先触れ

「ぷふ……」


 人型から思わず苦笑が漏れる。

 世界を揺るがした膂力など何処にも存在せず、歩くのに苦労するなど想像もしなかった。

 よたよたと。ふらふらと。覚束ない足取りで森を歩く姿は異形で、干からびて乾き切ったミイラのようだ。


「若い子達に、おっさん無茶すんなって言われる年頃になっちゃったかな?」


 かつて醜悪王と呼ばれたのに、掠れ果てた男の声には威厳など欠片もなく、自嘲するような響きがあった。


「でもまあ、目が覚めたってことは何かしらの意味があるんだろう」


 本来なら深い眠りに陥っていた醜悪王は、万単位の年月が経過してようやく目が覚める筈だった。しかし体の様子を確認するに、半分どころか数百年程度しか経過しておらず、本来の力は欠片すらも取り戻していない。

 それなのに目が覚めたとなれば、寝ている間にかつてと同じ星の救援要請を受信したか、なにかしらの大事が絡んでいる可能性が高く、再び惰眠を貪る訳にはいかなかった。


「その前に水……」


 だが醜悪王は目覚めた意味を探す前に水を欲しており、森の中を彷徨う羽目になっていた。


「あったよ川!」


 運が良かったのか。それとも人を超えた感覚が訴えたのか、醜悪王は水が流れる川を見つけると、力を振り絞って辿り着いた。

 そして単純に水を飲むのではなく、全身を川に浸して水分を補給するのだが、肉体ではなく霊魂が消耗している醜悪王の体に潤いが戻ることはなく干からびたままだった。


「……やっべ。川の利権とか使用は凄いややこしいって聞いた覚えがあるぞ。上流の村が汚したら、下流の村と争いになったとかなんとか……」


 ここで冷静になった醜悪王が、庶民的な発想に至り冷や汗をかく。

 醜悪王の体から毒などは発せられていないため、必要以上に警戒する必要はなかったが、彼にとって大事なのは勝手に川を利用した点で、使用料を取られるんじゃないかと怯えていた。


「この感じなら大丈夫だとは思う……いややっぱ気になる。ちょっと見てきてほしいんだけど構わない?」


 心配性な醜悪王は、世界にとっての膿を作り出した。

 一瞬だけボコリと醜悪王の体が膨れ上がり、小さな石のような物が排出される。それはどんどんと大きくなり、醜く悍ましい生物へと成長を遂げた。


 暗褐色なキチン質の外骨格と、所々飛び出た白い肉塊。全体的に細長いものの、身の丈は成人男性が見上げる必要があり、頭部は三角形気味に角張っている。剥き出しの歯が鋭く牙のように突き出て、爬虫類の如き裂けた瞳が体のあちこちに生えて蠢き、浮き上がっている様な肋骨の束が生理的嫌悪感を招くだろう。


 異なる世界において災いの先触れと称される怪物は、産み落とされてすぐさま命令を理解すると、巨体を屈め四つん這いになり、細長い手足を使い蜘蛛のような俊敏性で駆けて行った。


 ◆


 称えよ。

 称えよ。


 偉大なりし大王を称えよ。

 慈愛と寛容の統治者を称えよ。

 知恵・勇気・節制・正義の御方を称えよ。

 至高の神々である手の十柱。右親指を称えよ。


 畏れよ。

 畏れよ。


 憤怒と闘争の御大将を畏れよ。

 吹き荒ぶ殺戮船団の提督を畏れよ。

 無知・無謀・強欲・悪の主を畏れよ。

 止まらぬ御旗の振り手にして先駆者を畏れよ。


 ◆


 集合意識に囁かれながら先触れが疾駆する。

 外宇宙に君臨する者達の中でも醜悪王は特に複雑怪奇な存在で、平和と闘争の反する面を司っていた。

 そのため悍ましき神々を信奉する集合意識と無尽蔵の兵力は、醜悪王が持つ平穏と慈悲の面に崇拝を向け、闘争と破壊の面を畏れている。

 そこに弱り果てている醜悪王への侮りは一切存在しない。

 幾つかの文明で蠢く信奉者と呼ばれている彼らは知っているのだ。今まで醜悪王は数度敗れて死んでいるが、その度に復活して宇宙に破壊の大嵐を引き起こし、必ず目標を成し遂げていた。

 故に偉大なる破壊の権化が命じたまま、先触れはに満ちた森を探索する。


 干からびて贅沢を言っていられない醜悪王と、大した知能がない先触れは気にしていなかったが、川は淀みきった汚水が流れ、周囲の植生も毒々しい植物が多い。

 これなら主が気にする必要は無いと先触れは判断したが、地面に幾つかの足跡を発見した。


「……」


 声もなく。そして這う音すらなく先触れは足跡を追い、そして愕然とした。

 森の中で生活していると思わしき、みすぼらしい布や毛皮を纏っている百数人の人間。これはいい。

 だが村の中央に位置する、小さな祠の中にあった偶像は、先触れの動きを止めるのに十分だった。


 なにかの骨や皮。歪な甲殻類や醜い魚の骨格。ハチの巣などで編まれた奇妙な人型は、まさに醜悪王の偶像だった。

 と、先触れは勝手に解釈した。


「……!」


 意味ある言語を発することが出来ない先触れは甚く感動する。

 醜悪王は役割が限定的な暴力装置でしかなく、地元の外宇宙以外ではドマイナーな神格だったり、明確な悪神扱いされる存在だ。

 そのため醜悪王を信奉しているのは蠢く者達以外にいないと思っていた先触れは、このような森の奥深くで、偉大なる神を奉っている同胞と出会えたことに、乏しい知能で感じ入っていた。

 正確には思い込んだ。


「……」


 そうなると先触れはじっとしていられない。

 醜悪王を含めた外の神、十柱の敬虔な信徒でもある先触れは、当の神がすぐ近くにいようと、聖像を見かけたらその前で跪く義務があった。

 成人男性を優に超える異形が堂々と歩く。

 なにやら騒がしくなったが、よくも悪くも自我が薄く集合意識の一部に過ぎない先触れは、気にせず小さな祠の前に到着すると跪いた。

 そして細長い手と頭も地面に着けて、偉大なる神の偶像を崇拝する。


「……」


 像が宿していたのは原始的な信仰心で、なにか漠然とした超越存在に対し祈り、村の安全を願うというものだ。

 それがよかった。

 重ねて述べるが知性に乏しい先触れは、複雑な人間の感情を理解できない。しかし本能的な安全についてなら流石に解釈できるため、同じ神を信奉している同士の問題を霊的に受け取った先触れは、これまた漠然と像からイメージを受け取り、同士を殺害した怨敵を始末することにした。


 カッカッカッ


 そこらに生えている木にするすると登った先触れは、恐ろしく鋭い歯を打ち鳴らして周囲の反応を窺い……見つけた。


 像に宿った信仰心のイメージ通りの獣。

 先触れとそう変わらない巨躯に分厚い毛皮。気をへし折りそうな巨腕と爪。

 ついでに述べると村人たちが恐怖を浮かべ、像に流れる信仰心が強くなったので間違いもない。


 音もなく木から飛び降りた先触れは、外骨格のあちこちから刃のような器官を生やし、獣の頭上から襲い掛かった。


「ゴガアアアアアアアアアアア!」


 迎え撃つ獣が吠える。

 接触。


「……」

「ガアアアアアアアア!」


 両者健在。


 なるほど、先触れの同士が怯えるのも無理はない硬さだ。

 手の甲から生えた刃で獣の脳を穿つつもりだった先触れは、想定以上に分厚い毛皮と頭蓋骨に阻まれて刃が折れ、獣の逆襲を受けた左腕はへし折れていた。


 すると突然、新たに生成された先触れの刃はより鋭くなって僅かな振動まで伴い、痺れていた左腕はグロテスクに蠢いて元の形に戻り、パキパキと音を立てより高質化するではないか。


 シイイイイイイイ。


 異常なまでに生体反応が促進されている先触れの口から蒸気が漏れる。

 先触れが地面を駆けた。


「ガアアアアアアアア!」


 再び獣が迎え撃ち、巨腕を振り下ろすように叩きつける。

 それを受けた先触れの左腕もまた再び折れ……ず。

 差し込まれるような右腕の刃は、獣の頭蓋骨に防がれ……ず。


 高質化した左腕は獣の一撃を防ぎ、更なる鋭さを宿した刃は頭蓋骨を貫通したのだ。

 勝利した先触れの仕事は終わっていない。


 地面に倒れ伏した獣の首を切断した先触れは聖なる神像の前に捧げ、勝利を偉大なる神に報告したのだった。



 ◆

 先触れ

 このユニットは遠洋以外で地形の影響を受けない。

 このユニットは他文明の偵察ユニットに確定で優位が取れる。

 このユニットは宣戦布告を受けずに攻撃される。

 周囲二マス以内に敵がいる場合、戦闘力が極小に上昇し続ける。


 ‐ 生体突入艇が大気圏を突破した! 地上で先触れが溢れてる!‐

 -地上の数は⁉-

 ‐第一波は一億! まだ第二波が空から降って来てる!‐

 ‐は?‐

 滅びた侵略的星間文明の記録

 ‐三十六波目だ!‐

 ‐もう無理だ!‐

 そして断末魔の記録。



 侵略的な原始信仰

 低確率で他文明の初期信仰を吸収する。代わりに自文明の信仰が、他文明に受け入れられ難くなる。


 -しっかりと祈りなさい。はっきりと形を思いなさい。くっきりと名を唱えなさい。でなければいつの間にか違う神になっているのだから-

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