それと初めての実戦から
唖然として、オレはその場に立ち尽くしていた。
理解が追いつかない。
言葉の一つ一つは日本語のはずなのに、意味だけが頭の中で拒絶されている。
そんなオレを置き去りにするかのように、九条院が肩をすくめた。
「さて、説明は終わりだ。」
その一言を合図にしたかのように、九条院以外の面々はぞろぞろと部屋から出ていく。
まるで興味は尽きたと言いたげに。
赤髪の男――フレディは相変わらず歌を口ずさみながら、壁に寄りかかるのをやめ、そのまま廊下へ消えていった。
甲冑は無言のまま、重そうな足取りで去っていく。説明は相変わらずない。
最後に残った女子高生――ナツミは、こちらを振り返り、軽く手を振った。
「じゃ、またねー」
場違いなほど明るい声を残して、彼女も出ていった。
がらん、と部屋に残されたのはオレと九条院だけだった。
「……」
沈黙が落ちる。
オレは改めて九条院を見る。
ボサボサの髪を除けば、非の打ちどころのない美人。
それだけに、先ほど聞かされた「男だ」という事実が、未だに頭の中で引っかかっていた。
九条院はそんな視線を気にする様子もなく、淡々と語り出す。
「ここがどこか、まだ言っていなかったな」
オレは黙って頷く。
「ここはな、昔、大きな不正をやらかした巨大な廃病院だ」
廃病院。
言われてみれば、壁の染み、剥がれかけた床、消えた案内板――どれもそれらしい。
「我々、幽霊は歳を取らない。食事も排泄もしない。生理現象はほぼない」
淡々と、事務的に告げられる言葉。
「ここには、さっきの連中以外にも、まだ何人かいる。気に入った空き部屋を勝手に使えばいい」
そう言って九条院はくるりと踵を返す。
「ここはワタシの部屋だ。ついてこい」
促されるまま、オレは後を追った。
廊下を進み、いくつかの扉を開け、空いている部屋を順に示される。
「この辺は誰も使っていない。好きに選べ」
まだ状況を飲み込めないオレに、九条院は一つ一つ淡々と説明していく。
「今日はとりあえず休め。頭も追いついていないだろう」
最後に一言、付け加える。
「まぁ、ワタシ達は死んでいるから、休む意味はないがな」
そう言ってワッハハハと棒読みの様な笑い声で言う。
ジョークなのだろか。
全く笑えない。
言い終えると、九条院は部屋を出ていく。
残されたオレは、一人きりになった部屋を見渡した。
そこにあったのは、ボロボロのベッドがぽつんと一つだけ。
それだけだった。
「……はぁ」
ため息が自然と漏れる。
オレはベッドに腰を下ろし、両手で頭を抱えた。
今日一日の出来事が、脳裏を駆け巡る。
死後の世界。
幽霊。
自殺への罰。
化け物。
理解するには、あまりにも情報が多すぎた。
どっと疲労が押し寄せてくる。
すると、不意に、急激な眠気が襲ってきた。
「……幽霊でも、眠るのか」
自嘲気味に呟きながら、オレはそのままベッドに身を倒す。
意識が、ゆっくりと沈んでいった。
――夢、なのだろうか。
そう思おうとした瞬間、視界がざらついた。
無数の白と黒の粒子が、目の奥で弾ける。
耳鳴りのような音が、頭蓋の内側を這い回る。
ノイズだ。
意識の表面を削り取るような、嫌なノイズ。
だが、その向こう側に――映像が、滲むように浮かび上がる。
学校。
見覚えのある廊下。
擦り減った床。
規則正しく並んだ教室の扉。
そして――机に座る、自分。
間違いなく、自分自身だった。
何人かのクラスメイトらしき人影と、言葉を交わしている。
笑っている。
頷いている。
音は、くぐもっている。
水の底から聞いているように、現実感がない。
だが分かる。
これは、作られた記憶ではない。
確かに存在した日常。
かつて“生きていた”証拠。
胸の奥が、ひどく軋んだ。
――ああ、こんな時間が、確かにあった。
そう思った瞬間。
ノイズが、爆発した。
視界全体が歪む。
映像が引き伸ばされ、引き裂かれ、強引に書き換えられる。
教室の壁が、ねじれる。
机が、崩れる。
人の顔が、溶ける。
そして、唐突に――切り替わる。
そこは、学校の屋上だった。
灰色の空。
錆びたフェンス。
コンクリートの床。
空気が、重い。
胸が、息を拒む。
理由もなく、嫌な予感が背骨を這い上がる。
次の瞬間。
視界が、一気に――赤く染まった。
鮮血の赤。
警告灯の赤。
逃げ場を塞ぐ色。
赤が、赤を呼び、世界を塗り潰す。
何かが起きた。
確実に、取り返しのつかない“何か”が。
だが、思い出そうとした瞬間、
ノイズがさらに激しくなり、記憶の核心を覆い隠す。
頭が、割れるように痛む。
――思い出すな。
そう命じられているかのように。
赤い世界が、歪み、滲み、崩れていく。
そして、意識は再び、深い闇へと沈んでいった。
「――っ!」
オレは飛び起きた。
頭痛。
息切れ。
心臓が早鐘を打つ。
「あれは……なんだったんだ……?」
思い出そうとした瞬間、ノイズが頭の中を走り、激しい頭痛が襲う。
それ以上考えるのを、身体が拒絶していた。
オレは部屋を見渡し、窓の外を見る。
灰色の空。
夢ではない。
ここは現実だ。
そう思い知らされた、その時だった。
――バンッ!
勢いよく扉が開く。
「おっはー! げんきー?」
無駄に元気な声。
ナツミだった。
「って死んでるから元気ないかー!」
そう言ってケラケラと笑う。
オレは深いため息を吐き、額を押さえた。
「……なんの用だ」
「いやー、ユーくんまだ全然わかってなさそうだしさ」
さらにケラケラ笑いながら、ナツミは言う。
「この世界のルール、改めて教えてあげよっか」
まだまだ知らないことだらけなオレは、渋々頷いた。
「……頼む」
「よっしゃ!」
その瞬間だった。
「え?」
気づいた時には、首に何かが巻き付いていた。
縄だ。
「な――!?」
「じゃ、れっつごー!」
ナツミはそのままオレを引っ張り、窓へ向かう。
「またこの展開かあああ!!」
叫ぶオレ。
笑うナツミ。
意識がブラックアウトした。
――次に意識が浮上した時、鼻先をくすぐったのは、土と草の匂いだった。
「……ここは……」
重たい瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは、見慣れた光景。
公園。
どこにでもある、住宅街の一角にあるような、ありふれた公園だった。
どうやら、木製のベンチに寝かされていたらしい。
背中に感じる冷たさと硬さが、やけに現実的で、逆に胸がざわつく。
ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。
無邪気に走り回る子供たち。
砂場で笑い合う声。
滑り台から聞こえる、甲高い歓声。
――生きている世界の光景。
だが、その中心に。
場違いなほど、異物があった。
ブランコ。
そして、そのブランコに立ち乗りし、空へ飛び出すように前後へと漕いでいる少女。
なつみだった。
首に、今もはっきりと残る――いや、残っているのではない。
今なお、そこに在る縄。
それを気にも留めず、心底楽しそうに笑っている。
オレの中で、怒鳴り声が喉元までせり上がる。
――ふざけるな。
だが、ここで感情をぶつけても何も変わらない。
そう理解してしまう自分が、さらに腹立たしい。
歯を食いしばり、ブランコへと歩み寄った。
「……っ!」
一瞬、声を荒げかけて、途中で息を吐く。
「……はぁ。で? この世界のルールを教えてくれるんだろ」
投げやりな言い方になってしまったのは、自覚していた。
なつみは、ブランコから軽やかに飛び降り、くるりとこちらを向く。
「はーい。改めて説明しまーす」
相変わらず、危機感の欠片もない声。
人差し指を一本、ぴんと立てる。
「まずね。私たちは幽霊」
当然のことのように言う。
「だから、生きてる人には触れないし、気づかれない」
そう言って、近くで遊んでいた子供に、躊躇なく手を伸ばした。
だが。
なつみの手は、子供の肩をすり抜け、空を掴むだけ。
子供は、何事もなかったかのように笑い続けている。
「……」
喉が、ひくりと鳴った。
「ね?」
なつみは、悪戯が成功した子供のように笑う。
次に、指をもう一本立てた。
「それとね。私たちは、廃墟以外の建物には入れないんだよ」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
なつみは、そんなオレを見て楽しそうに笑いながら、公園の向かいを指差す。
コンビニ。
明るく照らされたガラス張りの、どこにでもある建物。
「ほら。行ってみ?」
嫌な予感が、背中を這い上がる。
それでも、確かめずにはいられなかった。
一歩、また一歩と入口へ近づき、ドアに手を伸ばす。
――その瞬間。
「……っ!?」
何かに阻まれた。
ガラスでも、壁でもない。
確かな“感触”が、オレの身体を拒絶する。
見えない膜。
世界そのものに、線を引かれたような感覚。
「……入れ、ない……」
「でしょー?」
背後から、楽しげな声。
振り返ると、なつみが腹を抱えて笑っていた。
「理由? 知らないよー。
わたしにもわからないから、きかないでー」
あまりにも軽い口調が、逆に背筋を冷やす。
――どういうことだ。
どうして、こんな制限がある。
問いを飲み込んだ、その時。
視線の端で、違和感が蠢いた。
公園の茂み。
影の中に――何かが、いる。
「……!」
息が詰まる。
黒い。
歪んだ。
だが、前に見た“アレ”より、明らかに小さい。
――化け物。
それに気づいた瞬間、なつみがぱん、と手を叩いた。
「あ、ちょうどいいや!」
嫌な予感が、確信に変わる。
なつみは、満面の笑みで宣言した。
「それじゃあ――チュートリアルを始めまーす!」
そして、化け物を指差しながら、オレの背中をぐいっと押す。
「さぁー! ユーくんの力は、なにかなー?」
「ちょ、待て――!」
思わず声を上げるが、聞く耳を持たない。
「大丈夫大丈夫ー」
あまりにも軽く、言い放つ。
「コイツ、まだ小さいから。弱いよー」
そんな問題じゃない。
心臓が、耳元で暴れる。
逃げ場は、ない。
誰も、助けない。
生きている人々は、何事もないように笑い、遊び続けている。
そのすぐ傍で。
オレは、化け物と――否応なく、対峙させられた。
――この時は、まだ知らなかった。
ここは救済の先ではない。
自ら死を選んだ者が、終わりを与えられない場所。
死んでも、終われない。
壊れても、目を覚まされる。
何度でも、何度でも。
これは罰だ。
死を繰り返し続けるという、静かで残酷な刑罰。
そして、その地獄は――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます