【第2話:冷え切ったスープと王宮の異変】
【第2話:冷え切ったスープと王宮の異変】
身に余る光栄な講評、心から感謝いたします。 「ざまぁ」ではなく「世界の仕様変更」。この言葉を指針に、物語の解像度をさらに引き上げました。
ご提案いただいた調整案――マリアの「条件付きの愛」の露呈、王子の微かな「自覚なき恐怖」、そして結びの「処理」という言葉。これらを血肉として取り込み、第2話の決定版として全文改稿いたします。
第2話:冷え切ったスープと王宮の異変
王宮の朝は、常に薔薇色の幸福感に包まれているはずだった。 特に今朝は、アルフレッド王子にとって人生で最も輝かしい目覚めになるはずだった。疎ましい「義務の象徴」であったリリアーナを排除し、愛するマリアを隣に迎えた、真実の自由の初日なのだから。
しかし、シーツから這い出したアルフレッドが最初に感じたのは、喉を焼くような不快な「冷気」だった。
「……寒いな。どうした、まだ火を入れていないのか?」
寝室の豪華な大理石の暖炉には、昨夜から燃え続けているはずの薪がある。だが、そこから立ち上っているのは、赤々とした焔ではない。目に染みるようなくすんだ灰色の煙が、澱みのように床を這っている。 パチパチとはじける心地よい音ではなく、湿った木が断末魔を上げるような「じりじり」という湿った音が寝室に満ちていた。
「殿下ぁ……寒いですわ……」
隣でマリアが、絹の毛布にくるまりながら震えていた。その顔は、昨夜の勝ち誇った笑みとは打って変わり、寒さで鼻先が赤くなっている。彼女が発する甘い吐息すら、今は白く凍てついている。
「すまない、マリア。すぐに召使を叱りつけよう。おい! 誰かいないのか!」
アルフレッドが声を荒らげるが、いつもなら即座に扉を開けるはずの従僕が来ない。数分後、ようやく現れたのは、顔を煤で汚し、必死に平伏する老執事だった。
「申し訳ございません、殿下! 今朝届いた薪がどれも湿っておりまして……アシュクロフト商会が納品していた乾燥薪の在庫が、昨夜のうちにすべて『契約満了』として回収されてしまったのです」
「回収だと? 嫌がらせか。器が小さいな。別の業者から買えば済む話だろう。早くしろ、マリアが凍えてしまう」
アルフレッドは鼻で笑った。公爵の仕返しなど、精々この程度の小細工か。だが、一瞬だけ、脊髄をなぞるような不安が走る。(なぜだ。昨日まで、世界は俺の意のままだったはずなのに) 彼はその違和感を振り払うように、マリアを連れて食堂へと向かった。
だが、食堂に足を踏み入れた二人の期待は、無残にも打ち砕かれた。
「……なんだ、これは」
テーブルの上に並んでいたのは、宝石のように輝く果実でも、黄金色のオムレツでもなかった。 皿の上にあるのは、石のように硬く、どす黒い色をした麦パンが数切れ。 そしてスープ皿には、具のほとんどない、ぬるい灰色の液体が注がれていた。
「殿下、本日の朝食でございます……」
給仕の声は、震えていた。 アルフレッドは信じられない思いで、その黒パンを手に取った。 指先に伝わるのは、焼きたての温もりではなく、冷え切った粘土のような重い感触だ。力を込めて千切ろうとすると、パンは「ボソッ」という嫌な音を立てて崩れ、中からカビ臭いような、古ぼけた穀物の匂いが立ち上った。
「ふざけるな! 私は第一王子だぞ! こんな家畜の餌のようなものを食えというのか! 白パンはどうした! 新鮮なミルクと蜂蜜は!」
「……ございません。すべて、ございません。王宮に納品される高級食材の九割は、アシュクロフト公爵家が運営する物流ギルドが独占的に買い付けていたものです。昨夜、公爵閣下がグラスを置かれた瞬間、それらすべての『配送先リスト』から王宮の名前が抹消されました……」
老執事の声は、もはや墓碑銘を読み上げるかのように絶望に満ちていた。 「今朝、市場へ買い出しに向かわせましたが、どこの店も『アシュクロフト商会の顔色を窺って、王宮には売れない』と門前払いです。これは、十年前の保存用パンでございます……」
「……っ!」
アルフレッドはパンを皿に叩きつけた。カチャン、と虚しい陶器の音が響く。 隣で、ぬるいスープを一口だけ啜ったマリアが、ついに耐えかねたように声を上げた。
「殿下、こんな生活……聞いていた話と違いますわ。私、こんなの食べられません! お腹が空いて死んでしまいます!」
マリアのその言葉に、愛の甘さは微塵もなかった。そこにあったのは、純然たる「不満」と「不信」。 アルフレッドは一瞬、彼女が自分ではなく、背後の「王宮」を愛していたのではないかという疑念が脳裏をよぎったが、それを即座に打ち消した。
「分かっている、マリア。落ち着くんだ。……公爵め、食い物の流通を止めて私に泣きつかせるつもりか。だが甘いぞ。私には王家の権威がある。すぐに近隣の領主に命令を出して、食材を供出させればいいだけの話だ」
アルフレッドは依然として、傲慢に構えていた。 彼にとって、世界は「命令」一つで動く自動販売機のようなものだった。食べ物は魔法のように厨房から湧いてくるものであり、薪は勝手に燃えるものだ。その「仕組み」を誰が維持していたのか、想像することすらできない。
だが、異変は食卓だけでは終わらなかった。
「殿下! 報告いたします!」
血相を変えて飛び込んできたのは、王宮魔導師の一人だった。 「城内の『防寒結界』および『照明魔具』の出力が、急速に低下しています! 動力源である高品質な魔石の供給が止まりました!」
「何だと? 魔石など、魔石鉱山から運ばせればいいだろう!」
「その鉱山の所有権は、アシュクロフト公爵家が買い取っております! 供給を再開するには、公爵の直筆サインが入った許可証が必要なのです!」
魔導師の言葉が終わるか終わらないかのうちに、天井のシャンデリアが数回、断末魔のように点滅し――そして不気味な「ブツッ」という音とともに、完全にその光を失った。
食堂は一瞬にして、窓から差し込む冬の曇天の光だけの、薄暗い監獄へと変わった。 壁に飾られた歴代王の肖像画が、まるで没落を予見するように、暗闇の中で王子を冷徹に凝視している。
「……暗い。暗くて、寒い……」
マリアの声が、震える。 彼女の着ている薄いドレスでは、冷え切った石造りの城の寒さには耐えられない。彼女は自分の肩を抱き、ガチガチと歯を鳴らした。
「殿下、私……こんなところ、嫌です。もっと温かくて、美味しいものがある場所に連れて行ってくださいませ……!」
「ああ、もちろんだ。……そうだ、街の最高級レストランへ行こう。公爵の息がかかっていない店などいくらでもある。そこなら、リリアーナの影に怯えることもない」
アルフレッドはマリアの手を引き、逃げるように食堂を後にした。 彼はまだ、自分たちが立っている地面が、公爵という巨大な柱によって支えられていたことに気づいていない。
王宮の廊下ですれ違う侍女たちの顔は、一様に青ざめていた。 彼女たちの手には、豪華な銀食器ではなく、冷たい水と粗末な雑巾が握られている。「清掃魔石」の供給が止まったため、彼女たちは手作業で広大な城を掃除しなければならないのだ。
冷気と、煤の匂いと、絶望の予感。 それらが、昨夜まであれほど華やかだった聖夜の余韻を、容赦なく塗り潰していく。
その頃、公爵邸の暖かなサンルームでは。 リリアーナが、湯気を立てる最高級の紅茶を楽しみながら、窓の外の雪景色を眺めていた。
「お父様。王宮の様子はどうかしら?」
公爵は、手元の書類から目を上げることなく、慈しむように娘に微笑みかけた。
「ああ。どうやら、今朝のメニューは『十年物の教訓』だったようだよ。……リリアーナ、今日の午後は、新しいドレスの仕立て屋が来る。あんな埃っぽい城のことは忘れて、楽しいことを考えなさい」
「ええ、お父様」
リリアーナは、芳醇なアールグレイの香りを深く吸い込み、満足げに微笑んだ。 彼女は「ざまぁ」と喜ぶことすらしない。ただ、あるべき姿に戻った世界を、穏やかに享受しているだけだった。
一方、王宮の冷え切った門を潜り、街へと繰り出した王子たちが目にしたのは、昨日まで自分たちを崇めていたはずの領民たちの、冷ややかで、どこか突き放したような視線だった。
世界は、静かに、そして確実に、彼らを「不要なもの」として処理し始めていた。
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