第3話:世界最強の、お裾分け

東京都千代田区、日本探索者協会本部。

そこは今、文字通りの戦時下にあった。

正面玄関には装甲車が並び、重武装の職員たちが殺気立っている。


「繰り返す。対象は阿佐ヶ谷方面からこちらへ向かっている。刺激するな。絶対に攻撃するな。彼が持っているのは……『兵器級の食材』だ」


西園寺理事長の指示がインカムを通じて飛び交う中、一人の青年が地下鉄の出口からふらりと現れた。

コウタだ。

手には、どこにでもあるスーパーのプラスチック袋。中には大量のタッパーが詰まっている。


「あ、すみません。昨日助けてもらった探索者の人たち、ここに入院してるって聞いたんですけど」


コウタが受付に近づくと、ベテランの警備員たちが一斉に三歩下がった。

彼の身体からは、隠しきれないSSS級モンスターの残滓が、紫色のオーラとなって揺らめいている。


「あ、あの……コウタ様ですね。理事長がお待ちです。……その、袋の中身は……」


「これですか? 昨日の肉、甘辛く煮てきたんです。冷めても美味しいですよ」


コウタが袋を軽く振る。

その瞬間、高密度の魔力波がロビーを駆け抜け、高性能の魔力検知器が「ビーーッ!!」と悲鳴を上げて爆発した。


:計器が壊れたwww

:阿佐ヶ谷の爆弾魔、千代田区に降臨

:受付の人、腰抜かしてるぞ

:そりゃそうだ。中身、昨日世界を滅ぼしかけたドラゴンの死骸だぞ

:差し入れのレベルが概念崩壊してる


案内された特別病棟には、昨日の戦いで満身創痍となったSランク探索者たちが並んでいた。

「剣聖」と呼ばれた男は右腕を失い、「不死鳥」の異名を持つ治癒術師は魔力枯渇で寝たきりだ。


「……君か。昨日は、その、助かった」


剣聖の男が、苦渋に満ちた表情でコウタを見上げる。

自分たちが一生をかけて積み上げた修行も、伝説の武器も、サラマンダーの前では無力だった。それをこの青年は、スーパーの包丁一本で終わらせたのだ。


「いえいえ、お礼と言っちゃなんですけど、これ食べて元気出してください。はい、お裾分けです」


コウタはベッドのサイドテーブルに、タッパーをドンと置いた。

蓋を開けた瞬間、病棟全体が「グラリ」と揺れた。


立ち上る、暴力的なまでの醤油と生姜の香り。

そして、それを突き抜けてくる、脳の奥を痺れさせるようなドラゴンの魔力臭。

煮汁は、どす黒い紫色に光り輝いている。


「これ……肉なのか? 黒い雷がバチバチ鳴ってるんだが」


「あ、それは静電気みたいなもんです。栄養が凝縮されすぎて放電してるだけですから。どうぞ、冷めないうちに」


コウタは割り箸をパチンと割ると、剣聖の口に無理やり肉の塊を放り込んだ。


:おい!! 死ぬぞ!!

:Sランク探索者に毒物混入www

:待て、剣聖の顔が……

:血管が浮き出てる! 目が発光してるぞ!


「……っ!! ……が、はっ! げほっ!!」


剣聖が激しく吐血した。

シーツが紫色の血で染まり、医師たちが悲鳴を上げながら駆け寄る。

だが、次の瞬間、誰もが言葉を失った。


剣聖の失われていた右腕の切り口から、肉が、骨が、神経が、猛烈な勢いで「再生」を始めたのだ。

わずか数秒で、以前よりも太く、頑強な腕がそこに生えていた。


「な……なんだ、これは……。力が、止まらん……。細胞の一つ一つが、焼き切れるような熱を帯びている……!!」


剣聖が叫びながら立ち上がり、壁を軽く叩いた。

それだけで、対魔法障壁が施された壁が粉々に砕け散った。


「……美味い。……そして、恐ろしい。こんなものを、君は平然と食っているのか?」


「ええ。まあ、ちょっと刺激が強いですけどね。あ、そっちの治癒術師のお姉さんもどうぞ。貧血に効きますよ、ドラゴンのレバー」


コウタはニコニコしながら、次々と重傷者たちの口に「SSS級のしぐれ煮」を放り込んでいく。

病棟のあちこちで、血を吐きながら絶叫し、同時に全快していく探索者たちが続出した。


その光景をモニター越しに見ていた西園寺理事長は、震える手で電話を握りしめていた。


「……ああ、総理ですか。ええ、新宿の被害ですが、もう心配いりません。……はい。それより、至急予算を組んでください。……最高級の米です。日本中の美味しい米を、すべて買い占めてください。彼を……コウタを、空腹にしてはいけない。彼が『食べるものがない』と言い出した瞬間、この世界がメニュー表に載ることになる」


:しぐれ煮一つでSランクがパワーアップwww

:これもう、コウタが飯作るだけで世界平和になるんじゃないか?

:いや、食べたあとの副作用(吐血)がエグすぎるだろ

:コウタ、また自分も食ってるし


「あー、やっぱり白米が欲しくなりますね。あ、そうだ。理事長さん、このビルの屋上貸してもらえませんか? ドラゴンの骨で出汁を取って、ラーメン作りたいんです。煙がすごいんで、外がいいかなって」


コウタの提案に、西園寺は力なく頷くことしかできなかった。


その日の午後。

日本の政治の中心地である永田町の空に、どす黒い紫色の煙が立ち上った。

その煙を嗅いだ周辺の住民たちは、あまりの美味そうな香りに、その場で膝をついて涙を流したという。


そして、コウタはカメラに向かって、次の獲物を告げた。


「次は、ハワイのゲートに出現した『海神ポセイドンの使い』ってやつを狙おうと思います。あいつ、イカみたいな見た目してるんで、特大のイカリングにしたら最高だと思うんですよね。あ、視聴者の皆さん、美味しいタルタルソースの作り方、コメントで教えてください!」


世界の均衡は、一人の青年の食欲によって、今日も無慈悲に塗り替えられていく。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

あとがき

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