笑顔の食卓――四十五階の腐敗~AIに「京都人のような嫌味」を教え込んだら、性格が悪すぎるミステリーになった

銀 護力(しろがね もりよし)

前菜:換算レート

クリスタルのグラスが触れ合う硬質な音が、四十五階のダイニングに響いた。

眼下には、宝石をぶちまけたような東京の夜景が広がっている。窓ガラスには、オレンジ色のダウンライトに照らされた四人の笑顔が、半透明に映り込んでいた。

「やっぱり凄いな、アキオの家は。学生時代、サークルの部室で『いつか天下を取る』って安酒を飲んでいたのが、まるで昨日のことのようだ」

カズヤが窓際まで歩み寄り、大げさに感嘆の息を漏らす。仕立ての良いジャケットの袖口から、パテック・フィリップが鈍い光を放つ。

「懐かしいね。あの頃からカズヤは賢かった。飲み会の割り勘の計算も、損な役回りを避けるのも、誰より早かったもんな」

アキオはリネンのナプキンを丁寧に折りたたみ、額に浮いた汗をそうっと押さえた。

「でも、カズヤにそう言ってもらえると安心するよ。君のような『確実な資産』を持っている人間から見れば、ここは少し……維持費のかかる見栄の塊に見えるんじゃないかと心配していたんだ」

「とんでもない。見栄を張れるのも才能のうちだよ。僕なんて、会社の看板という安全地帯から一歩も出られない臆病者さ」

カズヤは目を細め、琥珀色のワインを喉に流し込む。

「あら、カズヤさんったら。謙遜が過ぎますよ」

マナミがキッチンから銀色のトレイを運んできた。白身魚のカルパッチョが、幾何学模様のように整然と並べられている。

「まあ、素敵! これ、マナミが作ったの?」

エリがテーブルの端で、音を立てずに拍手をした。その視線は料理ではなく、カズヤがマナミに向ける視線の熱量を、定規で測るように見つめている。

「切って並べただけよ。ソースも市販のものだし、手抜きで恥ずかしいわ」

「そんなことないわよ。昔からマナミはそうだったわよね。皆が欲しがる『高価なもの』の横に、いつの間にか一番綺麗な顔をして収まっている。その嗅覚、尊敬しちゃう」

エリはグラスの縁を指でなぞりながら、首を傾げて微笑んだ。

「ありがとう、エリ。でも私は、あなたが羨ましいわ。誰にも縛られず、自分の食事のことだけを考えていればいいんですもの。その身軽さは、お金じゃ買えないわね」

マナミはトングを手に取り、エリの皿に魚を多めに取り分けた。

「たくさん食べてね。フリーランスだと、ボーナスも福利厚生もないでしょうから」

「ええ、いただくわ。……でもマナミ、少し痩せたんじゃない? そんなに細くて、この広いお家の管理ができるの? 家事代行でも頼めばいいのに」

「主婦の仕事を取ったら、私には何も残らないから」

マナミはふふ、と笑い、今度はカズヤの皿に魚を乗せた。そして、仕上げに小瓶に入ったオイルを回しかける。

「どうぞ、カズヤ君。このオイル、カズヤ君が好きだった『クルミ』の風味のものよ」

カズヤの手が、フォークを掴む手前でぴたりと止まった。

「……ありがとう。よく覚えていてくれたね。ただ、最近は少し体質が変わったみたいでね。ナッツ類は控えているんだ」

一瞬の間。冷蔵庫の製氷機が、ガラガラと氷を吐き出す音だけが響く。

「まあ、そうなの? ごめんなさい、私ったら昔の記憶のままで止まっていて。……てっきり、まだ大好きだと思っていたのに」

マナミは残念そうに眉を下げ、オイルの瓶の蓋をきつく閉めた。ガラスとガラスが擦れる音が、小さく、しかし神経質に鳴った。

「気にしないでくれ。人の好みも体質も、時が経てば変わるものだからね。……リスク管理だよ、ただの」

カズヤは笑顔のまま、手つかずのカルパッチョをテーブルの向こうへ数センチだけ押しやった。

「そうだな。リスク管理は大切だ」

アキオが再びナプキンでこめかみを押さえる。新しい汗が、拭ったそばから滲み出ていた。

彼はナプキンを握りしめたまま、誰に言うでもなく口を開いた。

「リスクを取らない人間は、一生、地を這うだけだからね」

アキオの視線が一瞬だけ床に落ちた。まるで、このタワーマンションの遥か下にある、かつて自分がいた泥濘(ぬかるみ)を見下ろすように。

ガタガタガタッ――。

風が強まったのか、窓の外でベランダの手すりが激しく軋む音がした。

一瞬、全員の視線が窓の外の闇に向けられる。

「……風が強いわね。何かが落ちないといいけれど」

エリがポツリと呟き、カズヤの横顔をじっと見つめた。

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