第2話:世界滅亡のしぐれ煮
新宿を震撼させたサラマンダー事件から一夜明けた。
日本の探索者協会本部、最上階の会議室では、重苦しい空気が漂っていた。
「……信じられん。これは合成映像ではないのか」
大型モニターに映し出されているのは、血を吐きながらドラゴンの肉を頬張るコウタの配信アーカイブだ。
発言したのは、日本に数人しかいないSランク探索者の一人、重火器使いの剛田である。
「鑑定班の結果が出ました。……本物です。新宿に現れたサラマンダーは、間違いなく推定討伐レベル900以上のSSS級。それを、あの青年は……包丁一本で解体した」
協会の理事長、西園寺が震える指で眼鏡を直した。
彼らの常識では、SSS級モンスターとは核兵器に匹敵する災厄だ。数百人の精鋭が命を懸け、数日かけてようやく手傷を負わせられるかどうか。
それを、この男は「予熱がちょうどいい」と宣い、ステーキにして平らげたのだ。
「この男……コウタを特定したか? 国家安全保障に関わる事案だ。今すぐ保護、あるいは拘束しろ。彼がその気になれば、日本全土を一人で壊滅させられるぞ」
「それが……」
職員が冷や汗をかきながらタブレットを操作した。
「現在、彼は阿佐ヶ谷の築四十年のアパートに居住。職業は、自称・美食系配信者。現在も……ライブ配信を継続中です」
モニターに映し出されたのは、あまりにも生活感の溢れる狭いキッチンだった。
「はい、皆さんおはようございます。昨日のサラマンダー、やっぱり量が多くて余っちゃったので、今日は作り置きのしぐれ煮を作っていこうと思います」
画面の中のコウタは、寝癖のついた頭で鼻歌を歌っていた。
彼の前には、触れただけで鉄を腐食させる猛毒の残滓がこびりついた、あのサラマンダーの肉塊がある。
:おはよう狂人
:朝から地獄みたいな色の肉見て吐きそう
:お前、昨日の今日でピンピンしてんのかよw
:見て、後ろの壁紙が毒素で変色してる……
:阿佐ヶ谷の治安終わったな
「ドラゴンの肉って、冷めると魔力が固まってゴムみたいに硬くなるんですよね。なので、まずはこの『ケルベロスの唾液』に一晩漬けて、タンパク質を分解しておきました。これ、パイナップルジュースの百倍くらい酵素が強いんですよ」
コウタが禍々しい紫色の液体から肉を取り出すと、肉はドロドロに溶けかかっており、シュウシュウと不気味な音を立てていた。
「よし、これを生姜と醤油、それから隠し味に『呪われた古龍の鱗』を粉末にしたものを入れて煮込みます。あ、この鱗、ミネラルが豊富で出汁が出るんですよ」
:古龍の鱗を出汁に使うな
:一振りで国が買える国宝だぞそれ
:現代の錬金術(狂気)
:コウタさん、背後に死神の幻影が見えてますよ
:味見でまた死ぬんだろ? 知ってるぞ
「おっと、アクが出てきましたね。……ごほっ! げほっ!!」
鍋から立ち上がる、致死性の魔力を含んだ紫色の煙を思い切り吸い込み、コウタが派手にな血を吐いた。
キッチンの換気扇からはドス黒い煙が排出され、近所の野良猫たちが一斉に逃げ出していく。
「……ふぅ。いいアクですね。この喉を締め付けられるような窒息感が、煮込み料理の醍醐味です。では、味見してみましょう」
コウタがお玉で真っ黒な煮汁をすくい、迷わず口に含んだ。
直後、彼の全身の毛穴から発光する液体が噴き出し、アパートの床がドロリと溶けた。
「……っっっ!! きたああああ!! 醤油の香ばしさの奥に、ドラゴンの濃厚な脂の甘みが溶け込んでます! ああ、これ白いご飯が何杯でもいけるやつだ! 毒素のピリピリが、最高にいいアクセントになってます!」
:また血を吐きながら笑ってる……
:床! 床が抜けるぞ!!
:レベルアップの光が眩しすぎて画面が見えないw
:阿佐ヶ谷の築古アパートで世界最強が誕生してる
:もう魔王とかこいつに食わせれば解決じゃないかな
「あ、そうだ。せっかくなので、昨日の戦いで僕を助けようとしてくれた探索者さんたちにも、差し入れに持っていきましょうか。これ、食べれば欠損した手足くらいなら一瞬で生えてくるはずですから」
その言葉を聞いた瞬間、会議室の西園寺理事長は立ち上がった。
「……今すぐ阿佐ヶ谷に全部隊を派遣せよ! 彼を怒らせるな! 丁重に、世界最高の賓客として迎えろ! あと、炊きたての米を五升用意しろ!!」
現代ファンタジーの秩序が、一人の青年の「朝ごはん」によって塗り替えられていく。
最強の怪物を「ただの食材」としてランク付けする男の日常は、まだ始まったばかりだ。
「よし、タッパーに詰めました。じゃあ、ちょっとそこまで行ってきますね」
コウタは自撮り棒を片手に、阿佐ヶ谷の商店街へと歩き出した。
その背中には、食べたサラマンダーの怨念が具現化した巨大な影が浮かんでいたが、コウタが「あ、おやつにこれも食べちゃおうかな」と呟いた瞬間、影は恐怖で霧散した。
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あとがき
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