第8話 涙雨



 球体が消えると残った影の討伐となった。そしてその波も斬り捨て、安曇がやっと一息ついたところで。


 ──ドサリッ


「叔父さん!」


 叔父が膝をついた。

 見ているこちらが苦しくなるほどの荒い息。にもかかわらず顔色は青白く、今まで立ち回っていたのが冗談のように思えた。


「……わりぃ、ちょっと椅子に運んでくれ」


 叔父は顎で車椅子を示すと眉を寄せて目を閉じる。

 安曇は言われた通りに肩を貸して、叔父を車椅子に運んだ。黒ずんだ腕が鈍く痛んだけれど、気にならなかった。


「はぁ……は……わりぃな。はーあ、こんなに動けねぇとはな……」


 叔父は背もたれに体を預け、天井を見ながら荒い息を繰り返す。さっき手に巻き付けた布はぐっしょりと血に濡れていた。


「──」


 あれだけ動いていたのに、触れた手は氷のように冷たくて、黒い傷は首周りまで広がり安曇は言葉をなくす。


(嫌だ……)


「……とりあえず……大丈夫なはずだ。また、一週間くらいしてから見に来りゃいいさ」


「……うん」


 安曇が頷くと、叔父は安曇に顔を向けて目を細める。視線が少し彷徨う。


(見えて……ない?)


 安曇が震える手で叔父の手を取ると、叔父は苦笑して神妙な顔になった。フゥと息をつき、一度目を閉じてから安曇を見る。

 今度は視線が合った。叔父は自嘲するように笑みを浮かべた。


「……わりぃな。付き合ってやれんのは、おそらくこれが最初で最後だ」


「っ」


 安曇の肩がびくりと震える。叔父のその言葉の意味を、わからないはずがない。


 じわじわと胸の中に何か、表現できない染みのようなものが広がっていく。

 大声で叫んで、耳を塞いでしまいたかった。


「もっと色々教えてやりたかったが──って、おいおい、泣くなよ。まだ生きてんだ」


「……」


 声もなく、ぽたぽたと落ちる涙を拭う事すらしない安曇に、叔父は苦笑する。


 叔父は少し考えるように黙ったあと、結局言葉が見つからなかったのか苦笑した。


「まあ、なんだ。……俺にはガキはいねぇから、お前に泣かれんのは悪い気はしねぇよ」


 震える手をポンッと安曇の頭に乗せると、叔父はまたいつものようにニッと笑う。


 笑顔も声も同じなのに、どうして今はこんなにも違うものに聞こえるのか。


「……もっと、教えてよ。……お願いだから……」


「……」


 ちゃんとお役目とやらは引き継ぐから。

 だから……。



「……ごめんな」



 静かな謝罪にも、命を吸うと言われた水は沈黙を守るように無反応だ。

 安曇の泣き声だけが、館に小さく染みていく。


 ──叔父が亡くなったのは、そのたった二日後のことだった。




 ***




 梅雨の合間、珍しく太陽が見えたその日に、葬儀はつつがなく行われた。


「……」


 安曇は叔父の遺影を持って、縁側でぼんやりと空を見つめていた。


 広間には黒鉄組傘下の組員が集まり、先程まで大仰な葬儀が行われていた。組では浮いていた叔父とはいえ、組長の弟だ。当然といえば当然だった。


(いつも、みんな叔父さんを無視していたのに)


 葬儀ばかりが立派だなんて、違和感しかない。

 出棺を待つ間、大人たちはまた噂話に興じている。やはり故人を悼む心はないんだろう。


「ううう」


 ……と思っていたのだが、大広間の横の和室でジュリアが号泣していた。


「だがあぎざんんんん」


 横でも涙を流している組員がいるのを見て、安曇は少し安心する。



 叔父は帰った夜には意識をなくし、そのまま目覚めることなく亡くなった。



 その間も今も、安曇はもう涙は出なかった。ただ全身が重く、体の中心に毒でも入れられたように苦しい。息の仕方を忘れたような気がした。


「いや、いやよおおお」


 むさ苦しい泣き声が、安曇の気持ちを代弁してくれているようで、安曇はその部屋の襖を背に座り込む。



 たった二日。


(早いよ……)


 膝を抱えた安曇の前に、誰かの足が見えた。


「安曇」


 ゆるゆると見上げれば、兄の総司だった。

 総司は黒いスーツを着て、小学生には似合わない厳しい表情をして立っている。


「……兄さん」


「そろそろ出棺だ。準備をしろ」


「……」





 葬儀の前──父と母は揉めていた。

 叔父の隆明には妻も子もいない。だから喪主は父がやるとしても、遺影を誰が持つかという論議になった。


「安曇に持たせる」


「なぜですか!?」


 決定に不満を見せたのは母──結衣子だ。


「隆明と親しかったからだ」


「確かに剣術は学んでいましたけど、甥という立場は同じです。ここは長子である総司が持つべきです」


「……」


 安曇はその様子を何の感慨もなく眺めていた。相変わらず、子供をものとしか見ていない人だ。

 横で正座している総司ですら、母を見てはいない。これが贔屓されているわけじゃないことを、知っているからだろう。


「安曇に持たせる。これは決定だ」


「あなた……!?」


 母は安曇と総司を見て、そして安曇にジロリと睨むような視線を送る。


「安曇、あなたからきちんと断りなさい」


「……僕が持つよ」


「安曇!!」


 父は頷き、母の睨む視線を無視して安曇は立ち上がる。

 総司は最後まで何も言わなかった。





 前を歩く総司を見る。兄と叔父は、さほど親しくなかったはずだ。安曇が親しかったので、兄とは自然と疎遠になったのかもしれない。


「お前」


 兄がチラリと振り返って安曇を見る。


「……?」


「安曇が呪われていると騒いでいるやつらがいる」


「……」


「叔父貴は呪われていたんだろう。だからだろうが、移されたのだと言われているぞ」


「そんなの別に……」


「不名誉だろう、そんな噂」


「──」


 ざわりと心が揺らめいた。


「あの人は病弱だっただけだ。まあ、お前も体が弱い方だけどな……とにかく呪われたなんて……聞いてるか?」


 総司は安曇が無反応だったことを怪訝に思ったのか振り返り、そのまま硬直した。


「……」


 自分がどんな表情をしたのか、安曇は知らない。


 ただ、総司はハクハクと口を動かしたあと、狼狽えるように視線を逸らした。


「と、とにかく、出棺が近い。……早く準備するように」


 困惑したように後ろを向き、足速に去っていく。


 不名誉だなんて、そんな言葉を。


(……)


 感情がぐらつく。言葉にできないモヤが、胸の中にある。


「何も知らないくせに……」


 あの背中を。


 ──不快感が、全身を震わせる。


 遺影を持って、安曇は軋む廊下を進む。


 まるで一族の汚点のように言われた叔父。


「気にすんな、そんなもんだ」


 そう言って笑う叔父の声が聞こえる気がする。


(だけど、僕は)


 玄関を出て、庭の待機場所へ並ぶ。


 安曇を見てヒソヒソと話し合う大人。

 横でニヤニヤしているその子供たち。


 気にしないなんてできない。


(だってその命をかけてまで──叔父さんはひとりで守ったんじゃないか)


 思わず安曇は片手で顔を覆う。そうしないと、叫び出してしまいそうだった。耳元で鼓動が大きく鳴り響く。


 ドクドクと……血の流れが感じられるほどに。


(どうして……)


 安曇はグッと歯を食いしばり、空を見上げる。


 梅雨の晴れ間の太陽は、夏の訪れを予感するように強い光を放っていた。


 目を閉じれば赤々とした色が滲む。ここで騒ぎを起こしたくない。叔父を送るために──





「──出棺」


 アナウンスが流れ、人の道を通りながら叔父を乗せた棺が運ばれてきた。

 先程までザワついていた大人たちも、位牌を持った組長が立ったことでシンと静まり返る。


 そして、安曇が棺に視線を向けた瞬間だった。


 ──ポツ


 サアアと音を立てて水が落ちてきた。

 空は変わらず太陽が出ている。


 けれど──雨が降っていた。


 安曇は再び空を見つめる。

 その目に涙はないけれど、グッと胸を押さえる。


 代わりに泣き続ける空が、痛みを流して沈めるようにパラパラと水を落とし続けた。


「……」


 泣きはしない。

 ただ一生、この時は忘れないと思った。


 しかし──




「こんな……馬鹿なことが……」


 火葬場で棺が下ろされると、係員が動揺した様子で父の元に駆けてきた。


「……何!?」


 係員に耳打ちをされた父の顔色が変わる。


(……え)


 遺影を抱え、父のそばにいた安曇は確かに聞いた。


『遺体が水になった』と──

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黒き蛇は死水に潜る 御月ケイ @Queensriddle

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