12月26日の「人声天語」
夢美瑠瑠
第1話
人生を左右するのは、基本的に種々様々の出会い、邂逅、遭遇、…であることは論を俟たない。
常識の範疇である。 日々刻刻に新しい時間、状況に遭遇している。 同じ条件というものはない。 だからすべて未知数。 それもどうしようもない非情な現実。
いくら能天気に暮らしていても、山奥の一軒家でも、絶対的に安全、無病息災が保証されているという状況はあり得ない。 次の瞬間には何が起こるかわからん。 この世界の成り立ちはそうなっている。
そうしてすべてを把握することはおろか、どういう不測の事態に、どう備えるかということも手探りでしかない。 海千山千、というのは海に千年、山に千年住んだ蛇が竜になる、というたとえで、そういう百戦錬磨に経験を積んだ強者の形容。
よしんばそういう熟練した人生の達人?であっても、基本的に手さぐりにしか日常は身過ぎ世過ぎできず、確信などはなくて、あったとすれば錯覚だけ。
「安全神話」が崩れた…とかいうのもトートロジーめいている。
まことしやかだが、嘘であるのは明白。だから神話という。
で、毎日毎日誰もがレッセフューレで、これは仏語の”成り行き任せ”という意味ですが、アルモニ・プレエタブリ、予定調和はありえない。 あるとすれば「捕らぬ狸の皮算用」。
そういうことは自明の理で…だからこそ、「365日の紙ヒコーキ」という歌になんだか感動したりする。 カントっぽく?大江健三郎が「見る前に跳べ」「厳粛な綱渡り」と、日常に倦み疲れた私たちを鼓舞して𠮟咤激励してくれる、そうした微分回路と積分回路のせめぎあい、そういう日常と非日常が入り組んだ構造、その「時間」が「自我の住処」でしかありえないという…そこが桎梏ではあるが、そこに生きるしかない…そこにしか出発点はあり得ない。
が、それは手垢のついたシナリオに従っているわけでなく、まっさらなアドリブ劇…そこを見誤ってはいけないのだ。 すべては刷新されていく。 有為転変、諸行無常は世の法則。 歳歳年年人同じからず、ゆく川の流れも元の水には決して戻らない。覆水は盆に返らず。
おごれるものは久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし。 猛きものもついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。
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