第6話 ハニーと呼ぶ幼馴染


「彩芽、お前先に戻ってろ」


 有無を言わさない感じで、俺は彼女に詰め寄った。


「え、でもまだ……」

「試合で疲れているのに働き過ぎだ。昊子は体力ないんだから、あとは男子に任せろ。おい手ぇ空いている男子ちょっと来い」


 俺が呼びかけると、さっき同じチームになった二人がモップから手を離した。


「選手交代だ。わかったら三人とも更衣室へGOだ。しっしっ」


 俺が手で虚空を払うと、彩芽はなんだか拗ねたように、悔しそうな眼差しで唇を尖らせた。

 でも直後、


「ありがと」


 子猫が鳴くような声を漏らして、背中を向けた。

 長い黒髪がさらりとひるがえるのが、実に美しい光景だった。


「光馬って優しいよね」


 彩芽の右隣で、心音がうっとりと呟いた。


「もしかして彩芽さん攻略されちゃいましたか?」


 左隣では紬麦がゲス顔で問いかけた。


「ばっか、アタシは光馬に興味なんか……あっ」


 フリーになった両手を見つめてから、黒い瞳は青い瞳を睨んだ。


「ほえ? ……ぎゃぁああああああああああああああ!」


 残酷すぎて筆舌尽くし難い光景に背を向けた。


 ――さばら紬麦。来世ではもうちょっと頭のいい子におなり。


 幼馴染の死を悼みながら、俺は男子たちと一緒にカゴ台車を持ち上げた。


「ひぎぃいい! ひぎゅううう! うぎぎぎっぎぎぎ……」ガクリ


 この瞬間、俺の三人しかない幼馴染二人だけになった。


   ◆


 空森紬麦にトドメが刺されている頃。

 職員室では藤宮悠乃(ふじみやゆの)教諭が来訪者を歓迎していた。


「数日遅れじゃが、入学おめでとう。なんとか四時間目には間に合ったようで何よりじゃ。わっちの授業は気にせんでええぞ。有給休暇扱いにしちゃる」


 いしし、と笑う藤宮教諭とは対照的に、目の前の少女は漂白されきった表情で担任の顔を見下ろしていた。


「そんなに緊張せんでええぞ。うちのクラスにバカはおっても悪い奴はおらん」


 藤宮教諭がくるくる舌を回しながら背もたれをぎしっと鳴らした。

 少女は、気だるげに視線を反らした。


「別に……」


 まだ15歳でありながら、その眼差しはまるで人生に疲れ切った世捨て人のように空虚だった。 


 ファンタジー小説に出てくる、長い戦争を生き残ったエルフが現実にいたら、彼女のような雰囲気かもしれない。


 藤宮教諭はやりにくそうに頭をかいてうなった。


「年齢不相応に苦労してそうじゃの。まぁ何かあったら相談せい。若造と言えどわしゃお主の担任様じゃ。人生相談から恋愛相談まで幅広く受け付けるぞい」


 ドンと胸を張るも、やはり少女の金色の瞳は冷ややかだった。

 ならばと、藤宮教諭は白衣のポケットからスマホを取り出した。


「ときに、クラスのグループLINEあるんでな。お主のIDを教えてくれんか?」

「いらないよ」


 呼吸のついでだと言わんばかりに、少女は囁いた。


「ボクは生き別れた夫以外に興味はないんだ。SNSで他人と繋がるなんて気持ち悪い」


 当然、彼女の年齢で結婚できるわけもない。

 何かの比喩かと考えながら藤宮はスマホを下ろした。


「友達になれとは言わん。学校関連の連絡に必要なだけじゃよ。わずらわしいなら、わしだけとどうじゃ? 担任が生徒を管理するんは当然じゃろうて?」


 背もたれから体を話して、前のめりで少女の顔を覗き込みながら誘うような声音でしかける。

 すると顔を逸らしたまま、少女は担任を一瞥した。


「……koumaloveそれがボクのIDだよ」

「うむ……うむ?」


 首を傾げる藤宮教諭には聞こえないほどに小さな、傷ついた猫が鳴くように、


「東京なら会えるよね……ハニー……」


 陶磁器も同然に無機質な表情に、ほのかな期待の熱が灯った。


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