前に捧げてまた祈る。


「ど、どういうことだ?」

「さっぱり分からん……」


 ここでようやく村の人間たちは、どうもこの怪物には確かな知性や理性があるのではと思い始めた。しかし見た目が凶悪すぎるため、気軽に声をかける訳にもいかず、遠巻きに見ているしかない。


 じゃり。と土と石ころを踏んだ足音が轟き、怪物が即座に体の向きを変え跪く。


 そこに信仰を受け取った神がやって来た。

 宙の虫の王。貪る軍団の主。殺戮船団大提督。旗の振り手。両手指十柱、右親指。

 宇宙に響く忌み名は数あれど、最も世に名高きその異名。

 醜悪王。


「ひいいい! ひいいい! 腰があああ……!」


 現在はぎっくり腰を患っているアホが、そこらで拾った棒に縋りついてやって来た。


「え、えー。ぐすん。本日は当サービスをご利用いただき、誠にありがとうございます」


 ついでにあまりの痛みで半べそをかいているミイラを見た時、村人たちは非現実的な光景を受け入れられず、何を言っているかもほとんど理解できていなかった。


「ご利用目的は……きれいな水が飲みたい。安心して寝たい。外敵から守ってほしい。そんな感じですかね。でも権能使ったら確実に腰が砕け散る……あー……うーん……この周りくらいなら、広げるだけでなんとかいけるか。いよっし!」


 醜悪王は村人たちの本能的な望み受け取ると、全身を蠢かせて大地に倒れた。

 五体投地が超常を引き起こす。

 夥しい数の、ミミズに生物の筋肉を無理矢理くっ付けたような異形が醜悪王の体から這い出ると、汚染された土に潜り込み、木に絡みつき、川底に張り付いて結合する。


 毒々しい赤い森は瞬く間に肉と触手が張り巡らされた地に変貌すると、生息していた者達を取り込む……ようなことはない。

 蠢く触手は土地を蝕む汚染を吸収するとろ過して、まともな空気や水を生み出し始めた。


「い、一汁三菜目指して頑張りましょう!」


 独善という極悪に位置する怪物は役職通りに右親指を持ち上げ、滅ぶ筈だった村の者たちにサムズアップをするのであった。

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