第2.5話「卓上の講義、あるいは残り物の哲学」

夜の帳が下りた『まんぷく弁当』の店内。

シャッターを下ろした調理場には、温かなオレンジ色の照明が灯り、急須から注がれるほうじ茶の香ばしい湯気が立ち上っていた。

ちゃぶ台を囲むのは、リキと剛。そして、その中央に鎮座する一匹の猫――ミャスターだ。

「……つまり、俺たちは『美味い飯』を守るために、あの訳のわからねぇ連中と戦う。そういうことだよな?」

リキが、売れ残りのきんぴらごぼうを摘みながら首をかしげる。

剛は腕組みをし、難しい顔で茶をすすった。

「リキ、お前な……。もう少しこう、理屈ってもんがあるだろう。なあ、猫の旦那?」

「ミャスターと呼べ、この筋肉ダルマ!」

ミャスターは長い尻尾でちゃぶ台をピシャリと叩いた。その態度は、厨房で弟子を叱りつける総料理長のそれだ。

「いいか。これから話すのは、この世界の『味付け』に関わる重大な秘密だ。耳の穴をかっぽじって、よーく味わうことだニャ」

ミャスターはコップの水を一口舐めると、語り始めた。

「まず、この世界とは異なる次元に『五味仙界』という場所がある。そこは全ての『食』を司る神々が住まう聖域だニャ」

「へぇ、美味そうなとこだな」とリキが目を輝かせる。

「黙って聞くニャ! ……かつて、人間界と仙界は『感謝のパイプライン』で繋がっていた。人間が食事の前に手を合わせ、『いただきます』と唱える。その感謝の心こそが、仙界を支えるエネルギーであり、逆に仙界からは人々に『生きる活力』が送られていたのニャ」

ミャスターの目が、少しだけ寂しげに細められた。

「だが……現代の人間はどうだ? スマホを見ながらの『ながら食べ』、過剰なダイエット、大量の廃棄。食事をただの『燃料補給』としか考えない奴らが増えた。その結果、パイプラインは詰まり、仙界はエネルギー枯渇で崩壊寸前。守護者である吾輩も力を失い、あんな薄汚れた姿で人間界へ墜落したというわけだニャ」

「なるほどな……」

剛が重々しく頷く。「俺も肉屋だ。肉への敬意がねぇ客を見ると、心が寒くなる。それが神様の国まで影響してたってわけか」

「そうだ。そして、その『心の隙間』に漬け込んだのが、異次元の侵略者『サプリ帝国』ニャ」

その名が出た瞬間、場の空気が冷たく張り詰めた。

「奴らの目的は、全人類の『食』を管理し、効率だけの『完全栄養管理社会』を作ること。……想像してみろ。朝昼晩、色のないチューブや錠剤だけで腹を満たす世界を」

「げっ……絶対嫌だね! そんなの生きてる気がしねぇよ!」

「ああ、飯ってのは『明日も頑張ろう』って思うためのガソリンだ。それがなきゃ、人間はただの機械になっちまう」

二人の憤りに、ミャスターは満足げに頷いた。

「だから奴らは、人々の食への執着を消し去ろうとしている。そして、その尖兵として送り込まれるのが『ハイキ獣』だニャ」

ミャスターは、リキの箸からこぼれ落ちたごぼうの欠片を指差した。

「食べ残されたもの、賞味期限切れで捨てられたもの、不格好だからと弾かれた野菜、型落ちだからと処分された電化製品……。それらの『無念』や『怨念』を、サプリ帝国の科学力で増幅させ、怪物に変えたもの。それがハイキ獣だ」

「……あいつら、元々は物だったのか」

リキの声が沈む。炊飯器の怪人も、廃油の怪人も、元は人間に使われるはずだったモノたちだ。

「そうだ。だからこそ、ゴチソウジャーの使命は『倒す』ことだけじゃない」

ミャスターは真剣な眼差しで二人を見据えた。

「奴らの悲しみを正面から受け止め、全力をぶつけて『供養完食』してやること。お前たちが最後に『ごちそうさまでした』と手を合わせるのは、奴らを元のエネルギー――正しい循環へと還してやるための儀式なのニャ」

静寂が降りた。

ただ敵を倒すだけのヒーローではない。

それは、捨てられた命を弔い、世界の歪みを「食卓」という秩序に戻す守護者シェフなのだ。

「……へへっ、わかったよミャスター」

リキが顔を上げ、ニカっと笑った。その瞳には、迷いのない火が灯っている。

「要するに、残さず美味しく食べて、綺麗に片付ける! それが俺たちの仕事ってことだろ?」

「単純化しすぎだが……まあ、本質は突いているニャ」

「おうよ。肉も野菜も、最後まで使い切ってこそ職人だ。俺たちに任せときな、総料理長殿」

剛が太い腕で力こぶを作ってみせる。

ミャスターは呆れたように肩をすくめたが、その口元の髭は微かに震えていた。

かつて仙界で共に腕を振るい、今は敵対する道を選んだ親友――黒猫のシャノワールのことを思い出していたのかもしれない。

(あいつは絶望した。だが、こいつらは……このバカ正直な「熱さ」は、もしかしたら……)

「フン、口だけは達者だニャ。……さて、講釈は終わりだ。リキ、茶のおかわり!」

「へいへい! ……っと、そうだ。次は誰を探せばいいんだ?」

「決まっているニャ」

ミャスターは、カウンターの奥に貼られた商店街のポスター――彩り豊かなスイーツ特集の広告に目を向けた。

「食事の締めくくりには甘いものが必要だ。次は『デザート』の担当を探すニャ。……もっとも、甘い菓子ほど、繊細で崩れやすいものだがニャ」

夜は更けていく。

湯気と共に結ばれた誓いは、次なる味覚との出会いを予感させていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る