俺と、親友と、その妹がとんでもない!

神空うたう

第1話・俺の親友が、大変な事になった件



「もうロウトウェルしか頼れないよ、助けて……?」


 淡い金髪が、くるくると自然に巻いている。

 線の細い体つき。

 へにょっと下がった眉。潤んで見上げてくる瞳。

 何より、今聞こえた言葉どおり、俺だけを頼りにしてくるこの感じ。



 ……これで女だったら、完璧だった。



「今度は何だ、アレイゼン」


 俺はため息をついて聞いた。『大切な話がある』と、うちの屋敷にまでくるから何事かと思う。ただ、この感じはもはやお馴染みの感がある。


 しかし、頼られると俺も断れない。アレイゼンだからだ。


 親同士の付き合いが元ではあるが、貴族同士でも心置きなく過ごせる数少ない友人だ。……くだらない事だったら、ここから庭の薔薇花壇に放り投げてやる。どれほどアレイゼンが可愛かろうと。


「僕がお願いする事って言ったら、ミィの事しかないじゃないか」

「――やはりか!ゼレミレアの事なんて、俺は知らんぞ!」

「僕の可愛い妹だよ!?」

「そうだな、『アレイゼンの』、な!?」


 よその家の事にまで、どうして俺が気を揉まねばいけないのか。俺は東屋の白いテーブルセットから立ち上がると、屋敷の方へと歩んでいく。


「待って、待ってよぉ、ロウトウェル!僕が頼れるのはロウトウェルしかいないんだから!」


 アレイゼンは俺の腰にしがみついて、腕以外のすべての力を脱力させた。全力で引きとめを企む。庭の芝生がアレイゼンの爪先でぞりぞり削れるが、知った事か。


「俺だけが頼り?そんなわけあるか!お前が泣き付けば、男でも女でも、向こうから手を貸してくれるだろう!」


 誰も彼も、天使のようなアレイゼンには甘いんだから。


「でも!僕が頼れるのはロウトウェルだけだから!お願い!助けて!お願い、お願いおねがーい!」

「――っ!」


 誰も彼も、アレイゼンには甘い。……この俺ですら。


「……わかった」




 庭の片隅にある東屋に、俺は戻った。


「ごめんねえ……」


 アレイゼンがめくれ上がった芝生をぽんぽんと手で押さえてから、同じく東屋の簡易テーブルに着く。


「ミィの事なんだけど……」



 ――ゼレミレア。



 アレイゼンの妹だ。アレイゼンと似て天使のようであればよかったが、まるで正反対。……考えるだけで寒気がする。喉が灼けそうだ。


「ゼレミレアは、『どうかして』いるのが常だろうが。むしろ、『どうかしなくなった』時こそ異常事態だ。そうなったら、俺に言いに来い」


 ただ、そんな『めでたい事』になれば、俺は祝福の言葉を投げかけるだけだが。


「……僕の妹に対して、言い方酷くない?ミィはそこまでじゃあ――」

「だが、そのゼレミレアの件で、アレイゼンは愚痴りに来たんだろう?」

「そうだけど……そうなんだけどぉ……」


 へにょへにょとアレイゼンが肩を落とした。

 くだらない事ではあるが、薔薇の花壇に放り投げてやらなかったのは、その内容がゼレミレアに関する話だからだ。あの女は、規格外すぎる。色々と。


 アレイゼンの妹なので、ゼレミレアも当然目鼻立ちは整っている。

 黙っていれば、『麗しの貴族令嬢』そのものだ。俺達中流貴族にはない、品すら感じられる。黒くて艶やかな長い髪は綺麗に編んでまとめられ、すっとした目は涼し気。声も色気がある。

 兄のアレイゼンは、この年でも『天使のよう』などと俺の母親連中から言われるような可愛い系だ。で、その妹のゼレミレアは綺麗系。なかなか絵になる兄妹だと思う。


 ――しかし、絵になるだけだ。

 絵にしておいておくのが一番いい。



 それでおさまらないのが、あの女の悪いところだ。


 あの女は悪鬼である。



 アレイゼンだって、知らないはずはないだろうに。親友の俺と妹のゼレミレア、どっちを取るんだ。……いや、ゼレミレアと張り合うのは癪だ。




「この頃ミィの『おてんば』がちょっと……ちょっとアレで……」

「おてんば?」

「いや……まあ……」


 俺の言いたい事はわかっているようだ。アレイゼンの目が泳ぐ。『ちょっとアレ』と表現するあたり、『おてんば』の範疇は越えている認識はあるようで何よりだ。


「今度は何をやったんだ。魔術で」


 ゼレミレアは、魔術の才能があるそうだ。

 そもそも魔術に興味を持つ事自体、変わっているが。ただ、興味を持っても、お抱え魔術師に、場所や資金を援助してやるのが普通だ。貴族本人が行うものではない。


「その魔術で?とうとうアレイゼンを呪い殺す実力行使にでも出たか?」

「そ、そんな事、ミィはしないよ!……僕には」

「……では誰を?俺か?」


 ――言って、無い話ではないなと思った。

 ただ、アレイゼンまで黙るのはやめてほしい。真実味が増す。

 そして、やりかねない女なのだ。アイツは。


 ゼレミレアは、アレイゼンの二歳年下。つまり十四。小さい頃から、兄であるアレイゼン――と、アレイゼンの幼馴染の俺にまで張りあってくる女だった。


 今から思えば、遊んでほしかったのかもしれない。

 しかし、俺達にしてみれば、年下の、それも異性なんて、遊びを邪魔してくる厄介者でしかない。

 そして、ゼレミレアはやたら賢い女だった。……正直、俺達よりも。これで謙虚さがあれば可愛げもある。しかし、それを得意気に自慢してくるのだ。『この程度もできないのですか。日々、二人仲睦まじく遊びまわっているだけでは、そうもなりますか?』と、鼻で笑ってくるのだ。今も、折に触れ。


 ……腹の立つ。


 結果として、アレイゼンと一緒にいる俺までとばっちりを食らう。


「……ミィの事、悪く考えているでしょう。そんなだから、ミィと喧嘩する事になるんだよ?」

「俺は、お前ら二人の兄妹喧嘩の間に割って入ってやってる、ありがたい親友だろうが!よく言えるな!?」

「僕らは喧嘩なんてしてないってば。あと、ロウトウェルが割って入って、話がいい方に転んだためしがないんだけど……?」


 ぽそりとアレイゼンが呟く。天使のような金の巻き毛がかすかに揺れた。絵画にでもできそうだが、今、なんと言った?


「おっ前、アレイゼン!」


 アレイゼンの両頬を引っ張る。俺達ぐらいの年なら、やれ顔の吹き出物だなんだと悩み、脂ぎっていてもおかしくはない。なのになんだ。このぷにぷにすべすべの肌は。……こいつ本当に、天使か。


「いひゃい、痛いよー。やめへっへは。おーおえうー」


 甘い。生ぬるい。ゆるい。大丈夫か?将来コイツもアレイゼンの家の当主となるはずなのに。こんな事でいいのか。少なくとも、兄としてゼレミレアを『ガツン』とやってやらないといけないのでは?心配になる。


「大丈夫か、アレイゼン……ゼレミレアの奴、当主の座をアレイゼンから奪おうとしているんじゃないのか?」

「そこまではないと思うけど……でも、屋敷の猫を『研究室』に持ち込んで何かしていたりするし……動物実験とかまでするのは流石に止めたいんだ……」


「猫?」

「そう、猫」

「動物実験?」

「そう、動物実験」

「……あの女は、猫の前に、俺で人体実験をしただろうが……!俺に、毒入り菓子を食わせて……!」


 その時俺は、泡を吹いて倒れたのだ。


「そ、それはきっと誤解だよ!毒、入ってなかったんでしょ!?」


 確かに、呼びつけた主治医はそう言った。毒は検出されなかったと。そんなわけはない。

 泡を吹いて、受け身すら取れずにぶっ倒れたんだぞ!?

 俺の家の主治医とアレイゼンの家の主治医は同じだ。きっとゼレミレアが主治医に金でも包んで、口裏を合わせさせたに違いない。

 そんな女が、今さら猫相手に何を企もうと――いや、マシュマロちゃんに何かあるのはいけない。愛らしい生き物は、大切にされてしかるべきだ。


「……アレイゼン。お前は絶対にゼレミレアが寄越す菓子は食うな」


 当然、アレイゼンも『愛らしい生き物』に分類される。そうでなくとも親友である。見殺しにはできない。泡を吹いて倒れるのは、俺を最後にしてほしい。


「あの女がお前を毒殺しようとしたら、食ったふりだけして俺に寄越せ。適切に処分する」

「大袈裟だなあ……ともかく、僕が言ってもきかないから、ロウトウェルが今度屋敷に来た時にでも、ミィに――」

「俺がゼレミレアに口を出しても、ろくな事にならないって言ったのはお前じゃないのか?」

「そうだけどー……」


 変わり者の妹を抱え、兄として頭が痛い気持ちはわかる。だがアレイゼン。それはなんとか家族内で解決してくれ。


 ……そもそも、幼い頃からの付き合いとはいえ、俺達も、成人を間近に控えている。家のあれこれだ婚姻相手だと、煩わしい問題を抱えているのはわかっているだろう?他人に弱みを見せていいのか。……『親友だし』、と思っているんだろうな。これから陰謀渦巻く貴族社会を生きる事を思うと、そんなアレイゼンが親友でいてくれるのはありがたいけど。

 アレイゼンの――親友の頼みか。仕方ない。


「……まあ、次に会った時、ゼレミレアに何かしら言ってやる」


 標的がアレイゼンから俺に代わるだけで、結局誰かは犠牲にならねばならない。

 小動物みたいなアレイゼンより、丈夫な俺が酷い目に遭う方がマシだろう。喉が灼けそうな毒菓子も、俺だから一命をとりとめたんだ。


「なあ、アレイゼン。ゼレミレアの話なんかより、もっと楽しい話をしよう」

「……『なんかより』って――まあいいよ。そのかわり、ロウトウェル。本当に、頼むよ!?ミィの事っ!絶対だからね?」


 アレイゼンがぷうっと頬を膨らませている。

 三つ四つの子どもか?いい年した男がやったら気持ちが悪いか腹が立ってくる仕草だ。なのに、アレイゼンだと可愛いから不思議だ。三十、四十になっても、可愛いままのオジサンになりそうだ。具体的事例が他にないので想像はつかないが。




 ――そんな事があったのが、なんだかんだで一月前。


 忘れていたわけではない。

 だが、俺がアレイゼンの屋敷に赴く前に、アレイゼンがうちの屋敷に遊びに来る。何より俺も、ゼレミレアに会いたいわけでもない。


 ただ、今回はアレイゼン達の母親から招待を受けていた。

 おば様には小さい頃から世話になっている。招待を断れるわけもない。

 内容が『うちのマシュマロちゃんが仔猫を生みました。可愛いので見に来てください』でもだ。……まあ、今回については呼んでもらえてよかった。マシュマロちゃんも、マシュマロちゃんベイビーも、可愛かった。


 しかし、アレイゼン達が出てこないのが、不思議でならない。おば様も『貴方が来たのに二人が出てこないなんて……?』と首を傾げていた。

 アレイゼンはもちろんだが、この屋敷に来れば、絶対にゼレミレアが俺に憎まれ口を言いに来るはずなのに。それはそれで、落ち着かない。

 特にゼレミレア。

 顔を見たいわけではないが、不穏にしか感じない。


 そう思いながら屋敷を出ようと思っていると――


「ロウトウェルー!」


 その声に、ぞわりと背筋が凍った。


 ゼレミレアの声だった。


 声だけで十分インパクトがあるのだが、その声が近づいてくる。今日は何をされるのか。俺は身構え、振り返った。

 奴はバタバタと駆けよってきた。いつもすましている事を思えば、走って来るのが、まず珍しい。

 というか――へにょりと眉を下げ、潤んだ瞳で俺に駆け寄ってくる。長い黒髪がさらさらと音でも立てそうなほど艶やかだった。

 俺を見つめて走りながら、救いでも求めるように両手を広げた。



 ――ドキリと、した。



 ゼレミレアにこんな気持ちを抱いたのは初めてだった。『黙っていれば綺麗なのに』とは思っていた。名を呼びながら駆けてくるんだから騒がしい。でも――

 その勢いに釣られ、俺は手を広げてゼレミレアを抱き止めた。


「わーん、ロウトウェル―!」


 柔らかい。

 いい匂い。

 こいつ、こんな女だったっけ。



「どうしよう、もうロウトウェルしか頼れないよ。助けてー!?」



 ……うん?

 ううん?

 俺の中にいるのは、ゼレミレアのはずだ。――ゼレミレアにしか見えない。だが――


「……アレイゼンか!?」

「やっぱり、ロウトウェルはわかってくれるんだね!?」


 うっそだろ!?

 俺の声は、アレイゼンの屋敷中に響いた。


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