第2話 出会い

 金吾が冒険者都市アウレリアに来てから、すでに二年が経過していた。

 彼は一人、孤独に冒険者を続けていた。

 誰も信用せず、誰からも信用されない。

 ただ孤独に生きる。

 激しい喜びもなく、深い絶望を抱えながら、目的のために今日もクエストをこなす。

 ――その顔は、二年前の呑気な転移者のものではなく、すっかり別人のように硬く閉ざされていた

 受けるクエストは、自由狩猟、彼個人に依頼されるクエストは少ない。いやほとんどない。

 冒険者ランクはC。下から二番目、上から五番目。実質的には中堅だが、金吾には依頼が回ってこない。中堅のCランクともなると、ギルドを通しての個人依頼も増える頃合いだったのだが、金吾にはない。

 レベルで言うならば、31であり年齢を追いつけないでいたが、ステータスも悪くなく、さりとて良くもなかった。平々凡々、器用貧乏の見本市と呼べる存在になった。

 草原での狩猟は日課だった。もう何千羽と狩ってきた鬼うさぎの討伐だった。その習性も動きも金吾には手に取るようにわかる。その解体方法すらも、目を閉じてもできるだろう。

 鬼うさぎのはアウレリアの主要食材の一つだった。その需要は都市に人が増えるたびに増えていく。また繁殖力も高く安定的に供給できて味もそれほど悪くない。

 金吾は自作の弓と古びた剣で狩りをしていた。また自作の矢で鬼うさぎを仕留めると、ギルドの買取単価を上げるためにその場で解体をした。持ってきたリアカーがいっぱいになるまで、狩りは続けられる。

 森の入口に戻る頃、目的の数を狩り終え、街へ引き返そうとした。

 この場所は薬草がよく採れるため、初心者冒険者の定番クエスト「薬草採取」の場でもあった。子供のような年齢の者や、体を壊した往年の冒険者が薬草を摘んでいる。

 誰もが魔物を狩猟できるほど、冒険者は甘い世界ではなかった。

 薬草採取はほとんど福祉のような依頼であり、落伍者たちの最後の糧だった。

 病、飢え、実力不足――理由は様々だが、多くの冒険者が夢半ばで死んでいく。魔物との戦闘よりも、日常の中で命を落とす者の方が多いのかもしれない。

 金吾はまだ運が良い方だと言えた。だが、永遠に続くと思っていた若さの幻想も、三十路を迎えて久しい今ではとうに目が覚めていた。冒険者以外での将来――その不安が、彼を貪欲に貯金と知識の蓄積へと駆り立てていた。

 そんな時、森の中でひときわ小柄な少女が薬草を摘んでいるのが目に入った。

 銀の髪が木漏れ日に照らされる美しい少女は、苦労の跡が手に刻まれている。量産的というか、ある特定の少年少女が身につけている衣服で作業してたので、金吾の目に止まった。

金吾「孤児院からでたばかりなのか」

 男女問わず多くの人間がやってくる開拓都市にありがちな、無責任に産み落とされた孤児なのだろうかと金吾は邪推した。

金吾「娼婦にでもなればこまらないものを……」

 視線に気づいたのか、少女はこちらを振り向いた。

 金吾は咄嗟に顔をそらし、血と獣の臭いが染みついたリアカーを押して立ち去ろうとした

 ――その時だった。

「ミノタウロスだ!! 逃げろ!!」

 草原の向こうから慌ただしい叫び声が金吾の耳にまで届いた。

 二足歩行の牛の魔獣、ミノタウロス。その丸々と太った上半身では考えられないほど俊敏に動く強力な魔獣だった。Cランク上位でなければ討伐できない、しかも都市近郊に現れるはずのない存在が、今まさに迫っていた。

金吾「ちっ、馬鹿な冒険者が連れてきたのか。大人しく死んでおけば良いものを」

 無謀な冒険者が、命からがらミノタウロスを都市近郊まで連れ帰ることは時折あることだった。

 金吾は錬金魔法で土を泥に変えると、その泥をかき出して簡易的な塹壕を作る。視界に入りさえしなければ難を逃れられることを知っていた。

「うああああああ」

 ミノタウロスの速度は早く、追いかけられたら低ランク冒険者に逃れるすべは存在しないと言ってよい。逃げ遅れた薬草摘みの低ランク冒険者たちが次々と犠牲になっていく。

 そして、先ほどの銀髪の少女もまた、逃げ遅れていた。

 しかし、金吾は助けない。

 さりとて無惨な死を見届ける趣味もない。金吾は目を逸らした。

 少女は逃げ場所を探していた。草原の真ん中に不自然な窪み、金吾の作った塹壕に金吾の姿をみた少女は、藁にもすがる思いで金吾に駆け寄ってきた。

 しばらく目をそらしていた金吾も、ミノタウロスの咆哮が近づいてくることに違和感を覚えて、正面を向いてみると、そこには追われた少女が金吾の塹壕へと駆け寄ってくる姿が見えた。

金吾「馬鹿馬鹿馬鹿、嘘だろおい!!」

 立ち上がって逃げようとしたが遅かった。

 巨大な角を突き出し突進してくるミノタウロス。死の恐怖が金吾を貫いた。

 古びた剣を握り、足元に錬金魔法を放つ。

金吾「遠隔錬金、ドロ沼!」

 しかしミノタウロスの足を止めることは出来なかった。代わりにその泥の穴に少女が落ちて、意図せずミノタウロスの難を逃れていた。

金吾「あぁん!?」

 間一髪で突進を避けた金吾だが、ミノタウロスは彼をターゲットに定め、再び突進してくる。

 腰袋から自作のマジカ・ポーションを飲み干し、我流の身体強化魔法を発動して相対した。体に雷魔法を流し、一時的に限界以上の力を引き出す魔法だった。

 腰を低く下ろし、突進を回避しつつ剣を振り抜いた。

 刃は胴体の中程まで食い込みんだが、金吾の腕が限界に達して、剣を離してしまった。

金吾「うがああああああああああ」

 右肩から腕にかけて激痛が走る。それに右手にも力が入らない。それでも、ミノタウロスは倒れた。討伐成功、と楽観視はできなかった。

 泥の中から這い出た少女の目に映ったのは、ぐにゃりと曲がった剣が突き刺さったミノタウロスの死骸と、悶絶する金吾の姿だった。

 少女は金吾に近寄った。

「あ、あり、ありがとう、ご、ござい……」

 金吾は痛みに顔を歪めながらも声を張り上げる。

金吾「いいから、腰からポーションを取ってくれ!! 痛み止めって書いてあるやつだ!!」

 少女は慌てて金吾の腰袋を探る。だが瓶は大小様々、痛み止めもこの世界では使われていない漢字でかかれていて少女には判別がつかなかった。

「ど、どれですか……?」

金吾「とにかく手に持っているやつを見せてくれ! ……これだ!!」

 金吾はまだ使える左腕で瓶を奪い取り、口に流し込んだ。

 だが効果はすぐには現れない。激痛に悶絶しながら、ただ時間が過ぎていく。その間、少女は律儀に金吾のそばを離れなかった。助けてもらった恩義なのか、それとも別の思惑なのか――金吾には分からない。

金吾「水、水が飲みたい……リアカーの横にかかっている水筒を取ってくれ」

 少女は駆け寄り、革製の水筒を手渡した。動物の膀胱で作られた粗末な容器は、片腕では扱いづらい。少女が支えてくれたおかげで、金吾はようやく喉を潤すことができた。

 小一時間が経過すると、痛み止めが効いてきたのか、右腕の激痛はようやく引いていった。幸い脱臼はしていなかったが、力は入らない。

金吾「ミノタウロスの解体は、出来ないか……」

「あの……わたし、やってみたい……」

 その言葉に、金吾は眉をひそめる。

金吾「ふざけんな、下手くそな解体をされて価値を下げられたらたまったものじゃない」

 少女は俯き、唇を噛んだ。悲しそうな表情に、金吾は胸の奥に小さな罪悪感を覚える。

金吾「……軽い血抜き程度なら、お前でも出来そうだな。このナイフでやれ」

 少女は顔を上げ、かすかな笑みを浮かべた。だが、手渡されたナイフをじっと見つめるだけで動かない。

金吾「血抜きもしたことないのか!!」

「……はい」

 ミノタウロスの巨体は、草原の上にどさりと倒れていた。

 金吾の剣が胴を半ばまで裂いたため、肉の断面からはまだ温かい血がじわりと滲み出している。

金吾「まだ全ての血が流れたわけじゃない。これをしないと肉が血生臭くなって価値が減る」

 少女は震える手で刃を握り、倒れた巨体を見上げる。その大きさに圧倒され、思わず息を呑んだ。

金吾「まずは太い血管を探せ。心臓に近いところだ」

 金吾の指示に従い、少女は胴体の裂け目に目を凝らす。

 赤黒い血が溜まり、肉の奥で脈打つように揺れている。

「ここ……ですか?」

金吾「そうだ。深く刺せ」

 少女はナイフを突き立てた。瞬間、圧力に押し出されるように血が噴き出し、草原の土を濡らす。鉄と獣の混じった匂いが強烈に立ち込め、少女は思わず顔を背けた。

金吾「しっかりやれ! 血をナイフでしごきだすんだよ!!」

 金吾は左腕で体を支えながら、冷静に指示を飛ばす。

 少女は必死にナイフを固定し、血が流れ落ちるのを見守った。

金吾「次は下半身だ。太腿の付け根を狙え」

 少女は恐る恐る刃を移動させ、分厚い皮膚と筋肉の境目に目を凝らす。

 その太さは人間の腕どころか胴に匹敵するほどで、彼女は思わず息を呑んだ。

「……ここ、ですか?」

金吾「そうだ。あくしろ」

 少女は震える手でナイフを突き立てた。

 瞬間、再び血が噴き出し、草原の土を赤黒く染める。鉄と獣の匂いがさらに濃くなり、吐き気を催すほどだった。

金吾「傾けて血が流れやすいようにしろ」

 少女は必死に指示に従う。その姿は不器用で、力も足りない。だが、必死さだけは伝わってきた。

 やがて血の流れが弱まり、土に吸い込まれていく。少女は肩で息をしながら、ナイフを握りしめたまま立ち尽くした。

金吾「……まあ、こんなものか」

 短く吐き捨てるように言ったが、その声にはわずかな安堵が混じっていた。

 夕陽が傾き、銀の髪が赤く染まる。血に濡れた手と対照的に、少女の横顔はどこか神秘的に輝いていた。

 金吾はリアカーから火打ち石と狼煙玉を取り出し、少女に手渡す。

「これは……?」

金吾「運搬を専門にしている冒険者を呼ぶための狼煙だ。火を付けてくれないか?」

 少女は戸惑いながら玉を火打ち石に近づける。

 ぱちり、と火花が散り、次の瞬間、白い煙が勢いよく立ち昇った。

 その狼煙はどこまでも高くまっすぐに上がった。

 空を見上げる金吾に習って、少女も同じように空を仰いでいた。

 二人の視線が重なり、しばし沈黙が流れる。

「あの……お名前は……なんて言うんですか?」

 少女の声はか細く、ふるえるように呟いた。しかし確かに金吾に届いていた。

金吾「……金吾、久世金吾」

 少女は血に濡れた手を胸に当て、少しだけ笑みを浮かべる。

メディアリア「わたしは、メディアリアって言います、メディアリア・ミューレ」

金吾「そうか……」

 その一言は、今はただの返事に過ぎなかった。

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