勇者の覚醒と獣の弱点

「カナ、伏せろッ!!」


獣の巨大な爪が空を裂き、俺はカナを突き飛ばしてその身を盾にした。


――ガッ!!


「が……はっ……!」


厚手のコート越しに衝撃が走り、背中を焼火箸でなぞられたような激痛が走る。吹っ飛ばされた俺は実験机に叩きつけられ、視界がチカチカと火花を散らした。


「カイトさん!! いや、嫌ああああ!!」


カナが絶叫する。


原作なら、ここで彼女の瞳に黄金の光が宿り、伝説の聖剣を顕現させて獣を一刀両断する……胸アツな覚醒シーンのはずだ。俺もそれを期待して、命がけで時間を稼いだ。


だが。


「う、うう……うわあああん!」


カナはただ泣きじゃくり、座り込んだまま動けなくなっていた。


覚醒フラグ、不発。


性別が変わったことで、彼女の「勇者の器」は、今のところ「普通の女の子の恐怖心」に完全に負けていた。


獣は、自分に傷を負わせようとしたヒナを無視し、無防備な獲物――カナへと狙いを定める。六つの目が残酷に細まった。


「させないわよ……っ!」


ヒナが横から斬りかかるが、獣は巨体に似合わぬ俊敏さでその細剣を弾き飛ばす。


(クソ、このままだとカナが食われる。世界が滅ぶ!)


俺は痛む体に鞭打ち、目の前の実験机の上を必死に見た。ここが音楽室じゃなく「理科室」だったことは、予言者(ゲーマー)にとって唯一の救いだ。


「カナ! 泣いてる暇があったら走れ!!」


俺は地面を転がってカナの腕を強引に掴み、彼女を引きずり上げる。


「ヒナ! その辺の薬品棚を片っ端から叩き割れ! 特に『過酸化水素水』と『二酸化マンガン』だ!」


「な、何言ってるの!? そんなのであいつが倒せるわけ――」


「いいからやれ! 俺の予言を信じろ!」


俺はカナの手を引いて、獣を誘導するように廊下へ走り出した。


この『捕食獣』は鼻が利きすぎるのが弱点だ。急激な化学反応で発生する大量の純粋酸素と、理科室に残っている揮発性の薬品を混ぜ合わせれば……。


「カナ、この瓶を入り口に投げろ! 思いっきりだ!」


俺は手近にあったアルコールランプの中身をぶちまけ、カナに未開封の薬品瓶を握らせる。


パニック状態のカナだったが、俺に手を握られている安心感からか、火事場の馬鹿力で瓶を床に叩きつけた。


――ガシャン!!


「ヒナ、今だ! 炎を叩き込め!!」


「……分かったわよ、もう! 『炎の刻印(フレイム・サイン)』!!」


ヒナが放った小さな火種が、気化した薬品と充満した酸素に引火した。


――ドォォォォォォォォン!!


理科室が激しい爆発と共に、目も開けられないほどの白光に包まれる。


獣は過敏な鼻と目を焼かれ、聞いたこともないような断末魔を上げてのたうち回った。


「今のうちだ、逃げるぞ!」


爆炎の中、俺はカナの腰を引き寄せ、呆然とするヒナの腕も掴んで、煙の立ち込める廊下を全力で駆け抜けた。


背後では、怒り狂った獣の声が遠ざかっていく。

助かった。いや、生き延びただけだ。


「……はぁ、はぁ……カイト、さん……」


隣を走るカナが、涙でぐちゃぐちゃの顔で俺を見つめてくる。その手は、痛いくらいに俺の腕を握りしめていた。


(……ああ、分かってる。今の爆発で、またこいつの『俺への依存度』が跳ね上がった音がしたよ)


本来なら主人公がヒロインを救って格好良く決めるシーンなのに、結局、一般人の俺が二人を抱えて泥臭く生き残るハメになっている。


「ねえ、カイト……あんた、本当にただの『一般人』なの?」


後ろを走るヒナが、疑念と……それ以上に、何か別の感情が混じったような視線を俺に投げかけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る