それにしてもまず説明を


女医――いや、白衣の人物が淡々と「私たちは幽霊だ」と告げた直後、

オレの思考は完全に停止していた。


 声が出ない。

 理解しようとすると、頭が拒絶する。


 そんな沈黙を、軽く破ったのは首に縄をくくった女子高生だった。


「ま、改めて自己紹介しよっかー」


 ひょい、と手を挙げる。


「よろー」


 それだけだった。


「……よろー、って……」


 思わず口から出そうになったが、喉の奥で飲み込む。

 今はそれどころじゃない。


 次に、白衣の人物が一歩前に出た。


「ワタシの名前は、九条院(くじょういん)」


 低く落ち着いた声。

 どこか芝居がかった口調。


「見ての通り、生前は医者をしていた。主に精神科医だが、他の分野も免許などは一通り取得している」


 ふむ、と小さく頷く。


「あと、男だ」


「……は?」


 脳が、一瞬フリーズした。


 どう見ても女性だ。

 長髪、整った顔立ち、すらりとした体型。

 髪が少しボサボサなのを除けば、非の打ち所がない美人。


 ――今、男って言った?


 混乱しているオレをよそに、九条院は淡々と説明を続ける。


「そして、あちらで壁に寄りかかっている赤髪の男だが……」


 視線の先では、赤髪の男が相変わらず何かを歌っている。


「♪ living on the edge of sorrow……」


 英語だ。

 多分、英語。

 意味は分からないが、やたら雰囲気だけはある。


「国籍も経歴も、何もかも謎だ。意思疎通もほぼ不可能。いつもああやって歌っている」


「……」


「名前も分からないので、とりあえず有名なシンガーの名前をつけた。フレディと呼んでいる」


 本人は何の反応も示さず、歌を続けている。


(……勝手すぎないか……?色々と)


 喉まで出かかった言葉を、必死に堪えた。


「そして――」


 九条院は、最後に甲冑の方へ視線を向ける。


 現代では明らかに浮いている、全身鎧。

 中身があるのかどうかすら分からない。


「甲冑」


 それだけだった。


「以上だ」


「以上!?」


 思わず声が裏返った。


 色々と、ツッコミたい。

 ツッコミたいことが、多すぎる。


 まず、完璧美人だと思っていた人物が男だった件。

 次に、赤髪の男がずっと歌っている理由。

 というか国籍不明って何だ。

 そして最後の甲冑に至っては、説明ですらない。


 ――甲冑って何だ。


 ここまで個性が爆発していると、

なぜか最初に会ったなつみが、普通に見えてくる。


 ……いや、ないか。


 首に縄をくくって、笑いながら空を飛ぶ女子高生が普通なわけがない。


 頭が追いつかず、オレは額を押さえた。


「さて、とりあえずここにいる者達の挨拶はすんだな」


 九条院が、こちらを見る。


「キミは記憶喪失だと聞いたが……この世界では、珍しいな」


「……この、世界……?」


 その言葉に反応して、主人公は顔を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……! ここは一体……」


 縋るように問いかける。


 九条院は、小さく頷いた。


「――順を追って説明しよう」


 声は、ひどく静かだった。

 感情の起伏が一切感じられない、乾いた音。


「まず、この世界は――死後の世界だ」


 断言。

 確認でも、仮定でもない。


 逃げ道を塞ぐような、確定事項。


「ワタシたちは、一度、死んでいる」


 九条院は淡々と続ける。


「だが、未練が強すぎた。後悔が深すぎた。感情が、世界に縫い止められたまま、完全に消えることができなかった」


 胸の奥が、ぎしりと嫌な音を立てて締め付けられる。


「その結果が、今の我々だ。――成仏もできず、生者にも戻れない、半端な存在」


 幽霊。

 その言葉が、ようやく意味を持って脳裏に落ちてくる。


「だから」


 九条院は、オレを見る。


「ここで“死んでも”、意味がない」


「……意味が……ない……?」


 かすれた声で問い返すと、九条院は小さく頷いた。


「何度殺されようと、何度バラバラにされようと、我々は消えない」


 息をするのも忘れる。


「少なくとも――今のところは、な」


 今のところ。

 その一言が、妙に耳に残った。


「次に、先ほどの黒い化け物についてだが……」


 オレの背筋が、反射的に強張る。


「正体は、よく分かっていない」


 あれほどの存在が、“分かっていない”。


「突然現れ、我々を襲う。意思があるのかも不明だ。理由も目的も、観測できていない」


 思い出すだけで、喉が締め付けられる。


「ただし」


 九条院の声が、わずかに低くなる。


「放置すれば、危険だ」


 淡々と、しかし逃げ場のない言葉。


「だから、対応しなければならない」


 それが義務であるかのように。

 当然であるかのように。


「我々は、あれを『死を食うもの』――

 モルティヴォア。

 通称、『モルテ』と呼んでいる」


 仮称だがな、と付け足すその口調は、あまりに軽い。


「……そして」


 九条院の視線が、鋭くなる。


「これが、最も重要だ」


 一拍。


 空気が、重く沈む。


「ここにいる者たちの共通点――それは」


 さらに一拍。


「全員、自殺している」


 ――殴られた。


 頭の内側を、直接。


「……じ……さつ……?」


 自分の声が、どこか他人のもののように聞こえた。


「そうだ」


 否定はない。

 躊躇もない。


「我々が、この世界で化け物を殺し、殺され続けなければならない理由」


 九条院は、静かに告げる。


「それは――罰ではないか、という仮説がある」


 罰。


 その言葉が、底なしの重みを持って胸に落ちる。


「さらに言えば」


 九条院は白衣の袖を軽く払う。


「理屈は分からんが……我々は、自身の死因に由来した能力を得ている」


 なつみが、間の抜けた動きで手を振った。


「うちはねー、生前、首つって死んだからー」


 明るすぎる声。


「だから、縄が使えるよー」


 冗談のように。

 日常会話のように。


 言葉が、出なかった。


「ちなみに」


 九条院が続ける。


「ワタシは、薬のオーバードーズで死んだ」


 あまりにも平然と。


「その影響で、あらゆる薬品を生成できる」


 一瞬の間。

 ――それだけではない、という含み。


「まぁ、これも仮説だがな」


 九条院は、どこか皮肉めいた笑みを浮かべる。


「ただ殺され続けるだけでは、あまりにも“退屈”だからだろう」


 何が、とは言わない。


 だが、誰が、かは明白だった。


 あまりにも現実感のない話。

 頭が、拒絶している。


「……そんな話……急に言われても……」


 声が、震えた。


 九条院は、ふっと笑う。


「なら、確認するといい」


「……確認?」


「空を見ろ」


 促されるまま、オレは窓へと歩いた。


 廃墟の窓枠。

 割れたガラスの向こう。


 ――そして。


 息を、呑む。


 空は、灰色だった。


 曇り空ではない。

 雲でもない。


 ただ、最初からそこに在ったかのような、無機質な灰。


 感情を拒む色。


 なぜ、今まで気づかなかったのか。

 それすら、分からない。


「……っ……」


 膝が、笑う。


 壁に手をつかなければ、崩れ落ちていた。


 振り返る。


 なつみ。

 九条院。

 フレディ。

 甲冑。


 全員が、こちらを見ている。


 九条院が、口元を歪めた。


「ようこそ、死後の世界へ」


 その笑みは、愉悦と冷酷が同居していた。


「自殺した者への罰が続く――」


 静かに。


「地獄の沙汰へ」


 その瞬間。


 オレの世界は、

 音を立てて、完全に崩れ落ちた。

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