第2話

Fベーコンは、「知は力なり」といった。

情報や知識は、謬見でなければまあ多いほどいいと思う。

生きているうちには日々に絶え間なく「学習」を繰り返していて、たくさんの外界についてのデータが蓄積されていく。 最初は無知蒙昧なタブララーサが、だんだんに平凡人になっていくため、それだけでも膨大な経験、試行錯誤、帰納演繹のプロセスが必要で、データを集めるのには「実験」が必要。

 

 オレは様々な事情で、偏った人生経験しか持っておらず、基本的に正常な人物になるための発達プロセスを、中途半端にしかクリアできていないという気がする。


 EHエリクソンの理論では青年期までにも発達の段階には違った趣旨の「課題」と「徳」があって、順番に達成していくことで徐々に人格が出来上がっていくことになっていて、こういうのが例えば「オオカミ少年」とかだとぐちゃぐちゃになっているので、エリクソン的には「適切に順番に課題をこなせないといつか人間は破滅する」ということになるらしい。


 エリクソンの場合は青年期に精神的な危機があったらしくて、それで、そういうことが切実な発想だったらしい。 そこはオレとも共通かな?


 が、一般論のほかに様々に個人個人の特殊な条件やら個性もある。

 みなしごという出自で、劣等感を刷り込まれていた川端康成も、文才が認められたことで、そのコンプレックスが武器、持ち味になった。

 「国境の長いトンネル」は、そういう雌伏の時代、下積みの真っ暗な時代の象徴…トンネルの比喩は川端氏の小説に散見される特徴だが。


 ひたすらに劣等感の昇華のために努力を重ねていくことで、学習理論にあるように踊り場を経て、不意の飛躍のときが訪れる…役者が「化ける」というような、奇跡のような変貌…蛹化、羽化のメタモルフォーゼ。


 「三日逢あわざれば刮目して待て」というが、人事に関しては理屈通りにはいかず、天命を待つしかない…だがやはり人事を尽くさなければ神様は微笑まない。


 自分が性格的に非常に引っ込み思案、優柔不断で、そういう特徴にあまり意識的でなかったが、かなり顕著にバイアスかかっているらしくて? 拙速、というような軽率なくらいに行動するくらいが大体結果が良いのです。 そういうことが飲み込めてきたことも、いろいろと自分の判断で実際的に行動の選択をするという、っそういうことを余儀なくされるというそういう機会が 増えたことで、「習うより慣れろ」と、普遍的な真理が再認識されたと、それだけのことですが。


「好きこそものの上手なれ」、「この道より吾を生かす道なし」と、無自覚にブログの文章修業を続けてきて、石の上にも13年?で、雨だれ石を穿つ? ようやく岩割の松、みたいに誕生した孫悟空を大切に慈しみ育んでいきたいと思います。

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