第4話 斉藤家の嫡男 斉藤宗次




 「……若」


 声をかけたのは、家臣だった。


 宗次は返事をしなかった。

 ただ、手にした盃を見つめている。


 「お飲みになられませんな」


 「……味がしない」


 家臣は、黙って隣に座った。


 しばらく、言葉がない。


 「父上は」


 宗次が、ぽつりと言った。


 「酒が、好きだった」


 「はい」


 「戦の前でも、飲んでいた」


 「……ええ」


 宗次は、盃を置いた。


 「怖くなかったのだろうか」


 家臣は、すぐに答えなかった。


 「……怖かったと思います」


 宗次は、少し驚いた顔をした。


 「そうか」


 「だから、飲んだのかと」


 宗次は、笑った。


 だが、すぐに消えた。


 「俺は」


 宗次は言った。


 「何もできなかった」


 「若は、まだ――」


 「違う」


 宗次は首を振った。


 「何も、選ばなかった」


 沈黙。


 風が、障子を鳴らす。


 「……父は」


 宗次の声が、わずかに震えた。


 「俺に、何を望んでいた」


 家臣は答えられなかった。


 答えがないからではない。


 どれも、違う気がしたからだ。


 「若」


 家臣は、ゆっくりと言った。


 「悲しみは、今は置いてください」


 宗次は、顔を上げた。


 「置けるものか」


 「……置けませんな」


 家臣は認めた。


 「なら」


 宗次は、盃を握りしめた。


 「このまま抱えていれば、いいのか」


 家臣は、答えた。


 「抱えきれなくなったとき」


 「人は、何かに渡します」


 宗次は、ふっと息を吐いた。


 「……渡すな」


 誰に向けた言葉か、分からない。


 だが――


 その夜、

 宗次は初めて、父の夢を見た。


 何も言わず、

 ただ、座っているだけの夢を。



 「動くなら、今です」


 家臣の声は低く、抑えられていた。


 「朝倉は勝ち戦の後、必ず油断する。兵を集める前に叩けば――」


 「叩けると思っているのか」


 宗次は遮った。


 「今の斉藤で」


 「思っておりません」


 家臣は即答した。


 「だからこそ、戦ではない」


 宗次が目を細める。


 「戦でなければ、何だ」


 「削るのです」


 「……削る?」


 「兵站。人心。信用。時間をかけて、朝倉の足を止める」


 宗次は鼻で笑った。


 「回りくどい」


 「生き残る策です」


 沈黙。


 宗次は、しばらく床を見つめていた。


 「……父は、時間をかけたか」


 家臣は答えなかった。


 答えられなかった。


 「違う」


 宗次が言った。


 「父は、前に出た」


 「それが敗因です!」


 思わず、声が荒れた。


 家臣は一歩踏み出す。


 「若。怒りは分かる。だが今は――」


 「分かる?」


 宗次が顔を上げた。


 「お前が?」


 言葉が、鋭く突き刺さる。


 「父の首を、誰が拾った」


 「……朝倉です」


 「なら、俺が行く」


 家臣は歯を食いしばった。


 「それでは、斉藤が終わります」


 「もう終わっている」


 宗次は静かに言った。


 「だから、燃やす」


 「若……!」


 宗次は、ふと首を傾げた。


 「……今、聞こえたか」


 「何が、です」


 「笑った」


 家臣は凍りついた。


 「誰が……?」


 宗次は答えない。


 ただ、暗がりを見る。


 「急かすな」


 誰に向けた言葉か、分からない。


 「俺は、逃げない」


 宗次は言った。


 「だが」


 家臣に視線を戻す。


 「策を練るなら、俺の憎しみを使え」


 「……それは」


 「俺は、止まらない」


 宗次は静かに笑った。


 「止められると思うなら、やってみろ」



、、、憎しみは武器になる。

だが、武器は常に、持ち主を選ぶ。

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