第12話 それでも笑顔で

 ショートステイが始まって、二週間。

 真由美さんの表情が、少し明るくなった。

 

「先生、ありがとうございます」

「いえ、中村さんのおかげです」

「おかげで、少し眠れるようになりました」

 

 和子さんは、週に二回、施設に泊まるようになった。

 最初は嫌がったけれど、施設のスタッフが優しく対応してくれて、今では楽しんでいるようだ。

 

「母も、施設で友達ができたみたいで」

「それはよかったです」

「ええ。帰ってくると、施設の話をしてくれるんです」

 

 真由美さんは、嬉しそうに笑った。

 

 その日のリハビリ。

 和子さんは、いつもより元気だった。

 

「今日ね、お友達と歌を歌ったの」

「施設でですか」

「ええ。みんなで、昔の歌を」

 

 和子さんは、嬉しそうに話す。

 もちろん、私のことは覚えていない。

 でも、施設での出来事は、なんとなく覚えているようだった。

 

「楽しかったわ」

「それはよかったです」

 

 リハビリを終えて、和子さんが言った。

「あなた、誰だっけ」

「リハビリの水野です」

「まあ、そうだったの」

 和子さんは、笑った。

「ごめんなさいね。すぐ忘れちゃって」

「大丈夫ですよ」

 

 和子さんは、私の手を握った。

「でもね、あなたが来ると嬉しいのよ」

「え?」

「誰かはわからないけど、嬉しいの」

 

 私は、胸が熱くなった。

 

「ありがとうございます」

「こちらこそ」

 

 和子さんは、また歌い始めた。

 赤とんぼ。

 

 真由美さんが、台所から見ている。

 穏やかな表情で。

 

 私は、思った。

 認知症は、確かに辛い病気だ。

 記憶が失われていく。

 大切な人のことも、忘れてしまう。

 

 でも、心は残っている。

 嬉しいとか、楽しいとか、そういう気持ちは消えない。

 

 和子さんは、私のことを覚えていない。

 でも、私が来ると嬉しいと言ってくれる。

 それは、心が覚えているから。

 

 記憶より、感情。

 中村さんが教えてくれたこと。

 

 私は、和子さんの歌を聞きながら、そっと涙を拭いた。

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