力の覚醒とヤンデレの覚醒
「ガ、アアアアアア!!」
断末魔かと思われたフェンリルの咆哮は、周囲の空気を凍結させる衝撃波へと変わった。
至近距離にいたヒナの細剣が、極低温に耐えきれずガラスのように粉々に砕け散る。
「しまっ……!?」
「ヒナ!!」
丸腰になったヒナへ、フェンリルの氷の爪が振り下ろされる。俺は反射的に、手近にあった村の荷車を蹴り飛ばし、その隙間にヒナを突き飛ばした。
「村の連中、何を見てやがる! 生贄に戻りてえのか!!」
俺の怒声に、絶望していた村人たちがビクリと肩を揺らす。
「こいつの喉元はもう割れてる! 鍬でも石でもいい、俺が合図したら一斉に投げろ! 命が惜しければ動け!!」
俺はさらに理科室から持ってきた発火性の液体をフェンリルに浴びせ、注意を引くために石を投げつけた。だが、獣の逆襲は速かった。
「グアッ!?」
フェンリルの巨大な尾が俺の腹部を直撃し、俺の体はゴミ袋のように広場の壁まで吹き飛ばされた。視界が真っ赤に染まり、意識が遠のく。
「……カイト、さん?」
その瞬間、戦場の空気が一変した。
カナの中から溢れ出したのは、黄金の聖なる光――ではなく、どろりとした、夜よりも深い「漆黒の魔力」だった。
「カイトさんを……私のカイトさんを、傷つけた……」
カナの瞳からハイライトが消え、背後には禍々しい影が揺らめく。それは勇者の力などではなく、この世界を滅ぼす邪神の波長に近いものだった。
カナが手をかざすだけで、氷の巨獣フェンリルが恐怖に震え、地べたに這いつくばる。
「消えなさい」
カナが冷酷に呟くと、フェンリルの体の一部がボロボロと崩れ始めた。圧倒的な力の暴走。
だが、その矛先は獣だけにとどまらない。カナの虚ろな視線が、倒れ込んでいるヒナへと向けられた。
「……あなたいつも、カイトさんの隣にいて邪魔。今のうちに、消えてもらった方がいいよね」
「カ、カナ……? やめなさい、何を……っ」
動けないヒナに、死の魔力が収束していく。
(マズい……! ヒナがここで死んだら、原作のメインシナリオが完全に崩壊する! 世界がどうなるか予測不能だ!)
「……待て、カナ!!」
俺は痛む体を引きずり、ヒナの前に立ちはだかった。
カナの手のひらから放たれようとしていた黒い雷が、俺の胸元でピタリと止まる。
「……カイトさん、どいて。その女は、いらない子だから」
カナの意識は、はっきりしている。正気を失っているわけではない。確信犯的に、彼女は自分の「障害」を排除しようとしていた。
足元では、完全に戦意を喪失したフェンリルが、カナの影に怯えてキャンキャンと鳴いている。
「ダメだ、カナ。ヒナを傷つけるな」
「どうして? 私はカイトさんのために――」
「ここは、俺たちの最初の拠点にする場所だ。仲間を減らしてどうする。……いいか、カナ」
俺は真っ直ぐに彼女の冷たい瞳を射抜いた。
「もし、俺の言うことが聞けないなら。……俺は、お前を嫌いになる。二度と、その隣には立ってやらない」
「――っ!?」
カナの肩が激しく震えた。
漆黒の魔力が一瞬で霧散し、彼女は子供のように顔を歪ませる。
「い、嫌っ……! 嫌いにならないで! 言うこと聞きます、何でもしますからぁ!」
カナは泣きじゃくりながら俺に抱きついてきた。その勢いで俺の肋骨がさらに悲鳴を上げたが、なんとか最悪の事態は免れたようだ。
(……はぁ。主人公が勇者じゃなくて『ヤンデレ魔王』の才能に目覚めてるんだが、これどうすればいいんだ?)
背後では、完全にカナに屈服し、巨大な飼い犬のようになったフェンリルが、大人しく村の中央に座り込んでいた。
村人たちは、奇跡の生還に歓喜するよりも先に、自分たちを救った少女が放った「邪悪なまでの力」に、恐怖で声を失っていた。
俺の「安全な隠居生活」への道は、またしても別の方向に爆走を始めていた。
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