東京都△×区 月刊「怪奇」編集部

「御幣島の記事、本当に没でいいんですか?」


 日が落ちてLEDだけが照らす月刊「怪奇」の編集部で、野崎のざきは編集長のデスクに座る鴫野に向かってそう確かめた。


 野崎は御幣島にとって先輩ライターにあたる存在だった。入社したての頃から教育係として接してきたこともあって、彼女の少し抜けたところには頭を悩まされ続けてきた。だが、結果の有無にかかわらず仕事に前向きなところは評価していた。


 ゆえに、彼女が書いた記事が不採用となったことがいささか腑に落ちなかった。


「今回の草稿、わりといい感じに書けてたとは思うんですけど」


 御幣島本人も今回は自信があったようで、鴫野から没宣告を食らった際にはかつてないほどのショックを受けた表情をしていた。


 まあ、その後すぐに「やってらんないです! やけ食いしてきます!」と出ていったから大丈夫だとは思うが。

 おそらく今ごろは会社近くの中華料理店で特大餃子と特盛天津飯と格闘しているだろう。


 容易く想像できるその姿を脳内に浮かべていると、黙っていた鴫野が口を開いた。


「……鈍感だからな、あいつは」

「鈍感?」


 だが、その口から出てきた単語はよくわからずに野崎は首を傾げる。


「どういうことですか?」

「そのままの意味だよ」


 言うと、鴫野は煙草に火を点ける。出版社ビルの大部分が禁煙となっている中で、隅に追いやられたこの編集部だけが治外法権となっていた。


 鴫野は紫煙をくゆらせながら言う。


「鈍感ってのは才能なんだよ。特に俺たちみたいに、得体の知れないモノを相手にする機会の多い人間にとってはな」


 オカルト。霊。怪異。そういった非現実的なたぐい数多あまたあるが、たったひとつ、共通するものがある。

 それは、気づくかどうかだ。


 気づいてしまった瞬間、向こう側の領域へと足を踏み入れてしまう。そして入ってしまったが最後。出ることは難しい。


 ではそれにどうやって対処するか?

 簡単だ、気づかなければいいのだ。認識していない存在の領域なんて、入り込みようがない。

 それこそが唯一に最強の対処法だった。


「……じゃあ、あいつが今回取材したのって」

「ああ。おそらく本物だろうな」


 鴫野が考えるに、御幣島が今回取材したのは彼女が記事に書いているような生易しいものではない。

 もっと別の、正体不明の何かだ。


 だからこそ、鴫野は御幣島の記事を没にしたのだ。これ以上、本物が広まらないようにするために。


 怪異というものは広まることを望む。より多くの人間に気づかせるために。そうすることで、自身の力はより強くなる。

 そして広まってしまったが最後。一度ついてしまった汚れがとれないように、怪異からは二度と抜け出すことはできない。


 だが問題は、その怪異が一体どういう存在で。そして気づいてしまった人間がどうなってしまうか、だ。


 野崎は御幣島から聞いた情報を整理する。生成AI動画に出てくる老婆とそっくりな定食屋の店主。彼女がある時を境に、まるで別人のようになったということ。彼女が、独特のイントネーションで話していたこと。


「もしかして……」

「ほんと、アイツが持ってくる記事はこの手のものばかり困ったもんだよ」


 鴫野は野崎の言葉には反応せずにぽつりとつぶやくと、口から煙とともにため息を吐く。


 果たして隣にいる人間が、あるいは自分が。本当に自分のままだなんて、一体誰がわかるだろうか。


「……お前も気をつけろよお、野崎」


 野崎の目には、口角を上げてこちらを見る鴫野の姿が映っていた。

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御幣島沙稀の「お蔵入り」オカルト取材録 今福シノ @Shinoimafuku

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