それはともかく集合しよう
あまりにも突拍子のない出来事の連続に、オレはただ呆然と立ち尽くしていた。
黒い化け物は消えた。
街は相変わらず日常のまま動いている。
そして――目の前には、首に縄をくくった女子高生がいる。
理解が追いつく前に、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「っ、あははは! なにその顔! 超いいリアクションなんだけどー!」
ケラケラと、心底楽しそうに。
まるでホラー映画のワンシーンに放り込まれた一般人を眺める観客のようだった。
「……え……?」
声を出したつもりだったが、自分の耳に届いたのは情けないほど弱々しい音だった。
「とりあえずさー、自己紹介しよっか」
女子高生は、軽い調子でそう言う。
正直、とりあえずで済む状況ではない。
なんで今、自己紹介なんだ
色々と説明を
目の前で得体の知れない化け物が消し飛び、
人に触れられず、
死んだはずで、
その上この少女は――どう見ても普通じゃない。
「うちのー、なまえはー」
そんな主人公の内心などお構いなしに、少女は指を立てて言った。
「轟(とどろき)なつみー」
やけに間延びした口調。
楽しそうな声。
歪んだ笑顔。
そして、首元の縄。
「そちらは?」
問われて、オレは反射的に口を開いた。
「お、俺は――」
そこで、頭に激痛が走った。
「っ……!」
頭の奥を、針でかき回されるような感覚。
思考が、ノイズに塗り潰される。
思い出そうとした瞬間、何かに拒絶される。
名前。
自分を示す、たった一つの言葉。
「……く……」
歯を食いしばり、必死に掴み取ろうとする。
断片。
音。
文字になりきらない感覚。
「……ユ……」
雑音混じりの記憶の底から、無理やり引き上げる。
「……ユウ、キ……」
それだけだった。
「ユ、ユウキ……」
答えた瞬間、頭痛は嘘のように引いた。
だが、残ったのは強烈な疲労感と不安だけ。
なつみは、ぱちんと手を叩いた。
「じゃあー、ユーくんだぁー!」
にぃ、と口角を吊り上げる。
その笑顔はどこか歪で、喜んでいるのか、嘲っているのか分からない。
「……」
反応できずにいるオレに、なつみは満足そうに頷いた。
「んじゃ、拠点いこっか。ここだと落ち着かないし」
「きょ、拠点……?」
意味を問い返すより早く、なつみはどこからともなく縄を取り出した。
さっき、化け物を縛っていたものと同じ――
いや、同一の縄に見えた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
言い終わる前に、なつみはオレの首にその縄をくくる。
そして次の瞬間。
――ぐいっ。
「ぐえっ!?」
視界が一気に引き上げられた。
なつみは、建物の壁に縄を引っ掛け、そのまま勢いよく跳ぶ。
まるで、某蜘蛛男のように。
「ちょっ、まっ、まっ……!!」
喉が締まり、まともに声が出ない。
風を切る音。
街の景色が、高速で流れていく。
「きゃはははは!」
楽しそうな笑い声だけが、やけに鮮明に響いていた。
酸欠と混乱と恐怖で、意識が遠のく。
――また、だ。
また意識が、暗転していく。
(なんで……なんで説明なしなんだよ……)
頭の中で、愚痴にもならない文句が浮かぶ。
(俺、今日だけで何回気絶?してんだ……?)
最後に聞こえたのは、
「きゃはははは!」
という、なつみの笑い声だった。
そして、完全な闇。
◇
再び、意識が浮上した時。
最初に感じたのは、冷たさだった。
背中に広がる、湿ったような感触。
体温を吸い取られていくような、不快な冷気。
「……ん……」
喉から漏れた声は、自分のものとは思えないほど掠れていた。
重い瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
視界に入ったのは――
先ほどとは明らかに違う、廃墟の一室。
やけに高い天井。
亀裂の走った壁。
崩れ落ちたコンクリートと瓦礫が、無秩序に床を覆っている。
空気が、淀んでいた。
埃と錆と、何か別の――死の残り香のような匂い。
理解するより先に、身体の感覚が訴えてくる。
――自分は、寝かされている。
地面に。
無造作に。
まるで物のように。
「……ここ……」
声を出そうとしたが、喉がひくりと鳴るだけだった。
上半身を起こし、ゆっくりと周囲を見回す。
まず、視界に飛び込んできたのは――なつみ。
相変わらず、首に縄をくくったまま。
それがあるのが当然だと言わんばかりに。
楽しそうな顔で、こちらを覗き込んでいた。
「おー、起きた起きた」
軽い。
あまりにも、軽い。
この場所、この状況、その全てと釣り合わない声音。
その横。
赤い髪の男が、壁にもたれかかっていた。
両腕を組み、だらしなく体重を預けている。
派手な服装。
目の下には、くっきりとした濃いクマ。
生気があるのかないのか、判別がつかない顔。
彼は、こちらに一瞥もくれず、
小さく、何かを口ずさんでいた。
「……♪ don’t cry for the dead souls……」
英語……?
歌……なのか?
旋律は低く、湿っぽく、
耳に残るたびに、胸の奥を冷やしていく。
さらに、その隣。
白衣のようなものを羽織った、長髪の女性。
髪は整えられておらず、ぼさぼさだ。
眼鏡の奥の視線だけが、妙に冷静で、現実的だった。
感情を排した目。
まるで、解剖台の上の標本を見るかのような。
そして――
甲冑。
全身を覆う、重厚な鎧。
現代という時代を、完全に無視した存在。
中に人がいるのかどうかも、分からない。
ただ、そこに“ある”。
カタカタ、と。
金属が擦れるような、小さな音。
震えている。
理由も分からず、
意思があるのかも分からないまま。
情報が多すぎて、
脳が処理を拒否する。
言葉が、出てこない。
そんなこちらの様子を見て、
なつみが、楽しそうに首を傾げた。
「あー、目が覚めたー?」
「……」
返事をしようとして、失敗する。
声が、出ない。
いや、出したくないのかもしれない。
赤髪の男は、相変わらず歌っている。
こちらには興味がないらしい。
白衣の女性が、静かに歩み寄ってきた。
足音が、やけに大きく響く。
「混乱しているだろうが……」
落ち着いた声。
感情の揺れを一切感じさせない、平坦な声音。
「色々と、説明をせねばなるまい」
その言葉に合わせるように、
甲冑が、カタカタと一層強く震えた。
金属同士が擦れ合う、不快な音。
白衣の女性は、一度その場の全員を見渡し――
最後に、真っ直ぐこちらを見た。
逃げ場のない視線。
「とりあえず、簡潔に言えば――」
一拍。
空気が、重く沈む。
「私たちは、幽霊だ」
――思考が、完全に止まった。
「……は……?」
喉から漏れた声は、情けないほど小さかった。
白衣の女性は、表情一つ変えず、淡々と続ける。
「そして――」
その視線が、今度は、オレ自身に突き刺さる。
「キミも、だ」
理解しようとした瞬間、
頭の中が真っ白になった。
否定も、肯定も、疑問も、
何一つ形にならない。
オレは、ただ。
言葉を失い、
その場で、絶句するしかなかった。
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