主菜:肉の対価

マナミがオーブンから出したばかりのローストビーフを、テーブルの中央に置いた。

ナイフを入れると、赤身の肉からじわりと肉汁が滲み出し、白い陶器の皿に赤い水溜まりを作る。

「素晴らしい色だ。これだけの肉、普通のスーパーじゃ手に入らないだろう?」

「ええ、少しこだわりのある精肉店にお願いしたの。……カズヤ君、最近はお忙しいんでしょう? 接待続きで舌が肥えている方に満足していただけるか、心配だわ」

マナミは肉を切り分ける。そのナイフの動きは少し乱雑で、皿をカチカチと鳴らした。

「接待なんて、ただの仕事の延長だよ。自分の意志で店を選べるアキオとは違う。会社という看板がないと、僕は水一杯も飲めない人間だからね」

「生々しい、か。エリちゃんは詩人だね」

カズヤはローストビーフの最後の一切れを口に運び、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。そして、リネンで口元を優雅に拭う。

「アキオ。さっきの投資の話だけどね」

カズヤの声色が、一段低くなった。

「君のその……友人思いな提案には、本当に胸が熱くなるよ。普通、そこまで利回りの良い案件なら、他人に教えず独り占めにするものだ。それを僕らにシェアしてくれるなんて、君は本当に『欲』がないんだね」

カズヤは微笑みながら、アキオの空いたグラスにボトルの底に残った澱(おり)ごとかけた。

「そ、そうさ。仲間だからね。独り占めなんて寂しいじゃないか」

「うん、その純粋さがアキオの良さだ。……ただ、少し心配でね。実は僕の部署、金融犯罪の調査チームと連携することが多くて。最近、君が言っているような素晴らしい案件を扱っているリストが出回っているんだ」

カズヤは声を潜め、まるで秘密を共有するように上体を寄せた。

「もちろん、君の名前がそんな危険なリストにあるはずがない。君は賢いからね。……でも、もし万が一、資金繰りに少しでも『無理』が生じていると、そういう怪しい話に目が眩んでしまう人が多いんだ。君に限って、火の車……なんてことはないと思うけど」

アキオの手が震え、フォークが皿に当たってカチリと音を立てた。

額の汗が頬を伝い、顎から滴り落ちる。

「あ、当たり前だろ。僕はただ、余裕資金の運用を……」

「だよね。安心したよ。もし君が困窮していたら、僕も立場上、友人として付き合い続けるのが難しくなる。コンプライアンスがうるさくてね。……君とは、ずっと対等な友人でいたいんだ。だから、その話は聞かなかったことにしておくよ。君の『品格』を守るためにね」

カズヤは優しくアキオの肩を叩いた。その手つきは、まるで衣服についた汚れを払うかのようだ。

アキオは口をパクパクと動かしたが、言葉にならず、ただ引きつった笑みを浮かべて頷くしかなかった。

カズヤは満足げに背もたれに寄りかかり、勝利者の余裕で室内を見渡した。

「それにしても、この部屋は少し乾燥するね」

「ああ、加湿器の水が切れたのかしら。……水を入れてくるわ」

マナミが立ち上がろうとした時、手が滑り、重いワインボトルがテーブルにドン、と置かれた。

中のワインが大きく波打ち、真紅の雫が白いテーブルクロスに飛び散った。

それはまるで、小さな血痕のようにじわじわと布に染み込んでいった。

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