第3話 人間が一番難しい

 男子寮に戻ると、透はベッドにダイブして顔を埋めた。


「透、どしたん?」


 同室の神楽理央が顔を伏せている透を覗き込む。

 透は暫く黙っていたが、顔を伏せたまま、漸く口を開く。


「……文具展、間に合わなかった」


 声は、布に吸われてくぐもっていた。

 理央は一瞬だけ間を置いてから、肩をすくめた。


「そら、そうだろ。補講なんだから。間に合うわけねーじゃん」


「……難しかった」


「そんなにレセプト苦手なのかよ」


 やれやれと呆れた様子の理央に対する答えが一瞬詰まる。


「……人間が難しい」


 理央は一瞬だけ口を止めた。


「なんか……深いな」


 沈黙。

 理央がため息を吐いて、グミの袋を開けて口に含んだ。


「お前、なんかあったろ」


「補講があった」


「ちげーよ。いい加減、顔上げろ」


 ゆっくりと透が身体を起こす。

 透の表情を見て、理央が目を細めて口元に笑みを浮かべた。


「……いいこと、あったんじゃん。お前」


 透の表情が僅かに緩んでいる。

 はっと気付いた透は、顔を両手で覆う。

 数秒経ち、手を解き顔を上げると無表情になる。


「……別に」


「いや、おせーよ」


 ぐっと透が呻く。


「ひとまずは、お疲れ。口開けて」


 理央がグミを一粒手に取ると透が口を開ける。


「お前、毎回突っ込まないの何で?」


 グミを手渡す。

 透は渡された流れで口に運んだ。


「ま、楽しいことあったなら良かったじゃん。補講はご愁傷様だけど」


 透は、もぐもぐとグミを噛んで飲み込む。

 それから腕を組み、首を傾げた。


「……楽しいこと、なのか? 確かに気にはなったけど」


「気になった?」


「……補講で変な女に会った」


 つい口をついた言葉に、理央は満足そうに頷いた。


「へぇ、透が人間に興味を持ったのか」


 理央の言葉に透の眉尻が上がる。


「……言い方が引っかかるな」


「そうじゃん。可愛いもんは好きでも可愛い女の子好きになることないし」


 好き、という言葉に透の脳内が疑問に埋め尽くされる。


「好き……? いや、気になっただけだが」


 真顔で表情筋が動かない透に、理央は苦笑いを浮かべる。


「あー……そか。で、その女の子って?」


「伊澄朱里」


 その名前を聞いて理央の表情が固まる。


「……なるほどな。把握した」


「ん……?」


「今週末、夜空けとけ。飯行こうぜ」


 口元に笑みを浮かべ、理央はスマホを手に取った。

 そのまま部屋を出ていく。

 扉の外で理央の声が聞こえたが、遠くて上手く聞こえない。


「飯? ……なんで?」


 きょとんと目を丸くした透は立ち上がり、バッグの中身を確認する。


 補講で使ったレセプト用紙は、何度も消しゴムで消して書き直した痕跡がある。


「……今時、手書きじゃなくてパソコンでやるだろ」


 小さく呟く。

 専用ソフトを使えば、自動計算をしてくれる。

 真っさらな紙に書く意味が、どうしても腑に落ちない。

 目を伏せて息を吐いた。


(知識として、ちゃんとしとけってことなんだろうな)


 クリアファイルにしまっている時間割りを取り出す。


「……明日、マナー講習あるじゃん」


 心底嫌そうな表情で、透は顔を歪めた。

 

 人と接することに正解がある授業。

 一番、透が苦手とする分野だった。


 人前で上手く喋るのは得意じゃない。

 正しくしなければ、失礼にあたるなんて……気持ちだけ誠実でも意味がないと言われてる気がして。


(……人間が、やっぱり一番難しい)


 明日の授業が、少し憂鬱になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この関係、経過観察中〜補講で出会った二人は、まだ恋じゃない〜 森鷺 皐月 @baket57

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画