クールな美人司書の裏垢が、推しカップルの尊さで爆発している件。
衛士 統
クールな美人司書の裏垢が、推しカップルの尊さで爆発している件。
【唐津市近代図書館】
放課後の図書館は、静寂に包まれている。
旧唐津銀行を思わせるような、ルネサンス様式を取り入れた重厚な意匠。高い天井を支える装飾柱。本を捲る音。微かな衣擦れの音。そして、窓から差し込む茜色の夕日。
古書特有の甘く乾いた匂いが漂うこの空間で、舞い踊る埃さえもが、夕日を浴びて金色の粒子のように輝いている。
……ああ、尊い。この空間ごと真空パックして保存したい。
私、
「…………」
巷の学生からは「氷の女王」や「図書館の聖母」なんて呼ばれているらしい。
確かに、私は仕事中は私語を慎むし、常にクールな表情を崩さない。それが大人の女性というものだ。
――だが。
今、私が読んでいる本の中身が、全く頭に入っていないことを、誰も知らない。
なぜなら。
私の視線は、本の上端から数ミリ上。
閲覧席の窓際に座る、「ある二人」に釘付けだからだ。
「(……来た。今日も来たわね)」
佐賀県唐津市にある、私立虹ヶ丘高校2年3組、
私の天使。私の生きる糧。尊さの具現化。
そしてその向かいに座る、顔がいいだけの目つきの悪い眼鏡男子。
私の天使に近づく、欠陥だらけの不届き者(兼、ヒロインの相手役)。
二人は、期末テストの勉強をしているようだ。
「うーん……ここの公式、難しかぁ」
花ちゃんが、ペンを頬に当てて首を傾げる。
か、可愛い……ッ!
その角度! 小首をかしげるその角度は、計算され尽くした黄金比よ!
「……どれだ。貸してみろ」
神崎が、ぶっきらぼうにノートを覗き込む。
……近い。
夕日に伸びた神崎の影が、花ちゃんの手元をすっぽりと覆っている。
しかも何?いかにも「その俺が守ってます」的な構図。影までイケメンぶるのやめてくれない?
あんた、さり気なく距離が近いのよ! ソーシャルディスタンスを保ちなさい! 警察呼ぶわよ!?
私は心の中で罵倒しながら、テーブルの下でスマホを取り出し、高速フリック入力を開始した。
『【速報】対象A(神崎)、対象B(花)に対し、不当な接近を試みる。距離20センチ。万死に値する。……だが、身長差は完璧。悔しい。解釈一致』
そう。これが私の裏の顔。
推しの尊さを記録し、監視し、悶絶するだけの鍵付きアカウント(フォロワー0人)だ。
「ここは、この補助線を引けばいい。……ほら、見えただろ?」
神崎が、花ちゃんの手元に覆いかぶさるようにして、図形に線を引く。その瞬間。彼が腕を伸ばした拍子に、制服のシャツの裾が、わずかに吊り上がった。
そこからチラリと覗いたのは――。
彫刻のように刻まれた、鋭利な『外腹斜筋』の陰影。
(……は?)
私の思考が一瞬停止する。
見間違い? いえ、私の動体視力は誤魔化せない。
なんであの陰キャ眼鏡、服の下だけアスリートみたいに仕上がってんのよ!?
バグってんの!? キャラクター設定がイかれてるの!? 運営に報告しなきゃ!!
「あ! ほんと! ……すごーい! 神崎くん、やっぱ、ばり天才やね!」
花ちゃんが、パァッと満面の笑みを浮かべ、キラキラした瞳で神崎を見上げた。
「……ッ!」
神崎の動きが止まる。
耳が赤い。よく見たら足首まで赤いわ。あいつ、今、絶対フリーズしたわね。
ざまあみろ。天使の笑顔を至近距離で浴びて、脳みそ焼き切れればいいのよ。
だが、天使の猛攻はそこで終わらなかった。
神崎が照れ隠しでふいっと顔を背けると、花ちゃんは「あれ?」という顔をして、彼が逃げた方向へ、下からくいっと顔を覗き込んだのだ。
「……ねぇ、神崎くん? 聞いてる?」
吐息がかかるほどの、至近距離。
小首をかしげた上目遣いと、無防備な瞳のコンボ。
「(……んぐぅぅぅぅぅ!! ばっ、ばか!! 何してんのよ花ちゃん!!)」
「ひゅっ……!」
神崎の喉が、引きつったような悲鳴を上げる。
ほら、死んだ。今、あいつの魂が口から抜けていくのが見えたわ。
そしてね、花ちゃん。その攻撃は、見ている私にも効果抜群なのよ!!
「(……っくぅぅぅぅぅ!! 尊い!! 無理!!)」
私はカウンターの下に崩れ落ちた。
震える手で胸を押さえる。
何よ今の笑顔。破壊力が高すぎる。
神崎のあの「まんざらでもないけど平静を装ってます」みたいな顔も腹立つけど、悔しいけど……セットで見ると栄養価が高すぎる。
私はスマホを握りしめ、魂の叫びを投稿した。
『【悲報】天使の笑顔が核兵器級。被弾しました。無理です。神崎(眼鏡)の耳が赤いのを確認。お前もかよ。ていうかそこ代われ。
#虹ヶ丘高校の日常 #尊すぎてしんどい #墓募集中』
「……先生? どうしました? カウンターの下で震えてますけど」
ハッとして顔を上げる。
いつの間にか、神崎と花ちゃんがカウンターの前に立っていた。
花ちゃんが心配そうに私を見ている。
「な、なんでもないわ。……本をカウンターに落としただけよ」
私は瞬時に「氷の女王」の仮面を被り直し、アンダーリムの眼鏡の位置を直した。
「もう帰るの?」
「はい! 先生、さようなら!」
「……ええ。気をつけてね、花ちゃん」
二人が並んで図書館を出ていく。
近代図書館のレンガ造りの外壁を背に、夕日に伸びる二つの影が、少しだけ重なっていた。
……ふふ。まあ、悪くないわね。
あの不器用な二人が、これからどうなるのか。
特等席から、もう少しだけ見守って(監視して)あげようかしら。
……まあ、家に帰ったら、液晶タブレットを起動して、今のシーンをイラスト化して鍵垢に上げるんだけどね。
タタタッ。
花ちゃん(最推し)がこっちに近づいてきている。なんだろう?
忘れ物? それとも、今の私の挙動不審さがバレた?
「そうだ、先生。言い忘れてたんですけど」
「は、はい! な、なんでしょう?」
花ちゃんは、ニコリと天使の笑顔で言った。
「さっき先生、カウンターの下で『尊い……』って言ってましたけど……何の本読んでたんですか?」
「ッ!!?」
「私も興味あるなぁと思って! じゃあ、また明日!」
花ちゃんは手を振って、今度こそ去っていった。
「……き、聞かれてたァァァァァァ!!!」
私の絶叫は、誰にも届くことなく図書館の天井に吸い込まれていった。
……うん。今日の失態は、イラスト化して供養しよう。そうしよう。
(終わり)
*****
【読者の皆様へ】
お読みいただきありがとうございます!
この「残念な美人司書」に見守られながら、不器用な二人がすれ違いまくる本編は、こちらで連載中です!
『恋愛相談AIの正体は、クラス一無愛想な神崎くんでした。』
https://kakuyomu.jp/works/822139838889671467
本編では、この先生が「とんでもない事件」を巻き起こしたり、神崎くんが「腹筋」で奇跡を起こしたりしています(笑)。
ぜひ、覗いてみてください!
クールな美人司書の裏垢が、推しカップルの尊さで爆発している件。 衛士 統 @Kouta_SF
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