青い卵が孵るとき

淡内 梢

青い卵が孵るとき

《――以上、天気予報でした。続いて災害予報です。明日は関東地方でやや強い地震が発生するおそれがあります。お住まいの方は十分にご注意ください》


 テレビから聞こえてきた内容に、真島は食事をする手を止め、ため息をついた。


 21世紀半ば、災害発生の予測技術を確立した日本は、気象庁を気象災害庁へと変更し、世界に先駆けて災害の予報を始めた。


 気象災害庁の予報官である真島は、予測システムのデータを解析し、予報を発表する仕事をしている。


 その予測システムに最近、ある問題が起きていた。そのことで今朝、幹部会議に呼び出された真島は、幹部たちから相当に詰められた。


「やあマシマ君! 会議は終わったかね?」


 元気よく食堂に入ってきたのは、予測システムの開発者で、災害予測技術の第一人者である折尾だ。


「遅いですよオリオさん。早く会議の結果を共有して、今後について話し合いたいのに」


「聞かなくてもだいたいわかるさ。予測システムのバグを早急に直せとでも言われたんだろう?」


「おっしゃる通りです」


「まったく、失礼な連中だ。私のシステムは完璧なのに」


 折尾は自他共に認める天才だったが、同時に自他共に認める変人でもあった。

 ボタンが取れかかったジャケットに足元はサンダル、そして寝起きのように無造作に跳ねた髪の毛は、とても官庁街に来るような姿ではない。


 食堂から執務フロアに戻る途中も、廊下やエレベーターで何人もの人が折尾のことをジロジロと見ていたが、折尾は全く気にしていない様子だった。


 そんな折尾に苦手意識を持っていた真島だったが、今回は折尾の力を借りるしかなかった。


「これが、予測システムが算出したデータです」


 自席に戻った真島がパソコンのモニターにデータを映すと、折尾は顔を近づけ食い入るようにそれを見つめた。


「これは興味深い! 半年以内に大規模な地殻の崩壊が起きるのか!」


「なに感動してるんですか。こんな地球規模の災害が起きたら人類は存続の危機ですよ。ここ最近、日本だけでなく世界各地でも地震が頻発していますし。来週の会議までに幹部たちが納得する予報をまとめないといけないんです」


「まぁ上が納得するかどうかはともかく、地殻の変化については調べてみないといかんな」


「バグの調査の件は……」


「バグなど存在しないのだから必要ないね。何か分かったらまた連絡するよ」


 そう言って折尾は、予測システムが稼働するデータセンターに篭りきりとなった。


 真島は仕方なく、『開発者にバグの調査を依頼した』とだけ上司に報告をして、折尾からの連絡を待つことにした。


 * * *


 折尾がデータセンターに篭ってから五日、連絡は一向に来なかった。


 報告書をまとめる時間を考えたらこれ以上は待てない。今日も連絡が来なかったらデータセンターへ出向こうと真島が考えていた矢先、ようやく折尾から連絡が来た。


「すごい事がわかったぞ! 今すぐ来てくれ!」


 電話でそれだけ言われ、すぐに切られてしまった。


 データセンターは都心から離れた山間部にある。電車とバスを乗り継ぎ、さらに歩いていくとデータセンターの建物が見えてきた。

 銀色の表面に曲線で形作られたその建物は、まるでSF映画に出てくる宇宙船のようだと真島は思った。


 サーバー室に併設された折尾の執務室へ入ると、床に卵の殻が散乱していた。


「……何ですかこれは」


「私の主食はゆで卵なんでね。一つどうだい?」


 折尾は冷蔵庫からゆで卵を取り出し真島に差し出したが、真島は丁重に断った。


「それで、何が分かったんですか?」


「まぁその前に、まずは地球の構造について話をしよう」


 そう言って折尾は、持っていたゆで卵を裁断機で真っ二つに切った。


「地球の構造は卵に似ている。中心部の核は黄身、その周囲のマントルは白身、そして地殻は――」


「卵の殻、ですよね」


「その通り」


 折尾は満足そうに頷いて続けた。


「最近頻発している地震の揺れは、断層や火山性によるものとは異なる波形をしている。例えるなら地球の内部でうごめいているような揺れ方だ」


「なにかって、何ですか?」


「そこで卵だよ!」


「卵?」


「地球が何らかの生命体の卵だとしたら、今まさに卵の中からが殻を割って生まれようとしているのではないかと、私は考えるのだよ!」


「そんな仮説を幹部たちに報告したら、私は予報官をクビになるでしょうね……」


 五日もかけて得られた答えがそれか、と真島は頭を抱えた。


 結局、予測システムにバグは見つからなかったとして、当初の予測データをそのまま予報としてまとめて報告することにした。

 たぶん怒られるだろうが、地球卵説を報告するよりはマシだろうと、真島は半ば諦めの境地になっていた。


 * * *


 真島が幹部たちに報告してから一か月、予報の発表は上層部の判断に委ねられることになっていたが、いまだに何の動きもない。


「結局、発表しないつもりなんですかね」


「まぁ、発表すれば世界が混乱に陥るのは確実だからな。国にお伺いを立てているのだろう」


 この日も真島は折尾の元を訪れていた。


 上司の指示により真島は当分の間、日々の予報業務ではなく、折尾と共にデータセンターに常駐して地殻の観測を続けることになっていた。

 なんだか左遷されたような気分だったが、どのような結果になってもこの生活は半年以内には終わるだろうと考えていた。


 しかしこの日、予測システムのデータを見た真島は眉を顰めた。

 最初の予測から一か月しか経っていないにも関わらず、半年以内となっていた地殻の崩壊が、三か月以内に早まっていた。


「うむ、思ったよりも早くが来そうだな」


 隣で見ていた折尾が呟く。


「本当に、地殻の崩壊は起きるんですかね……?」


「天気予報もそうだが、災害予報も予測時期が近ければ近いほど精度が上がっていく。一か月経ってこのような結果が出たということは、そういう事なんだろう」


「それじゃあ――」


 真島が言いかけたところで、ドスンという衝撃と共に辺りが揺れた。

 データセンターは免震構造のため内部には揺れが伝わりにくい。それにも関わらず、二人はその場にしゃがみ込んでしまうほどの強い揺れを感じた。


「今日も予報通り地震が起きたな。強い地震も段々と増えてきている」


 折尾の言葉に真島は、今まではどこか現実感のなかった地殻崩壊が目前に迫っていることを唐突に意識し、血の気が引いていくのを感じた。


「マシマ君、顔色が悪いよ。今日はもう帰ったらどうだい?」


 折尾が真島の顔を覗き込んで言った。


「……オリオさんは、怖くないんですか?」


「怖くはないね。にどんなものが見られるのか、ワクワクしているよ」


 折尾は相変わらず地球卵説を推しているようだった。


「もし本当に地球が卵だったとしたら、どうするつもりなんですか?」


「もちろん、孵化した生命をこの目で観察するよ」


「その前に死ぬと思うんですけど」


「そうならないように、今色々と準備しているんじゃないか」


「はぁ……そうですか」


 天才の思考は分からないな、と真島は思った。


「マシマ君は、死にたくないかい?」


「そりゃ……死なずに済むならそうしたいですよ」


「そうか。では考えておくとしよう」


 意味深な返答をする折尾だったが、余裕のない真島がそれに気づくことはなかった。


 * * *


 地殻崩壊の予測が三か月以内から一か月以内へと早まったある日、真島は折尾に頼まれてデータセンターに泊まっていた。


「ちょっと夜間の観測に協力してもらいたくてね」


 そう言われた真島はサーバー室の中で指定されたデータを取っていた。


 最近は夜ベッドに入っても色々と考えてしまい、ほとんど眠れていない。

 こうして眠らずに作業をしている方が、真島にとっては気が楽だった。


 ひと通りデータを取り終えた真島は内容を確認してみるが、予測システムとは違うシステムなのか、取得したデータを読むことができなかった。


「これは記号……? いや、何かの文字か?」


 折尾に内容を確認してもらおうと執務室に戻る途中、通りかかったドアの向こう側から微かに声が聞こえた。

 そこは折尾が度々、準備と称して籠っていた部屋だった。


「オリオさん、いるんですか?」


 声をかけノックをしてみるが、返事はない。ドアに近づき耳を澄ますと、その声は動物の鳴き声のようだった。

 勝手に開けていいものかと少し悩んだが、中から聞こえてくる鳴き声が気になり、そっとドアを開けてみる。


 中は眩しく、真島は一瞬目を瞑った後、今度は大きく目を見開いた。そこはまるで日中の屋外のように明るく、草木が生い茂っていた。

 花の周りには蝶が舞い、天井付近には小鳥が飛んでいる。そして地面には犬や猫、そしてニワトリなど様々な種類の動物たちが闊歩していた。


「なんだここは……」


 外から見た建物の大きさと明らかに見合っていない広大な部屋の光景にしばらく言葉を失っていると、突然激しい揺れに襲われた。

 揺れの勢いで部屋の外に放り出された真島は、廊下の壁に体を打ちつける。


「まさか、地殻の崩壊が始まったのか!?」


 その場にうずくまって頭を抱えた真島は、全身から汗が吹き出すのを感じた。体が小刻みに震え、ぎゅっと目を瞑りながら、ここで死ぬのだろうかと考える。


 どれくらいの時間そうしていたか分からないが、急に体が浮き上がった感覚がした後、揺れが収まった。

 顔を上げあたりを見回すが、建物への被害は無いように見える。


 急いで執務室へ戻ると、そこに折尾はいなかった。


「オリオさん、どこですか!?」


 折尾を捜すため再び執務室を出ようとしたところで、窓の外の光景が目に入り絶句した。

 まるで飛行機の窓から見える景色のように、地上は雲の合間から遥か下に見えていた。


「おぉマシマ君、無事かい?」


「オリオさん! どこ行ってたんですか!」


「いやぁ久し振りに操縦したから手間取っちゃってね」


「操縦? 何を言ってるんですか?」


 折尾は答えず、真島が先ほど取得したデータを手に取った。


「お、ちゃんと返事が返ってきてるな」


「それ、読めるんですか?」


「もちろん、私の星の言語だからね。無事帰還申請の許可が下りたよ」


「オリオさん、あなた何者なんですか? このデータセンターは今飛んでるんですか?」


「これはデータセンターじゃないんだよ。私が乗ってきた『舟』だ。私は別の星から来た存在でね、観測のために随分前に地球へやって来たんだ」


 折尾の話に真島は理解が追いつかなかった。これは夢なのだろうかと、呆然としながら考える。


「キミにとっては残念な話だが、ついにが来てしまったんだよ。地球という卵が産み落とされてから46億年、その間、卵の表面には人類をはじめとした様々なが棲みついた。それも今日で終わりだが、全てを無にしてしまうにはあまりにも惜しい。そこで私はいくつかの気に入った生物を連れて帰ることにしたのだよ」


 真島は先ほど見た動植物たちを思い出す。

 まるでノアの方舟はこぶねのような壮大な話を、現実として受け止めきれなかった。


「この前キミは死にたくないと言ったね? だから私はキミを地球上の生物の一種として連れ帰ることにした。心配はいらないよ、幸いキミの名前は私の星で名乗っても違和感のない音の並びだから、きっとすぐに溶け込めるさ」


『舟』はどんどん高度を上げていき、やがて大気圏外へ出た。


 窓から見える地球には、赤い亀裂がいくつも走り始めている。


「さあマシマ君! 今ここに誕生する新たな生命を共に見守ろう!」


 亀裂が広がり、その生命は地球の内部から姿を現した。


 その光景を見て、真島の目から自然と涙が溢れる。


 その涙は全てを失った悲しみによるものなのか

 自分が生き残ったことへの安堵なのか

 それとも、その生命があまりにも美しかったからなのか


 真島自身にも分からなかった。

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