幕間・一

 ビルの廊下を、二人の男と一人の少女が歩いていた。壁と床は黒に近い茶色で統一され、照明は等間隔に置かれたオレンジの明かりのみ。朝でも夜を思わせる暗さは、高級感と同時に、怪しさと危険な雰囲気を演出している。

 ジュエリーブランド〈深紅〉。銀座に店を構える老舗だ。ここはその本部ビルで、東京湾の埋め立て地の一角にそびえ立っている。

「なぁ、俺たち、何で呼ばれたんだろうな」

「解雇の通達に決まっている。はぁ、やはりこうなった」

 男はどちらも黒いワイシャツを着ていて、一人は冷房の効いた室内でも汗を流して視線を泳がせ、もう一人は諦念を体中から滲ませている。

「そ、そりゃわかんないぜ。えっと、ほら、三体仕留めた功績を褒められるとか!」

「そんなわけあるか」

「アンタたちのせいであたしまで呼ばれることになった。最悪! 今日は学校に行くつもりだったのに」

 少女は彼らの一歩先を歩いていた。真っ黒な二つ結びに、重い前髪。襟にフリルをあしらったブラウスを着て、胸元には深い紅色のリボンがある。

「アンタたちが不祥事起こしたら、あたしの責任になるんだからね」

「お嬢の責任に⁉ すんません!」

「いや、ほとんど無断で先に帰ったお嬢にも非はあります。お叱りを受けるのは当然かと」

「無断で帰ってないじゃん。アンタに言ったでしょう? それで不手際があったんだから、もうアンタたちには望みがないね」

「そ、そんなぁ……!」

 言い合う間にエレベーターに乗る。最上階のボタンを押し、少女が手のひらを認証盤に当てる。キーが解除され、上昇を始める。

「上に着いたら、くれぐれも静かにしなさいよ。あの人にこんなバカな会話は似合わないんだから」

 最上階に着く。狭く長い廊下が伸びていた。暗さは下の階と変わらないが、壁や床や天井は光沢があり、三人の姿を鏡のように反射する。床はレッドカーペットを模したのか、深い紅色だ。この最奥の部屋が目的地であり、社長室。ここには社長と、許可された者しか入れない。少女は重厚感のある黒い扉を、三回ノックする。

「とわです」

 名乗れば、ガチャ、と鍵の開く音がする。三人は少女を先頭に中に入った。

 廊下とは反対に、自然光が室内に入り込んでいた。彼女らは眩しさに目を細める。床から天井まで張られた大きな窓が、光をたくさん取り入れていた。そこからは街見海浜公園と穏やかな海、その先に都心の雑然とした街並みが一望できる。鉄道を走る電車も、高速道路をく大型トラックも、ミニチュアなジオラマのようだ。

 くちゃくちゃと咀嚼音がする。黒髪の青年が、黒い革製の艶やかな椅子に座り、窓を向いて菓子の銀紙をいじっていた。

「この時期はキャラメルが柔らかくていかんねェ。俺は硬いほうが好きなンだがな」

 この二十歳そこらの青年こそが、〈深紅〉の社長、阿黒知己あぐろともみだ。

 彼が部屋の隅のゴミ箱に銀紙を投げ捨てる間に、三人の部下は執務机の前に並ぶ。

「なぜ俺がお前らを呼んだか、わかるか?」

 椅子を回転させて机に肘をつき、阿黒は三人を見上げる。心情を探らせない、冷ややかな微笑。瞳が赤く小さいためか、目つきが鋭い。若い見た目に反して、表情、仕草、眼差しの一つ一つに、組織の頂点に相応しい威厳がある。

 三人は誰も言葉を発しなかった。一人は真実を言うのに怖気づき、一人は褒められる空気でないことを察し、もう一人は背後の男たちに呆れていた。沈黙が続くと、阿黒は「わからないならいい。窓の外を見ろ」と席を立つ。

「あれは何だ?」

 三人は窓際に移動して、阿黒が指さした先を見下ろす。街見海浜公園の前にパトカーが停まり、数々の警察官が慌ただしく動いている。

「昨晩、お前たちはあそこで〝狩り〟をした。報告書には三体の人魚を殺したとあったが……まさか、処理が不十分だったのか?」

「ひいっ」

 責め立てるような視線と声色に、男の一人が耐え切れず声を上げた。もう一人の男は、もはや誤魔化すことを諦め、平坦に話す。

「阿黒様のおっしゃる通りです。我々は昨夜、三体の人魚を狩り、分断した上体と尾を順番に海に棄て、泡となったのを確認しました。ところが、残すところ三体目の上体のみとなった時、それがなくなっていることに気づいたのです。日が暮れて暗かったこともあり、捜索は不可能でした。そこの馬鹿が、人魚が自分で海にかえったのではないかなどと言っていましたが、やはり地上に残っていたのですね」

 阿黒は詳しい報告を聞くと、「うん」と頷く。

桃実ももみとわ、君もいたという話だが、どうした?」

「あたしは先に帰ったよ。翌日は学校に行きたかったし、狩りは得意だけど後処理は苦手なの。人魚の半身なんて重たくって運べないもん。あなたも知ってるでしょう?」

 桃実は全く悪びれる様子も、反省の気配もない。阿黒が「そうだな」と言うと、大窓に真っ黒なカーテンが次々に下りた。壁のスイッチを押したのだ。日光は遮断され、代わりに廊下と同じ橙色の間接照明が室内を照らす。過ちに対する判決が下るのだと、二人の男は身構える。

「〝死体は海に棄てましょう〟人魚を殺す際の掟だ。なぜなら奴らの姿は人間に似ていて、死体が見つかれば大騒ぎになるからだ。今見た現場のようにな」

 阿黒は三人の横ににじり寄り、冷や汗を大量に噴き出している男の肩に手を這わせる。波打つような動きで、粘っこく指を置いた。

「日本の警察は優秀だが、人間と人魚を見分ける目がお粗末だ。お前たちみたいに、年に一度、人魚の血液を摂取しているわけではないからな。我々〈深紅〉は、表向きはジュエリーで商売している。だが裏では人魚狩りだ。今の日本じゃ禁止された銃や刀だって使ってる。もし警察が、死体遺棄事件の犯人としてお前たちを挙げたらこの組織がどうなるか……わかるな?」

 男はすっかり阿黒の圧力に気管と肺を押し潰され、甲高い呼吸音を鳴らしている。阿黒はそんな様子の部下を宥めることなく、触れていた肩を弾くように離した。

「俺は組織の長として、余計なリスクは排除したい」

 執務机の横に立ち、鋭い目で男たちを見る。質量のある冷たい声で、突き放すように宣告する。

「お前たち二人は、今日付けで解雇だ」

 汗だくの男は悲鳴を上げ、静かな男は天井を仰ぐ。阿黒は怜悧な態度を崩さぬまま追い打ちをかける。

「荷物をまとめ、今日の昼までに会社を出ろ。金輪際、我が社に関わるな」

 男二人は阿黒に一礼し、速やかに部屋の出入り口に行った。

 彼らが退室する直前、阿黒は「退職金はたんまり出す。それを糧に、次の職を探せ」と視線をやらずに言った。

 ドアが閉まると、阿黒は肩の力を抜いて椅子に座る。

「最近は人魚狩り班の質が悪くて困る」

「とも様~!」

 腕を組んで一部始終を見ていた桃実が、軽やかなステップで執務机に座った。阿黒の顔の左側に垂れている一房の髪を梳かすようにいじる。

「あんな奴ら、クビにして正解! とも様への忠誠心はあったけど、詰めが甘かったもの!」

「詰めが甘いのは君もだぜ? とわちゃん」

 阿黒が困り顔で見上げる。先ほどよりもいくらか雰囲気がくだけていた。

「俺の役に立ちたいッつったから人魚狩り班の小隊の一つを束ねさせてたが、途中で帰るし、責任を取る気がまるでない。さすがにお咎めなしとは言えねェな」

「そんな!」

「じゃねェと辞職したあいつらが可哀想だ。とは言え、十五歳の少女に負わせるには、ちとデカい責任だった。こりゃ俺の落ち度だな」

 桃実は頬を膨らませ、机から降りる。

「じゃあ、何をすればいい?」

「とりあえず、今の立場を剥奪する。人魚狩り班の最前線からも離脱だ。そンで、狩りの頻度を減らす」

「……わかった」

 母親に怒られた子供のように弱々しく呟く。しかし、すぐに前のめりになる。

「だけど、あなたの役に立ちたい気持ちは変わらない! そこまで仕事を取り上げられたら、あたしはあなたに貢献してるとは言えない!」

 阿黒はしばし黙り込んだ。机を何度か指で叩くと、思い出したように顔を上げる。

「そういやお前、クラスに変な気配のする少年が二人いるってこの前言ってたな。そりゃどんな奴らなんだ?」

 待ってましたと言わんばかりに桃実は大きく息を吸う。

「やっぱり気になるよね! 任せて! 盗撮もしてきたんだから!」

「ははぁ、こりゃ有能なパパラッチだ。どれどれ?」

 差し出されたスマホを、阿黒は覗き込む。教室の角の席から撮ったもので、いかにも盗撮写真だ。白銀の髪にエメラルドグリーンの目を持つ男子と、藍色のストレートな髪の男子が仲睦まじく話している。白いほうは座っていて、藍色は立っている。彼らは休み時間のたびに、互いの席を行き来していた。

「立ってるほうが藍川櫂で、座ってるのが常平有真」

「ふぅん。やっぱ写真越しだと気配がわかりにきィな。どう変なンだ?」

 阿黒はいつしか悪だくみをする少年のように、顎に手を添え、ニヤニヤしていた。

「まず、藍川くんは〝黒〟ね」

「黒って言いかた」阿黒は笑いに声を震わせる。

「さっき窓から刑事さん見えたから」

「際どい冗談だぜ。まあいい。なるほど、こいつが『櫂』か」

「藍川くんのこと、知ってるの?」

「ま、ちょっとした事情で名前だけ知ってた。ンで、こっちの白いのは?」

「常平くんは複雑よ」もったいぶるような口ぶりだ。「彼は〝グレー〟って感じかな」

「グレー、か……」

 有真の顔を拡大し、まじまじと観察する。阿黒の眉間にシワが寄り、難しい表情になると、今度は息を呑んで目を見開いた。

「あっははは! こりゃ面白ェ」

 仰け反って高笑いする。コロコロ変わる阿黒の表情に、桃実は目をぱちくりさせた。

「とわちゃんに頼む。お前にしかできねェ仕事だ」

「なになに?」

 桃実は机に手をついた。阿黒に鼻が触れそうなほどの前傾姿勢。尻尾を振って飛びつくとはまさにこのことだ。

 阿黒はにんまりと、妖しい笑みを浮かべる。

「常平有真について調べろ」

「了解!」桃実が活気のいい返事をする。「調査報告、楽しみにしててね」

 くるりと後ろを向き、桃実はドアに近づいていく。阿黒はその背中に向かって声をかけた。

「あと、藍川櫂には手を出すなよ。奴に手を出すと面倒だからな」

「はいはーい!」

 失礼しましたー、と軽快に言い、桃実は社長室をあとにした。


「でっけェチャンスになるかもしれねェ」

 暗い部屋の中、阿黒のギザギザの歯が、狂暴さを湛えて光っていた。

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人魚が死後にのこすもの ヒノクレ @Hinokure

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