第2話・親友とその妹が、入れ替わってしまった件
長い黒髪。細身の体。
切れ長で、いつも眉とあわせてつり上がっていた眼は、今はへにょんと下がっていて、それだけで印象が違う。
可愛い。
ゼレミレアなのに。
いや、違う。
「ロウトウェル、どうしよう……」
中身は、ゼレミレアではない。俺の親友でありゼレミレアの兄、アレイゼンだ。この甘えた感じ、間違いない。何より――
ゼレミレアが俺に涙目でしがみついて頼るなんて、ありえない。
たとえ兄妹で示し合わせて俺をからかうとしても――いや、無いか。それならゼレミレアは死を願うだろう。俺か、兄のアレイゼンの死を、だ。間違っても己の死を願う事はない。
カツカツと、覚えのあるリズムの歩調が聞こえてくる。
「あらあら、仲睦まじい事。お似合いでしてよ、お兄様、ロウトウェル」
イラっと来る話し方。しかし、その声は馴染みのあるゼレミレアの声ではない。よりにもよって『アレイゼン』の声が、そう喋っているのだ。
廊下の奥からやってきた『アレイゼン』は、眉を吊り上げ、俺達を見下すように顎をあげて見下ろすような態度をとっている。……アレイゼンは俺よりやや背が低いのだが。態度だけは一丁前だ。
「ミィ!どんな魔術を使ったんだ!早く僕を元に戻しなさい!流石にお兄ちゃまも、許さないよ!?」
俺の腕の中のゼレミレア――の姿をしたアレイゼンが俺に抱き着いたまま、アレイゼンの姿をした何者かに喋っている。
……少し混乱するが――あれは、ゼレミレア、か?
腕の中の謎の『ゼレミレア』がアレイゼンであるとするなら、確かにそれが妥当だろう。変な玉突き事故を起こして、おじ様とか、余計な人間を巻き込んでいないのであれば。
「そのままでよろしいのでは?お兄様も。可愛い可愛いお・に・い・さ・ま?」
アレイゼンの顔が、このうえなく底意地悪く歪んでいる。可愛さというのは、顔の造形だけで生み出されるものではないのだと、俺は痛感した。やめろ、ゼレミレア。アレイゼンの顔で、お前の表情は出すな。アレイゼンはまったく悪くないのに親友の縁を切りたくなる。
「なんでそんな事言うの、ミィ……」
……あと、アレイゼン。お前のそのしおらしい感じを、ゼレミレアの顔で出すな。なんか心が落ち着かない。俺をおかしな道に引き込ませる気か。
アレイゼンのばあやが声もなくぶっ倒れた物音で、おば様達がこの事態に気づいた。幸い、屋敷のごく一部の者だけでどうにか隠匿できそうだった。
「ゼレミレア!何を考えてこんな事をしたのですか」
流石におば様も仔猫をかまっている場合ではないらしい。常から気苦労の多いおじ様も、なおさらご苦労な事だと思う。いつにも増して、頭を抱えている。
しかし、ゼレミレアはおば様やおじ様、自分のばあやからの説教にも一切動じていない。『それが何か?』といった様子である。どんな神経しているんだ。
……中身がゼレミレアであるというだけ――『だけ』というは少し違うか。『アレイゼン』の外見自体は何も変わっていない。
ただ――何というか、『怖い』のだ。
幼馴染だから、アレイゼンとは『もう絶交だ!』なんて喧嘩を何回かした事もあるが、それでもあんな表情は見た事が無かった。
中身と外見が揃っていないからもちろんそうなのだが――別人どころか、別の存在のように見える。
「ミィは、なんでこんな事をしたんだろう……?」
そして――
「おい。お前が本当にアレイゼンだっていうなら、もうしがみつくのはやめろ」
「ああ、ごめん。……でも、いつもの事じゃないか」
「……いつもの事でもだ」
アレイゼンであれば、そうなのだが。
……今のアレイゼンは、中身だけ。外見が『ゼレミレア』であるというのがややこしい。
ゼレミレアの事は、『不倶戴天の敵』としてしか考えてこなかった。が、この一家自体が見目麗しい家系なのだ。十四にしてその美貌を持ちうるゼレミレア。そこにゆるふわ可愛い系のアレイゼンの中身。
……反則としかいえない。
人によってはあざといと言いだしかねないほど『ゼレミレアが可愛い』。――その事実に、俺は何としても抗いたい。認めたくない。
「うっかりロウトウェルに頼っちゃったけど……でも、今日来てくれていて、よかったよ」
――にっこり。
ゼレミレアが、にっこり。俺に向かって。
かわっ……か、可愛くない。
考えてみろ。外見は整っていても、本来の中身はゼレミレアだぞ?では今は?といえば、中身のアレイゼンではないか。
「――よ、良くはないだろう?一家のごたごたを、他人に知られたんだぞ?」
「他人って……そんな言い方しないでよ。ロウトウェルは特別なんだから――ロウトウェル!?どうしたの!?」
俺は髪を掻き乱した。……しっかりしろ、俺!
理屈ではわかっている。理屈ではわかっている!
けど、単純な情報としては、悪鬼羅刹のごとき性悪女のゼレミレアが、『人生初、俺を頼って笑顔を見せている』としか見えない、聞こえない。
『ゼレミレア』(外見)相手に動揺しているとしても、アレイゼン(中身)相手に動揺しているとしても、どちらにしても、それは認めてはならない事だった。
「まったく……なんて事に。そっちはアレイゼンでいいのね?アレイゼン、それに、ロウトウェル君……」
反省の欠片も見せないゼレミレアに匙を投げたのか、おば様はため息をつきつつ俺達のそばにやってきた。
「ああ、おば様。何やら大変な事になったようですね。才に溢れたお子を持たれた故の気苦労は、俺にははかり知れませんが――」
ゼレミレアに関して、皮肉が乗るのは仕方ない。ただ、おば様に言っても仕方がない。嫌味になりすぎないよう、注意する。
「――お忙しそうですし、マシュマロちゃんの母猫っぷりも堪能できましたので、俺はこれで」
「せっかく来ていただいたのに。ごめんなさいね。まったく、ゼレミレアは何を考えているのか」
今も説得を続けるおじ様と、そっぽを向いている『アレイゼン』姿のゼレミレア。おば様はそれを見ながら、ふうと大きなため息。物憂げな顔をしていても、この一家はどうあれ顔がいい。
「貴方には言わなくてもわかっていただけると思うけれど――」
「わかっています。誰にも口外しません。父母にも」
とりあえず、それを約束するのは礼儀というのものだ。
「いえ、ハイウェル様とローゼル様であれば――」
そう言って、おば様は俺と並んで立っているゼレミレア――の外見をした、天使のような愛らしい顔つきのアレイゼンを見た。
「……ある種、この方が良いのかも……」
「……おば様?」
「母様?」
何やら、不穏な呟きを耳にした気もする。――ともかく俺は、その場をいったん、後にした。
「行かないで、ロウトウェルうう……」
瞳をうるうるさせる、ゼレミレア姿のアレイゼンに後ろ髪を引かれつつも――
「……」
説教を流しながら冷たく俺を睨む、アレイゼン姿のゼレミレアの不気味さから一刻も早く逃げ出したかったからだ。
まったく、アイツは何を考えているのか、わからない。
さっさと元に戻ってほしい。生意気なゼレミレア姿のままゼレミレアに睨まれる方がずっといい。俺は黒髪の生意気な少女を思い返していた。見慣れた光景だった。それを忌々しいと毎回思っていたのに、まさか乞う事になるなんて。
……しかし、残念ながら俺やアレイゼン含む家族たちの祈りは虚しく、ゼレミレアは魔術を解く事はなかった。しばらく、この複雑な状況は、一部の人間だけが真実を共有しながら続く事になってしまう。
次の更新予定
俺と、親友と、その妹がとんでもない! 神空うたう @kamisorautau
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