雪の娘 1-2

 ――最後にこの家を訪ねたのは、何年前だったろう。


 草間邸の重厚な門構えに少々気後れしながら、哲夫は思った。


 何年ということはない。わずか一年前である。

 その日も確か雪が降っていた。彼は里子の肩を抱いていた。里子は彼のコートの下で、いかにも時代劇に似合いそうな木造の門を見上げながら、忍者屋敷忍者屋敷、と、ころころ笑っていた。


 実際、草間邸は古く、明治初期から昭和も深い今に至るまで、その面影を変えていない。千葉の一等地にありながら戦災にも遭わず、また常に豊かであったため、敷地を削られることもなかった。

 無論、住人の生活様式の変遷につれて、屋内の機能はその時々の望ましいものに改められ、今は華やかな洋間なども加えられているが、外観は江戸の武家屋敷そのものである。


 なけなしの懐中をはたいて乗ってきたタクシーの音を聞きつけたのだろう、門の横手のくぐり戸が開き、女中らしい少女が顔を出した。


 哲夫が名のると、少女はべそをかいたような顔でうなずき、彼の先に立って、庭の暗い木々の間を、小走りに母屋おもやに急いだ。後ろから大声でもかけたら、即座に卒倒してしまいそうなほど、脅えきっているようだ。

 木の間隠れに近づいてくる屋敷の明かりも、かつて頻繁ひんぱんに遊びに訪れていた頃と同じ明かりでありながら、なにか陰鬱な色合いに見える。


 しかし、なぜか哲夫は、しだいに落ち着きを取り戻してきていた。

 庭に満ちている樹木の香りのせいかもしれない、と哲夫は思った。

 常に目まぐるしく変わり続ける街の雑多な臭いに、このところ慣れきっていたためか、久々に味わう樹木の香りは、どんな刺激よりも彼を冷静にした。


 それは屋敷に入ってからも同じだった。

 幾星霜を経てきた、木造家屋の匂い。

 人々の生活の匂いを、石のように閉じこめることなく、しっとりと吸いこみながら自らも生きている、そんな匂いである。


 哲夫は、廊下に立ちこめはじめた生臭い血の匂いよりも、古い屋敷そのものの奥深い匂いに、多く感応しはじめていた。

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