第2話「肉汁の誓い」

ジュワアアアアッ……!!  

その音は、空腹の人間にとって世界で最も美しい旋律メロディだった。

黄金色のラードの中で、きめ細かなパン粉を纏ったメンチカツが踊る。

揚がるにつれて漂う、牛と豚の合挽き肉が放つ濃厚な脂の香り。

それは脳髄を直接揺さぶるような、暴力的なまでの「旨味」の誘惑だ。


「へいらっしゃい! 揚げたてだ、熱いうちに食ってきな!」


 商店街の一角にある精肉店『肉のニクラ』。  店主の肉倉剛にくくら つよしは、ショーケース越しに威勢のいい声を張り上げた。

三十歳。丸太のように太い腕と、短く刈り込んだ髪。腹には少し肉がついているが、それは不摂生ではなく、頑強な筋肉の鎧だ。

彼の目には、肉に対する並々ならぬ愛情と、職人としての厳しさが同居している。


「剛さん、いつものメンチ二つ!」

「おう、リキじゃねぇか! 今日もいい食いっぷりの顔してやがるな」


 駆け込んできたのは、昨日「ゴチソウジャー」として覚醒したばかりの米田リキと、その肩に乗った猫のミャスターだ。

 剛は油切りのバットから一番形の良いメンチカツをトングで掴み、紙袋に入れて渡した。


「ほらよ。……で、まさかそっちの猫にもやるつもりか?」

「ああ! こいつ、見た目よりずっと食うんだよ。ほらミャスター、揚げたてだぞ!」


 リキが熱々のメンチカツを猫の口元へ差し出した、その瞬間。


「バカ野郎ッ!!」


 商店街に剛の怒号が響いた


「うわっ!? な、なんだよ剛さん!」

「てめぇ、素人か! メンチの中には『タマネギ』がたっぷり入ってんだぞ!」


 剛がカウンターから身を乗り出し、鬼のような形相でリキを睨みつけた。


「ネギ類は猫や犬にとっちゃ猛毒だ! 赤血球が壊れて貧血起こして死んじまうんだぞ! 拾った猫を殺す気か!」

「あ……っ!!」


 リキの顔色がサッと青ざめる。  

そうだ。

昨夜、チャーハンの時にもミャスターに散々説教されたばかりだった。


「わ、忘れてた……! ごめん、俺また……!」

「ったくよぉ……。可愛がるなら、最低限の知識くらい持っとけってんだ」


 剛が呆れてため息をついた、その時だった。


「フン。……心配無用だニャ」


 ミャスターがリキの手から紙袋をひったくり、顔を突っ込んだ。


「おい待て猫公! それは毒だぞ!」

「ガブッ! ……フハフハ、熱い! だが美味いニャ!」


「っ!?しゃべった………?」


 剛の困惑も気にせず、ミャスターはメンチカツにかぶりついた。  

サクッという小気味良い音。溢れる肉汁。


「お、おい!?」

「ン〜ッ! ラードの香りがたまらんニャ! ……言ったはずだリキ、吾輩は高貴なる五味仙界の守護聖獣! 人間界の常識など通用せん!」


ペロリと半分平らげ、ミャスターは剛に向かってニヤリと笑った。


「安心しろ肉屋。タマネギの毒素なぞ、この強靭な胃袋で瞬時に分解してやるわ」

「……はぁ?」


 剛は目を丸くし、それから「ハッ」と短く笑った。


「喋る猫に、タマネギ食ってもピンピンしてる胃袋か……。こりゃあ只者じゃねぇな」

「当然だニャ」

「へっ、気に入ったぜ。……いいか、猫公。こいつはただの肉の塊じゃねぇ」


 剛の表情が、驚きから真剣な職人の顔に戻る。


「昨日まで生きてた牛と豚の『命』そのものだ。骨の髄まで味わって、血肉に変えるのが礼儀ってもんだぜ」


 剛は「完食こそ感謝」を信条とする男だ。  相手が人間だろうが猫だろうが、その哲学は揺るがない。


「……フン。人間にしては、わかっている男だニャ」


ミャスターは髭についたパン粉を舐め取り、満足げに頷いた。

彼にとって精肉とは、単なる商品の切り売りではない。命を預かり、余すことなく人に繋ぐ、神聖な儀式に他ならなかった。


 その平穏な空気が破られたのは、正午を過ぎた頃だった。


「警告。警告。この区域のカロリー摂取効率は、極めて非効率的である」

無機質な機械音声と共に、店の前に現れたのは、軍服のような装甲を纏った冷徹なアンドロイド、ジェネラル・タブレットだった。

その背後には、ドロドロとした黒い液体を垂れ流す異形の怪人が控えている。

「あいつは……!?」

リキが身構える。

タブレットは冷たい電子アイで、剛の店のショーケースをスキャンした。

「動物性タンパク質の原形販売……不衛生かつ、調理に時間を要する。我が帝国の推奨する『完全食キューブ』に置き換えるため、この施設を排除する」

「ハイユ……ハイユ……クサイモノハ、ステロ……」

怪人『廃油ヘドロ』が呻き声を上げる。

それは、飲食店から廃棄された油や、酸化した脂身の怨念から生まれたハイキ獣だ。

体表から滴り落ちる黒いヘドロがアスファルトに触れると、ジュウと嫌な音を立てて煙が上がった。

「排除? ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!」

剛がダンダンとカウンターを叩いて怒鳴る。

「俺の店はな、近所の婆ちゃんや育ち盛りのガキが、笑顔で飯を食うためにあるんだ! テメェらの理屈で潰されてたまるか!」

「理解不能。感情論はノイズである。行け、廃油ヘドロ」

タブレットの指令を受け、廃油ヘドロが右腕を振り上げる。

放たれたのは、酸化した油の塊だ。それがショーケースに直撃し、ガラスが砕け散る。そして――丹精込めて仕込んだ肉の上に、真っ黒なヘドロが降り注いだ。

「あっ……!!」

剛の顔色が、怒りの赤から蒼白へ、そして再び漆黒の怒りへと変わった。

彼が見ていたのは、壊れた店ではない。

汚され、食べられなくなり、ただの「ゴミ」へと変えられてしまった肉たちだった。

「テメェ……何しやがった……」

「酸化した有機物など、廃棄する他ない」

「廃棄……? これが……命だったもんが、ゴミだってのかよ!!」

剛は店の外へ飛び出すと、素手で廃油ヘドロに掴みかかった。

常人なら怯むような悪臭と熱。だが、剛は構わなかった。

「剛さん、無茶だ!」

リキが慌てて割って入ろうとするが、廃油ヘドロの体はヌルヌルと滑り、剛の巨体さえも容易く弾き飛ばす。

地面に転がる剛。その目の前に、ヘドロにまみれたメンチカツが落ちていた。

「汚い。実に非効率な光景だ」

タブレットが冷淡に言い放ち、そのメンチカツを軍靴で踏み躙ろうとした――その時。

剛の手が、タブレットの足をガシリと掴んで止めた。

「……汚くねぇ」

剛は泥と油にまみれた顔を上げ、血走った目で敵を睨みつけた。

「肉を切れば血が出る。揚げれば油が跳ねる。生きるってのはな、綺麗事じゃねぇんだよ! 俺たちは他の命を貰って、泥臭く生きてんだ! それを『汚い』だの『効率』だので片付けるテメェらの方が……よっぽど心が腐ってやがる!!」

その怒号は、魂の咆哮だった。

命を奪う罪悪感も、それを糧にする業も、全て引き受けて「いただきます」と言う覚悟。

その強烈な熱量が、空間を震わせた。

「あの男……魂が『完食』を求めているニャ!」

ミャスターが叫ぶ。「リキ! 奴にも資格があるニャ! 命を預かる責任(おもさ)を知る、強靭な胃袋の持ち主だ!」

剛の腕に、黄色い光と共に『ゴチソウブレス』が出現する。

「な、なんだこれは……?」

「剛さん! それはあんたの『想い』の形だ! 回せ! そのツマミを回して、命を頂く覚悟をオーダーするんだ!」

「おう、よくわからねぇが……要は『いただく』ってことだな!」

剛は迷いなく立ち上がると、ブレスのツマミを力任せに捻り上げた。

「オーダー!! 五色五味、チェンジ!!」

ドォォォンッ!!

爆発的なエネルギーが剛を包む。それは繊細な湯気ではない。焼肉の鉄板から立ち上る、濃厚で力強い煙のようなオーラだ。

光が弾けると、そこには黄金色の装甲を纏った重戦士が立っていた。

分厚い胸板、牛の角を模したヘルメット。全身から溢れるのは、圧倒的なパワーとバイタリティ。

「弾ける肉汁! みなぎるスタミナ! ……ミートイエロー!!」

イエローに変身した剛は、自らの拳をバチンと合わせ、低く構えた。

「へっ、力が溢れて止まらねぇ……! テメェら、俺の店を汚した代償……骨の髄まで払ってもらうぜ!!」

廃油ヘドロが汚泥弾を乱射する。だが、イエローは避けない。

弾丸を胸板で受け止め、一歩も退かずに前進する。その姿は、荒波に立ち向かう岩のようだ。

「そんな油っ跳ね、揚げ場の熱さに比べりゃ涼しいもんだぜ!」

イエローは怪人の懐に飛び込むと、その太い腕で胴体を抱え込んだ。鯖折りだ。

「ギギギ……ヌルヌル……スベル……」

「滑る? 関係ねぇな! あぶらごと締め上げてやるよ!」

ミシミシと怪人のボディが歪む。

そこへ、赤き戦士――ライスレッドが駆けつけた。

「剛さん、ナイスだ! 俺も混ぜてくれ!」

「リキか!?わかった! こいつは硬くて噛みごたえがありそうだぜ!」

「なら、柔らかくなるまで叩くまでだ!」

レッドの身軽なキックと、イエローの重厚なパンチが交互に炸裂する。

「ご飯」と「肉」。最強の定食コンビネーションが、怪人を圧倒していく。

「仕上げだ、イエロー! メインディッシュにするニャ!」

「おうよ! 命を粗末にする奴に、明日の飯はねぇ!!」

イエローが怪人を空中に放り投げる。

落ちてくる巨体に合わせて、彼は右腕に全エネルギーを集中させた。その拳が、高温の鉄板のように赤熱し、ジュウジュウと音を立てる。

「必殺! 完食・インパクト!!」

渾身のアッパーカットが、廃油ヘドロの顎を捉えた。

衝撃波が突き抜け、怪人の体内の汚れた油が、一瞬にして浄化の炎で焼き尽くされる。

「リサイクル……シテ……クレェェェ……」

怪人は満足げな声を残し、光の粒子となって消滅した。

タブレットは舌打ちをし、冷ややかに言い捨てた。

「……計算外の熱量。非効率極まりないが、データは取れた。撤退する」

タブレットが姿を消すと、商店街に再び静寂が戻った。

夕暮れの精肉店。

ショーケースは割れてしまったが、剛は残った肉を丁寧に洗い、調理していた。

店の前のベンチで、リキと剛、そしてミャスターが並んで座っている。手には、揚げたてのコロッケ。

「……悪かったな、剛さん。店、めちゃくちゃになっちまって」

「へっ、気にするな。ガラスなんざまた入れりゃいい。それより、あいつらを追い払えたおかげで、この肉は守れた」

剛は熱々のコロッケを一口かじった。サクッという音と共に、湯気が上がる。

「……美味い」

「ああ、最高に美味いよ、兄貴!」

「兄貴……か。へっ、悪くねぇ響きだ」

剛は照れくさそうに鼻の下を擦り、リキの背中をバシッと叩いた。

「ま、俺たちは今日から『同じ釜の飯を食った』仲間だ。よろしく頼むぜ、相棒」

「うん! ……あ、ミャスター、お前も食うか?」

「当然ニャ! さっきの働きで腹ペコだニャ。……フム、肉の旨味が芋に染み込んでいる。合格点ニャ」

三人は笑い合い、夕日に向かってコロッケを頬張った。

守られた日常。その温かさと重みを噛み締めながら。

だが、戦いはまだ終わらない。

彼らの元に、新たな仲間が集うまで、あと三つの味と色が待っている。

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